とある昼八つ時

とある

 

とある昼八つ時

 

 瀞霊廷内に複数存在する甘味屋で、特にこの五番隊にほど近い秋華堂では冬の時期限定のぜんざいが格別であった。

「この前はほんっとに助かったよ……」
「お互い様だよ、清音さんも結局遅くまでかかってたし」
「でも千世さんはお休みだった訳だし……もうあの日はどうなるかと思った」

 清音はあの日を思い出すとげっそりとした表情を見せながら、つぶあんを匙で掬って口に運ぶ。
 先日隊の食堂で提供された古い柴漬けで食あたりの為、五名が欠員になった日の事を二人は思い返していた。清音は早番だったものを遅番までの通し勤務へ変更し、千世は休日だったものの浮竹との予定を急遽断り任務へと派遣された。討伐対象の虚がなかなか姿を見せず、流魂街と現世を結局二往復する羽目になったのだ。
 無事翌日からは皆復帰し、現在はもう通常通り隊は稼働している。そんな中、浮竹が少し息抜きでもしてきたらどうかと労ってくれたのだ。
 席官執務室で清音と引き継ぎをしている際に彼は顔を出し、何やら引換券と書かれた紙を二枚差し出した。年末の福引きで当てたもので、使う機会がないからと言うのだ。さらによく見れば名店である秋華堂の店名が記載されている。まさか彼がそんな機会を逃すはずがないと分かっていながらも、二人は彼の好意を有り難く受け取った。
 丁度ぜんざいが始まった時期だというのは、隊士同士の雑談で知っていたのだ。休日は長い行列ができるほどの人気店だが、幸いにも平日の昼下がりということであまり待つことなく入店ができ助かった。
 千世は注がれたばかりの熱い茶を口に含む。甘いつぶあんを洗い流すようなさっぱりとした風味が実に心地よい。思わず、まるで湯船に浸かった時のようにため息を吐き出した。

「でもさ、隊長も此処のぜんざい大好きだって前言ってたじゃん?良かったのかなあ……今更だけど」
「隊長絶対食べたかっただろうに、気を遣ってくれたんだろうね……お土産でおはぎ買って行こう」

 何においても浮竹を優先する彼女が、この手遅れな状態になってようやく罪悪感を感じ始めるというのは珍しい。千世も悪いとは思いながらも、秋華堂のぜんざいが頭に浮かんだ瞬間手は勝手に引換券を受け取ってしまっていた。
 残りわずかとなった餅を箸で掴んでいると、清音が少し椅子に腰をかけ直し少し千世に顔を寄せる。何事かと思い、千世も同じように少し前に乗り出し彼女に耳を寄せた。

「浮竹隊長、絶対最近良いことあったと思わない?だいたい二週間くらい前から」
「そ……そうかな……」
千世さん、気付かない?これ朽木さんにも話したんだけどさあ、浮竹隊長って良いことがあった時って、少し色気が出るっていうか……変な意味じゃなくてね!?」

 どうだろう、と千世は渋い顔で首をひねってみせる。そういえば朽木にも同じことを聞いていた。
 清音と仙太郎の浮竹への異常な敬愛については皆の知るところであるが、表立って表現をしていないだけで千世も彼への敬愛の念は相当に深いものだと自負している。しかしそういう思いを口に出さない方が妙な生々しさがあると分かっているから、一貫して自身の中で収めるようにはしていた。
 だがそうして彼を思う気持ちには自負がありながらも、彼自身の変化に関してはどうしても鈍かった。恐らく彼の変化については清音と仙太郎が誰よりも敏い上、正確性も高い。
 例えば二日後には体調を崩しそうな様子だとか、異動の内示を伝える時期を考えていそうな顔だとか。そういうかなり理由の絞られた細かい指摘でも実に正確なのだ。だから恐らく、彼女の言っていることは今回も間違っていないのだろうと思う。
 彼が分かりやすいのか、二人が浮竹の変化について敏感すぎるのか。どちらかといえば後者であってほしいと思う。
 だが、良いこと、と聞くとついぎくりとしてしまうことがどうしても嫌で、はっきりとしない返事しかできない。つまり、彼女が予感する浮竹に起きたとされる「良いこと」が千世とのことではないかと、そう考えてしまうことが本意ではない。
 時期として確かに、千世との交際が開始した頃と一致している。だが、それを彼にとって良いことだったというのは、少し思い上がりが過ぎるのではないかと思う。女性と付き合うことは別に初めてでは無いだろうし、彼にとって異性と交際することが大した変化ではない可能性もある。
 千世にとっては天地がひっくり返るような変化だった。間違いなく千世にとってこの交際、良いことでしかない。それが全面に溢れてもおかしくないほどの変化だが、最もよく会話をする清音から指摘をされないあたり上手く隠しきれているのか、清音が浮竹にしか興味がないのか。
 後者な気がしてならないが、妙な詮索をされないのは助かる。少しでも詮索をされてしまえば、流石に漏れ出る笑みを誤魔化し通せる気がしない。

「瞬間的な良い事じゃないと思うの。だって二週間前からずっと嬉しそうだから」
「えっ……そうかなあ、私にはいつも通りに見えるけど……」
「例えばさ、ご家族に良いことがあったとか。結婚されたとか、お子さんが生まれたとか?」

 なるほど、と千世は頷きながら器に残っていたあんこを掬い上げて口に運ぶ。その粒餡を奥歯ですりつぶす感触に、千世はつい先日浮竹と共に食べた最中を思い出していた。
 たった数時間のことだったが、彼の自宅に招かれ二人だけで過ごす事になったのだ。業務以外で、彼とああして二人だけで過ごすというのは初めてだった。昔の話をしたり、互いの事についても少しずつ知ることができた貴重な時間だった。
 と同時に、彼を一人の男性として意識をした初めての時間でもあった。彼が千世へ向ける眼差しは熱っぽく変化をし、交わった視線は外すことが出来ないほど強く突き刺さる。引き合うように唇は重なり、初めて知る心地に目眩がした。
 今思えば、きっと僅かな時間であった。だが、あの瞬間は心拍も異常なほどに上がり、緊張で息をすることすら忘れていたから酸素が足らず、更に未知の出来事で混乱を極めていたため永遠にすら感じたものだ。
 だが、その日彼と触れたのはそれだけだった。松本に以前浮竹とのことを伝えた際に散々煽られていたこともあって一瞬は覚悟をしたのだが、その後は何事もなかったようにまた雑談を楽しんだ。そして冬の早い日没前に、暗くなってしまうからと帰されたのだ。
 拍子抜けをしたわけではない。ただ、何かを期待してしまうような空気があった。数日経った今でも、思い出すとじたばたしたくなる。
 千世は小さく息を吐き出すと、目の前の清音の話に再び意識を戻した。

「抑えきれない嬉しさが、漏れ出ちゃってる感じ。多分隊長は全然そんなつもりないんだと思うんだけど。分かる?小椿とも意見合致しちゃってさ」
「ボクもそれ分かるなあ」

 突然横から割り込まれた声に、二人は飛び上がった。二人して目を丸くして声の主を向けば、笑顔でひらひらと手を振っている。

「京楽隊長!?ど……どうも……お久しぶりです……」
「急に悪いねえ。ボクも浮竹のそれ分かるからさ、つい話に入りたくなっちゃって」

 席についた当初は確実に彼は居なかったはずだが、その派手な羽織の色に気づかないほどぜんざいを夢中で頬張っていた自覚はあった。

「京楽隊長、ご無沙汰しております」
千世ちゃんとはそんな気もしないねえ」
「……そうでしょうか……?」

 最後に彼とこうして顔を合わせたのは二ヶ月は前だと記憶している。他隊の隊長とは下手をしたら半年近く顔を合わせない事はザラだが、浮竹と京楽は旧友ということや総隊長の直々の教え子ということもあってか、十三番隊は八番隊と関わる機会が少なくなかった。
 確か二ヶ月前、今年度入隊した新入隊士の合同訓練を実施した際に顔を合わせがのが最後だったか。二ヶ月前ならば久しぶりと言ってもおかしくはないだろう。
 特に何の気もないのか不明だが、何か引っ掛かるような物言いに千世は一瞬彼の表情を探るように見つめたが、にっこりと笑みを向けられた。思わず、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「浮竹って昔から、自分に起きた良いことは人に言わないからねえ」
「確かに隊長ってそんなに自らのことは、多く語らないというか……」
「でも一見そうは見えないだろう?そういうちょっと不思議な男ってモテるからねえ……ボクの方がモテるけど」
「えーっ!?昔からってことですか?浮竹隊長って、やっぱり昔からモテてたんですか!?どんな感じだったか聞いたら失礼ですか……?浮竹隊長には彼女とかいらっしゃったんですか?」
「ボクの方がモテてたんだけどね?清音ちゃんボクの事は気にならないわけ?」

 賑やかなやりとりを眺めながら、浮竹にも学生時代があったのだということに今更気付かされていた。
 二人は霊術院の卒業生として初めての隊長と聞いている。その実力は学生時代から傑出しており、及ぶものは他に居なかったと。
 実力主義の世界で、力あるものが魅力的に映るのは違いない。千世の代でも檜佐木は学年で主席であった上、あの見た目だったから女性の人気は抜群であった。その現場を間近で見ていたから、あの女性が色めき立つ雰囲気というのは良く知っている。
 時代は違っても、女性が魅力的な男性に惹かれるのは変わらない。きっと学院時代も、そして入隊後にも様々な経験があったのだろうとは思う。それは勿論、十分に分かっていたはずだった。千世よりもずっと長い年月を過ごしているのだから、当たり前のことだ。
 だが、今の会話でおぼろげながら理解していたことが事実へと代わり、何かが胸の奥に澱む。それが決して褒められた感情ではないというのが分かる。
 背後から抱きくすめられた包まれるような心地よさも、やけに自然な口付けも、千世にとってはどれも初めてで特別なものであった。だが、もしかすれば彼にとっては数あるうちの一つだったのだろうか。いや、と流石に悪い方向に想像が膨らみすぎていると気づき、千世は慌てて目の前の賑やかさへと意識を戻した。

千世さん、京楽隊長教えてくれないって」
「それはそうよ、プライベートな事だもの。知りたいなら浮竹に直接聞かないと」
「そんなの直接聞ける訳ないですよー……」

 清音ががっくりと肩を落とすと、京楽はさてと立ち上がる。会話をしていたのは殆ど清音ばかりで、千世はといえば想像を膨らませて勝手に一人で落ち込んでいた。去っていく彼に二人は頭を下げる。
 まさかこんな事になるとは思わなかった。お手洗いに行ってくるという清音の背を今度は見送ると、空いたぜんざいの器に溜息をこぼす。考えすぎだとは分かっているのだが、一度考えてしまうと倍々に膨らんでしまうのだ。
 と、間も無く人影が戻り、早いね、と笑顔で見上げる。しかしそこには一度去ったはずの無精髭の男がにっこりと笑っていた。想像とは真逆の姿だったから、思わず素っ頓狂な声をあげる。

千世ちゃん、宜しくね」
「……え……来年の定期合同演習の件ですか?」
「何とぼけてるのよ……浮竹のこと。頼んだよ」

 そう囁くように言い残して再び去っていった彼を、千世は呆然と見送る。暫くそのまま固まっていたが、えっ、と一人息を呑んだ。
 浮竹は彼に伝えていたというのか。はっきりとは二人は旧友同士とはいえ、個人的なことまで話すとは思っていなかったから、意外な状況に動揺をしている。
 どのように伝えてくれたのかは分からない。ただ、京楽が去り際に残した笑顔が柔らかくどこか無邪気にも見え、それが余韻のように胸にじんわりと滲む。千世は初めて見る笑顔だったが、おそらく浮竹はよく知っているのだろうと思う。

「お待たせ……って、どうしたの、思い出し笑い?」
「ご、ごめん……うん、それに近いかな」

 お手洗いから戻ってきた清音は、不思議そうに一人で微笑んでいた千世を眺める。
 我ながら単純すぎると思ったのだ。考えすぎて一人で落ち込み、一つのことで容易く掬い上げられる。どれもこれも、彼と交際が始まったからこそ知る感情である。以前はこんなことを考えもしないし、そんな感情にたどり着くはずもなかった。
 宜しく、という京楽の言葉が耳に残る。きっと今日これから、何度も思い出しては一人微笑む事になるのだろう。

 

(2024.12.18)