とある余暇
浮竹は回覧用の当日予定表を眺めていた。昨日の簡易的な報告と、隊長副隊長をはじめ上位席官の当日の予定が簡単に記されている。
前日の夜番の席官が作成して毎朝回覧されるのだが、浮竹は千世の予定にふと目を留めたまま、手元の茶をすすった。
今日の彼女の予定は午後半休とある。ふと目が留まったのは、午後休暇についてここ最近で何度か記憶があったからだった。正確な日付までは覚えていないが、記憶を辿れば今日と同じ週半ばだったような気もする。
何も千世だから覚えているというのではなく、半休を予め申請していることが珍しいからだろう。制度としては存在しているものの、大体は体調不良や急用で急遽取る例が多い。
何か定期的な予定でもあるのだろうが、聞いたこともなければ見当もつかない。浮竹は過った疑問を慌てて追い出そうと回覧から顔を上げた。机上に転がしていた印鑑を手に取り、印泥を軽く叩いて隅に押印する。
押印をしながら、やはり千世の「午後半休」という予定に自然と目が行く。休暇は個人の自由であって理由を聞く必要などない。申請書には昔からの名残で理由欄があったはずだが、私事のため・私用のためと大抵は定型分の筈だ。
だから何だという話ではある。誰であっても休暇の理由が何であろうと、隊長としては、休暇が定められた日数以上を年度内で消化してくれさえすれば良いのだ。
とは言え、幾度と重なる定期的な半休の理由はどうにも気になる。それは彼女が単なる部下ではないからであって、つまるところ私情であった。
非常に不本意ではある。休みの日にどこで何をしようかなど自由なのだ。まだ互いに好意が向いているという確認をしたばかりで、契りを交わした訳でもない。気にするという事がまず筋違いである。
そう理解しているものの、晴れない靄が頭の奥に留まっているような感覚で、次の仕事に取り掛かるような気になれずにいる。いい年をしてどうにもそれが情けなく思えて、溜息を漏らした。
浮竹は押印を終えた当日予定表を手にしたまま立ち上がる。それから宙を見たままわずか逡巡した後、雨乾堂を出た。
向かったのは席官執務室であった。軽く襖をたたいてみるが、返事がない。少し隙間を開けて覗いてみるが、どの席官も不在のようだった。
大抵は誰かしらは在室しているから珍しい。机上の湯呑みや、開いたままの帳面を見るに、一時的に席を外しているだけのようだ。
しかし実に幸運だった。この誰もいない隙に目当ての帳面を拝借してしまえば良い。誰が居ても構わないといえば構わないのだが、何を探しているのかと気を遣われる事が目に見えているのだ。私情も私情だというのに気を遣われてしまえば、罪悪感で消えたくなるに決まっている。
突き当たりの壁に沿って配置された書棚には、ずらりと帳面が並んでいる。確かこの辺りだったはずだと過去の記憶を掘り起こしながら、背表紙を指でなぞるように目的の文字を探していた。
「何かお探しですか?」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられ、素っ頓狂な声と同時に軽く飛び上がる。慌てて振り返れば、清音も驚いたように目を見開いて浮竹を見上げていた。
疚しい事をしているという自覚があったからだろう。手早く済ませてしまおうと気が急くあまり、彼女の足音や気配にまるで気付かなかった。
「す、すみません隊長!驚かせてしまって……!」
「ああ、いや……勝手に入ってしまって悪かった」
「とんでもない!何かお探しでしたら、お手伝いいたしますよ」
彼女の言葉に浮竹は一瞬躊躇う。やはり想像していた通りに気を遣われた。理由を聞かれでもしたら、上手く誤魔化せる自信があまり無い。
浮竹が探していたのは隊士が取得した休暇一覧の書類綴りだ。休暇取得日と理由を席官が月末に纏めてくれており、半期毎に一番隊へ提出する事になっている。
在籍年数によって年に消化しなければならない休暇数が決められており、それに満たない場合は指導を受ける。故に隊長としては隊士の休暇の取得状況を把握する必要があり、拝借することなど何ら不思議ではないのだ。
と言っても、主に休暇の管理は席官が担ってくれているから、最後に休暇一覧を自ら確認したのはいつだったか覚えていないくらいである。
「昨年の十二月の報告書を借りたいんだが、良いかな」
「はい、勿論です!ちょっと待っててくださいね……ええと……」
素直に休暇一覧だと伝えればよかったのに、どういうわけか誤魔化してしまった。
清音が書棚を漁っている間、浮竹は何気無い様子を装いながら辺りを見回す。何をしているのかという己への情けなさと呆れを覚えながらも、目を皿にして棚の背表紙を追う。
しかし結局それらしきものは見つからないまま、差し出された分厚い束を浮竹は受け取る。誤魔化しついでに借りるにしては、ずしりとした重みであった。
「ありがとう、助かったよ」
「お役に立てて光栄ですが……何か他にお探しだったりしますか?」
「えっ、ああ……いや、探しているという訳でもないんだが――皆の休暇取得状況がどうなっているかと思ってね」
「休暇ですね、休暇、休暇……あれっ?……あっ、そういえば昨日持ち出し表に書かれていたような……ええっと――あ、やっぱりまだ返ってきてないですね」
清音が確認する手元の表を覗き込めば、確かに氏名欄には日南田と書かれている。どうやら今日はあまり運の巡りが良く無いらしい。
私情のために彼女の手を煩わせてしまった罪悪感と共に、このお粗末な計画が呆気なく崩れた事に内心項垂れたくなる。慣れていないことをするものではないということだ。
「この後千世さんの書類受け取りに行く用事がありますので、回収してお届けに上がりましょうか?」
「いや……それには及ばないよ。心配している訳ではないんだ」
「はい、今は可城丸さんが管理してくれてますし、千世さんも定期的に確認してくれているので」
「ああ、ありがとう……いつも助かってるよ」
彼女の笑顔の前でますます強まる罪悪感から逃れるように、浮竹は部屋を出る。
たった数分の出来事だというのに、どっと疲れた。無駄な画策をせず、本人へ素直に聞いてみれば良いだけなのだが、どうしても憚られる。いくら恋人とはいえ休日の予定を確認するというのは、さすがに踏み込み過ぎのように思える。
使う予定もない重い報告書の束を雨乾堂へ持ち帰るだけになった浮竹は畳にどさりとそれを置くと、脇に腰を下ろす。未だに晴れそうにない靄のようなものを頭に抱えながら、適当な場所で束を分けて手持ち無沙汰にぱらぱらと捲った。
処理しなければならない書類が溜まっているものの、今さっきの疲れと後悔ですぐに取り掛かるような気になれない。とその時、浮竹ははっとして手を止める。
半休という文字が一瞬目に留まったような気がしたのだ。敏感になっている節は否めないが、恐らく見間違えではない。
一枚ずつ捲って確認をしながら、数枚を遡ったところでやはり見つけた。現世で任務にあたっていた隊士からの救援要請に対応した件で、日南田副隊長午後半休で不在の為翌朝報告とある。曜日をみれば、今日と同じ水曜日であった。
やはり水曜日の午後には定期的に何かがあるらしい。ここ最近だとばかり思っていたが、どうやら去年の時点ですでに始まっていたようだ。まさか適当に借りた報告書で確信を得る事になるとは思わなかった。
ううん、と思わず腕を組み唸る。彼女が定期的に通うのは場所なのか、もしくは相手なのかとどうにも気にかかる。不安と言うには澱みがなく、興味と言えるほど鮮やかでは無い。
「隊長、日南田ですが……今よろしいですか」
外からの呼び掛けに、浮竹は思わずびくりと跳ねる。まさか清音が気を利かせてくれたのだろうか。少し待ってくれ、と報告書の束を閉じると部屋の隅へ滑らせる。文机の前で穂先の乾いた筆を手にすると、振り返り彼女を呼んだ。
咄嗟にあたかも仕事の最中を装うほど動揺している。我ながら情けないが、ここまで情けない続きだと徐々に慣れてきてしまうのがまた情けない。
顔出した千世は案の定書類の綴を抱えている。探していると聞いたので、と差し出されたその表紙にはやはり休暇申請一覧、となっていた。
「今週末までの提出書類、間に合いそうですか」
「ああ、そうだな……多分」
千世は浮竹の手元を覗き込む。多分、と答えたものの脇に重なる書類束はなかなかの高さを築き上げており、一抹の不安が過ぎって語尾が尻すぼみになった。
千世はずるずると膝を擦って近寄ると、書類をぱらぱらと捲くる。近づいた距離にどきりとしてしまったのは、彼女の半休の理由をこそこそと探していた疚しさからだろう。
「よろしければお手伝いいたしますよ」
彼女は至って普段通りの様子でそう申し出る。半休ならばもう退勤まで間もなくで、今からこの量の処理を手伝うとなれば夕方までは少なくともかかるだろう。
「だが……予定があるんじゃなかったのかい」
「ええ、はい……あれ、隊長に勉強会のことお話したことありましたっけ?」
「い、いや、たまたま予定表を見て知ったんだが……勉強会……?」
彼女の口から初めて聞く言葉に、浮竹は思わず目を丸くする。勉強会というのは、各隊内で特に優秀だったり一芸に秀でた者を囲んで何かしらの能力や技術の向上を目的に開かれる会合の一つだ。
十三番隊でも以前は海燕が、今は仙太郎が月に二度剣技の勉強会を開いているはずだ。他にも勉強会には満たないまでも、数人単位で定期的に集まりを開き切磋琢磨している者たちも多いようだ。
特に人気の勉強会は隊を超えて参加の希望があり、藍染や雀部の勉強会は今や招待制になっていると聞いたことがある。
だがしかし、一体誰の勉強会だというのだろうか。仙太郎の勉強会には何度か顔を出しているが、千世の姿を見かけたことはない。となると他隊の勉強会に参加しているのだろうが、あまりピンとくるような顔が浮かばない。
なにぶん、彼女の交友関係というのをあまり詳しく知らないのだ。特に他隊ともなれば余計に。
「実は、藍染隊長の勉強会なのですが……でも、たくさん人がいるのでお休みしても大丈夫だと思います」
「藍染?五番隊の?」
他に誰がいるというのだと思いながらも、つい聞き返す。はい、と千世が少し不思議そうに眉を曲げて頷くのも致し方ない。だがそれほどまでに、藍染と千世という繋がりが不可解だった。
確か藍染の勉強会というのは、藍染本人からの声がけがなければ参加ができないと隊士との雑談の中で聞いたことがある。随分人気で、自由参加では収集がつかなくなるというのが理由のようだ。
千世によれば、ある時の副隊長会の際に雛森に声をかけられ顔を出したのが初めてだったのだという。鬼道に苦手意識があった千世は、良い機会だと勉強会に参加し研鑽を重ねていたようだ。
確かに、彼女の最近の任務報告書では鬼道を積極的に使用しているように感じていた。苦手とは知っていたから、彼女なりに克服に努めているのだろうと思っていたのだが。
まさか千世が藍染の勉強会に参加しているとはまるで知らなかった。昨年の夏頃からというから実に一年以上通っていたということになる。
思い返してみれば、副隊長帯同の集会の時に会話を交わしていたことを不思議に思ったことがあった。何を話していたかは分からないが、珍しいと思ったことを記憶している。今になってあの時の疑問が晴れることになるとは思うまい。
「仕事は気にしないで良いよ。勉強会には、出席しないと」
「でも、結構積み上がっているような気がしますし……」
「ああ、まあ……それは多分大丈夫、いつもこんなもんだよ、……多分」
どうにも歯切れが悪くなる。だが嘘ではない。締切が近い時期となると、傍らで積み上がる書類の存在に気づきながらも、つい隊舎を見回ってしまったり他の今でなくても良いような書類に手を付けてしまう。
とは言っても、今まで締切を過ぎたことはない。だからこの程度の量ならば彼女の手助けが無くとも間に合うということは分かっている。
だがこのまま、はいそうですか、と素直に勉強会に向かわれてしまうのも、正直なところどうにも釈然としない気分であった。
彼女は何も、遊びに行っているわけではない。藍染の鬼道の能力というのは護廷でも随一で、彼に学ぶことができるというのは彼女の今後を考えても非常に良い機会だろう。
だが鬼道というものは癖が出る。どれほど優秀な者だとしてもだ。そして指導者の癖というのは、教え子にとって教理と名を変え永く残りやすい。
これは恐らく、あまり口に出すべき感情でないとは分かっている。もちろん、彼女が望む学びの機会を奪うつもりなど無い。
何が何でも阻止したい訳では無い。だが知ってしまった今、この違和感を覚えながら笑顔で送り出すことがなかなか難しい。それがこの歯切れの悪さになっている。
「本当に大丈夫ですか?またご無理されて、体調崩されないかとても心配なのですが……」
「ありがとう、大丈夫。いざとなったら仙太郎と清音に手を貸して貰うよ」
そうですか、と彼女は眉を曲げながらとぼとぼと背を向け部屋を後にしようとする。思わずその背を呼び止めたくなるが飲み込み、浮竹も文机へと身体を向けた。
彼女から受け取った休暇一覧の綴も、必要がなくなってしまった。必死になって彼女の半休の理由を突き止めようとしていたことが今となれば恥ずかしい。勝手に胸騒ぎを感じて、結果的にそれは半ば当たっていたわけだが。
どうにも処理できない感情を覚えた時の正解が分からずにいる。年長者の見栄と妙な自尊心が折り重なり合って、執着と愛情の境目が曖昧になるのだ。
腕を組み宙を見上げる。仕事としての関わりが深いが故に、感情の切り分けが難解になっている。それは恐らく、この先仕事ではない部分での関わりが深くなるほどに。
一つ息を深く長く吐き出すと、視線を机上へと戻す。ぼうっとしていられるような時間の余裕は、実はあまりない。小筆をようやく手に取った時、バタバタという物音が再び背後から聞こえた。
「やっぱり、お手伝いします」
「いや、だが……勉強会は」
「今日は急用でお休みするって、雛森さんに連絡してしまいました」
再び顔を出した千世の言葉に、浮竹は目を丸くする。答えるよりも前に、彼女はそそくさと浮竹の横の書類の束を半分ほどに分け、自分の元へと引き寄せた。
ありがたい反面、もしや感情を推し量られてしまったのではないかと勝手に気まずく感じている。精一杯普段通りに、穏やかに彼女を送り出したつもりだったのだが。
彼女はぱらぱらと中身を捲りながら、もごもごとした様子で浮竹を呼ぶ。
「……今日、お仕事の後は何かご予定はあるのですか」
「いや、特に無いよ」
浮竹の言葉に、千世は分かりやすく顔を輝かせる。何かの誘いだろうか。浮竹は俄に躍った心を宥めながら、彼女の言葉を待つ。
「お休みしてしまったので、今日は隊長に勉強会をしていただこうかなと……思いまして」
「えっ!?い、いや、俺はそういう先生のようなことはあまり向いていないから……」
「ああ、いえ……その、皆にとかではなくて、ええと、私だけにというか……」
目を泳がせながらそう答える千世を、浮竹はしばらくじっと見つめてしまった。この部屋を出てから、その妙案を思いついてとんぼ返りしてきたのだろうと思うと、やわく心臓を握られたような苦しさを覚える。
なるほど、と浮竹はやがて口が緩んだ。唇を少し尖らせ、わずかに目を伏せる千世を少し覗き込む。はっと目線を上げた彼女だけに聞こえるような声で返す。この部屋には、他に誰も居ないというのに。
「個人授業なら喜んで。いくらでも付き合うよ」
「お、……ねがい、します……」
そう消え入るような声で呟いたまま、石にでもされたように千世は動きを固めた。その頬から耳たぶにかけてみるみる紅く色づいていく。
それだけで溜飲が下がってしまうのだから、人の感情が複雑なのは見掛け倒しで、実際は呆れるくらいに単純なものだと思うのだ。
(2025.04.03)