とある白日

2024年12月13日
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とある白日

 

 師走も半ばに差し掛かり、朝夕の冷え込みはぐっと強まった。恐らく初雪も近いだろう。
 昼間でも火鉢を傍に置き、冷える指先を時折かざしては筆を握っていた。そろそろ炬燵でも出そうかと思い見るが、今とは比べ物にならないであろうこの先の冷え込みを思うともう少し我慢しようかも思う。
 今日中に済ませようと思っていた机仕事が予定よりも早く終わらせることができた。特に急ぎの仕事もなく、隊舎でも見て回ろうかと立ち上がる。
 固まった膝や腰を解すように大きく伸びをすると、自然と欠伸がひとつ出た。今日は寝覚めが良くて、早朝から机に向かっていたせいだろう。この所寒さで目が覚めることが殊に増えた。
 雨乾堂を出て渡り廊下に差し掛かると、既に賑やかな声が聞こえ始める。すれ違う隊士たちに声をかけながら、稽古場や執務室、休憩室や食堂に顔を出した。
 下期からは他隊からの異動で仲間も増えた。一時期は怪我や自己都合での休隊が増え、一人当たりの業務負荷が嵩み他隊から人を借りる事も少なくなかったのだ。
 隊長である浮竹からも何度か要望は出していたもののなかなか叶わず、それに業を煮やした千世が自ら雀部へ直談判をし、その回数が恐らく十を超えた頃にようやく増員が決定した。彼女の執念には感心したものだ。
 転籍の隊士も慣れ始め、お陰で以前のようにまた隊には笑顔が増えたように思う。彼女には改めて礼を伝えなければならない。
 一通り見回った後、雨乾堂への帰りがけに茶でも淹れに行こうかと思ったものの、ふと見つけた後ろ姿に声をかけた。振り返った朽木は、深々と頭を下げる。

千世の机仕事を手伝ってくれていると聞いたよ。忙しい中ありがとう」
「いえ、とんでもない事でございます。あまり機会がないので、勉強になります」

 浮竹は彼女の殊勝な態度に、思わず微笑む。彼女の性質からして机仕事はあまり好きではないだろうに、その真摯な姿勢は常々関心をしたくなる。
 しかし、向いているのかと思う。抜けのある書類を朽木が抜き出した後、隊長印や確認が必要なものを千世が纏めて持ってくるのだが、細かいところまでよく見てくれていると分かる。見落としても仕方がないような部分まで気付いてくれるから、これからも定期的に頼みたいと千世は漏らしていた。仙太郎や清音の許可が下りるかは難しいところだろう。

「これから何か用事かい?」
「私はこれから休憩をいただく予定ですが……何かございましたか」
「いや、聞いただけだよ。ありがとう。よく休んで、午後も宜しく頼む」
「はい、ありがとうございます」

 上品な笑みを見せた彼女は、再び腰を折り食堂の方へと去っていく。その背中を見送ると、浮竹は踵を返した。
 彼女が昼休憩に入るということは、千世は今執務室に一人ということである。外出でもしていなければの話だが、恐らく今日は特に予定が無かったと記憶していた。
 数日前に見た予定表を記憶している自分の局所的な記憶力の良さが、僅かに気味が悪い。だが、この機会しかないと、副官執務室の襖を軽く叩いた。
 彼女の声がすぐに返ると、浮竹は顔を覗かせる。途端に立ち上がった彼女は、そのまま直立不動で立ち尽くしている。あまりの動揺の様子に、思わずふふと笑みが漏れた。

「隊長……何かございましたか」
「いいや、何もないよ」
「何か御用でもあるのかと……」
「用が無かったら、会いに来ては駄目かい」

 そう言ってみれば、彼女は少し肩をすぼめて、首を横に振る。心做しか頬が赤く見え、何とも大人げなかったかと少しばかり反省をした。
 浮竹は長椅子に腰を下ろすと、横を軽く叩く。折角の時間だというのに、直立不動のままでは落ち着かないだろう。
 彼女は一瞬戸惑った様子だったが、恐縮したように身体を小さくして浮竹の横へと腰掛ける。少し空いた隙間が寂しいが、致し方ない。

「少し話そうかと思ってね。あれから全く、こうして話せていなかったろう」
「はい……お互い書類に追われていましたからね。隊長は、少し落ち着かれましたか?」
「ああ、お陰様でな。千世の方も、見通しが立ったんじゃないのか」

 以前顔を覗かせた際は、絶望といった顔で書類に埋もれていたから、この部屋の様子も含めて見違えた。
 朽木に手を借りるのもとうとう明日で終わりなのだと、ようやくこの師走の慌ただしさに終わりが見え安堵した様子である。
 ならば丁度よかった。浮竹は彼女に身体を向ける。

「今度の休みに、外出でもどうかと思ってね。……と言っても、俺の自宅なんだが」
「……ご、ご自宅ですか!?」
「ああ、いや……いや。……そういう……変な意味では無いんだ。ただ、中々二人で出かけるというのは人目もあるし難しいだろう?だからと言って、雨乾堂でというのも流石に一日というのは難しいし、つまり……」

 つまり、取り急ぎ二人だけで過ごしたかった。言い訳がましく言葉がぼろぼろと溢れる己の焦りようが情けない。
 十分に準備をすれば、瀞霊廷外の温泉地や行楽を楽しむ事もできようが、それでは時間がかかりすぎる。今必要なのは二人だけで過ごす時間である。そのためには人目を阻む場所が必要で、かといって彼女は副隊長になっていながらも寮住まいだし、そうなれば自分の屋敷しか無い。
 一年の殆どを雨乾堂で寝泊まりをする日々を過ごしている浮竹の屋敷については、その存在すら知る者は少ない。家の手入れは定期的に庭師や業者に依頼をしていたから、突然帰っても問題はない状態ではある。
 しかし交際して間もないというのに、まず自宅に誘うという選択肢が果たして彼女にとってどう捉えられるというのを考えていなかった。痛恨の過ちである。丁度良いだろう、くらいの軽い気持ちであったことを、顔を真っ赤にしている彼女の前で反省している。
 全く他意がないと言ったところで、彼女は信じてくれるだろうか。浮竹は眉間に皺を寄せた渋い表情のまま、頭を下げる。

「戸惑わせて申し訳ない」
「いえ、違うんです……その……お恥ずかしながら、初めて男性とお付き合いをするもので、あまり勝手を分かっておらず」

 千世はそう言って俯く。とうとう耳まで真っ赤にした彼女を前に、浮竹は暫くその俯いた横顔を見つめたまま固まっていた。
 もともと彼女について、休日何をしているとか、交友関係がどうであるというのはあまり知らなかったのだ。つまり、男性遍歴についてだ。ただ、隊の男性陣にはある一定の支持をされているという事はよく知っていた。
 それは彼女の人柄もあるだろうし、その容姿もあるのだろう。物腰は柔らかいながらも誰に対しても物怖じせず稽古を挑むし、伝えるべきことは伝えられる性格だったから、同時にその公正さに信頼を得てもいた。
 だから、今までに男性と親しくするような機会はあったのだろうと認識していたのだ。別に敢えて考えたというわけではない。普段の彼女の様子を見て、男性の扱いに慣れているようには見えていたし、そういう相手がいてもおかしくないだろうと無意識下で思っていたのだ。断じて、敢えて考えていたというわけではない。
 彼女のまさかの告白に、浮竹は今までの見立てが誤っていたという以上の形容し難い衝撃を受けていた。どうして今なのかという衝撃もある。
 彼女は髪を耳にかけると、照れたように小さく笑った。思わずその仕草にどきりとする。彼女に対して、今まで覚えたことのない感情が芽生えた瞬間だと分かる。彼女を愛しい相手だと思う、その先にある胸のざわめきである。

「楽しみにしてます」
「ああ……それはよかった。また、追って連絡をするよ」

 はい、と花が綻ぶような笑みを向けられる。その幸せに満ちた表情を前に、心拍数が俄かに上がるのが分かる。誤魔化すように顔を逸らし、あたりを見回した。でなければその唇に吸い込まれでもしそうだと思ったのだ。
 その時、襖を軽く叩く音が聞こえ二人は咄嗟に立ち上がる。千世がこたえれば、隙間から顔を覗かせたのは朽木であった。まさか居るとは思わなかったであろう浮竹の姿に目を丸くした彼女は、入室を躊躇う。

「お取り込み中でしたら出直しますが……」
「いいや、話は済んだから平気だよ。俺の方こそ邪魔をした」

 何やらまとめた書類に不備があったことを思い出し、急いで戻ってきたのだという。ごそごそと紙の束を漁り出した朽木を手伝い始めた千世の耳は、まだわずかにその赤みが残っていた。
 これ以上居たところで邪魔になる。部屋を出る直前、振り向いた彼女に軽く手を挙げて合図する。照れた笑みを押し殺すように唇を噛んだ彼女に、思わず浮竹も口元が緩み出すのが分かり慌てて部屋を出た。
 少しひんやりとした廊下は、火照った身体には丁度良い具合であった。

 

(2021.06.29)