とある帰路

2024年12月9日
とある

 

とある帰路

 

 師走を忘れるような陽気が続いていた。いや、一瞬忘れていたかもしれない。隊首会からの帰路、ぼんやりと桜の開花時期について考えてしまっていたほどだ。
 今年最後の隊首会を終えて、多少気が抜けたのだろうか。来年度の隊予算もようやく提出が済み、残すところは書類の散乱した部屋の大掃除、そして無事に年を越せることを願うのみといった状況である。
 大きく伸びをした浮竹は、そのまま深く息を吸い込む。いくら陽が暖かいとはいえども、乾燥した空気は冬らしくひんやりと冷たかった。

「何か良いことでもあったのですか」

 は、と思わず情けのない声が漏れた。突如として横に現れた卯ノ花は、目を細め上品な笑みを浮かべている。
 先ほど隊首会で散り散りに解散してから暫く経っている筈だった為、何故彼女が此処にいるのかという疑問は薄っすらと頭を過った。だが、それ以上に彼女の言葉が引っかかり、何度か浮竹は頭で繰り返す。
 良いことがあったのかと尋ねられるということは、つまり良いことがあったように見えていたということだ。いや、考えずともその通りである。難しいことを言われたわけでも無いというのに、理解するまでには暫し時間がかかった。
 あまりにそれが突然だったからだろう。しかもあろうことか、相手が卯ノ花である。変に誤魔化したところで、その菩薩のような笑みにはすべて見透かされているような気がしてならない。至って平静を装いながら、浮竹は精一杯きょとんとした表情を彼女へ向けた。

「いえ、何もありませんよ」
「あらそうでしたか」

 ふふ、と彼女は再び品よく笑んだ。特に盛り上がりもなく、挨拶程度の会話になったはずだった。そうなるように、敢えて何も広がらない答えをしたのだった。
 浮竹の思惑通り二人の間には無言が流れる。この何の意味もなさない時間に見切りをつけ、まもなく立ち去ることだろう。だがどういうわけか、彼女はそのまま速度を合わせ横並びで歩を進めている。
 気まずい。しかしそう思うのは浮竹だけなのか、彼女は至って澄ました表情である。動揺をしているわけではないが、この状態が長く続いてしまうとどういう態度を取っていれば良いのかがわからない。
 良いこと、と聞き全く心当たりが無い訳ではなかった。だがそれを「良いこと」と表現するに多少抵抗があり、しかしならばこの感覚をどう形容すれば良いのか、答えがまだ見つかっていない。

 話は約一週間ほど前に遡る。その日も丁度、今日に似て春かと思い違うかのような晩秋だった。
 雨乾堂で書類仕事に追われていた浮竹は、副隊長となってもう二年ほど経つ千世からある提出書類の催促を受けていた。例年、霜月から師走にかけて隊長副隊長は締切との戦いに明け暮れる事になっている。そろそろかと予期した通りに姿を見せた彼女の申し訳なさそうな顔に、思わず笑ってしまったものだ。
 あいにくまだ仕上がっていない旨を伝えれば、彼女もまた予想通りであったのか力無く笑う。散らばった紙をかき分け浮竹の横へと移動すると、そそくさと硯に浸していた小筆を手に取った。浮竹は、少し横に詰める。今日を逃しては、彼女の予定が狂ってしまうのだろう。終わらせましょうと力強い彼女の勢いに浮竹は押され、そのまま暫く一つのそう広くはない文机に二人で向かう時間が続くことになった。
 机に向かいながら、浮竹は何度か彼女の横顔を眺めていた。初めて出会った頃のことをふと思い出していたのだ。
 その頃の彼女は死覇装ではなく、霊術院の小袖と袴を纏っていた。研修として数人の同級生と共にこの十三番隊へ配属された彼女は、まだ幼さの残る表情をしていたことを覚えている。
 あれから数十年と経ち、横に腰を下ろし同じ書類に向かう事になっているとは、当時は思ってもいなかった。顔立ちも大人びて、実力も申し分なく立派になった。時折抜けているところはあるもの、それを含め浮竹にとって大切な存在になっていた。
 だがそれは、あくまで副隊長としての話である。と、そう自らを諭すようになっていたのはいつからだっただろうか。あの頃、あの頃と思い返す一つ一つは何も大きな出来事ではなく、その全てが徐々に堆積した結果が今なのだろう。
 彼女について、浮竹自身にとってどのような存在かと考えたとき、見合う言葉が見つからなかった。仲間、部下、同志、“大切な”と頭に付けたとしても、彼女の存在はそのどれにも当てはまるようで、しかし適切に表した言葉にはならないように思えた。
 それはつまるところ、自分の中での答えに他ならない。隊の仲間はどれも己の命に変えがたいほど大切である。それを大前提として、彼女を特別に感じているという証左である。
 隣で真剣に筆を執る彼女の表情に、浮竹は自然と頬が緩む。あまり進んでいない自分の手元の紙へとようやく視線を戻した。
 それから、暫くしてのことだ。二人で机に向かい始めて半刻ほど経ち、ようやく終わりが見えて来た頃だった。ふと横から視線を感じ、浮竹は髪を耳にかけ横を見る。どうした、と普段ならば笑ってそう尋ねたのだろう。だが口を噤んだのは、彼女のやけに熱を帯びた眼差しについ息を止めてしまったからだった。
 そうして、互いに眼差しを交わらせて暫く。小さく開いた彼女の口から何が漏れるかというのは予感していた。予感していながら、避けるどころか待ち望むように黙っていたのは、もう己の中で答えが出ていたからなのだろう。
 想いを告げ終えた彼女は、我に返ったように頬を火照らせて机に突っ伏した。浮竹は思わず笑ってしまったものだった。
 今までだって、彼女の好意には気づいていた。彼女は素直な性格だから、端々で分かりやすくて仕方がない。だがその想いをどうかしようという気持ちは、無いように見えた。それを望んでいないようであったのだ。
 だからそれを知りながらも、浮竹は己の中で育ち続ける感情を律しながら、彼女の上官として在り続けた。だが、いよいよそれも終わってしまった。この時を恐れていながらも、しかし同時に待ち望んでもいた。相反する感情は、意を決した中に僅かに不安を残す。
 何が彼女の中での切欠となったかは分からないが、彼女の事だから恐らくこの陽気で気が抜けた中でのうっかりだったのだろう。その慌てようを見れば、準備をしていたとは到底思えない。
 混乱している彼女がもじもじと畳をなぞる指先を浮竹は捕まえ、そのまま手繰り寄せ手のひらを握る。ぴたりと動きを止めた彼女の目線を真っ直ぐに捉えながら、その想いを受け取ることを伝えた。それからの彼女の慌てようといえば、先ほどの比ではなかった。それは思わず笑ってしまうほどで、その慌てふためく姿を見ていれば、多少の不安など取るに足らないものだと思えたのだ。
 
「浮竹隊長」
「は、はい!?」
「随分ぼうっとされていましたが」
「ああ、いえ……少し考え事を……」

 卯ノ花の声に、浮竹の身体はびくりと飛び跳ねた。うっかりあの時間を思い返して浸ってしまっていた。
 気付けば、丁字路に突き当たっている。恐らく彼女は四番隊に向かうのならば右折し、浮竹は左へ曲がる事になる。ようやくこの絶妙に気まずい時間が終わりを迎えることにほっと息を吐く。

「良いこと、大切にされてくださいね」
「で、ですから、良いことがあった訳では……」
「では、私はこのあたりで」

 そう彼女は頭を下げ、すたすたと背を向け去っていったかと思いきや、瞬歩で姿を消した。急いでいたのならば初めからそうしていれば良いものの、よほど浮竹をつつきたかったものと思われる。
 何を根拠に”良いこと”があるように感じたのかは分からない。千世との事があってから卯ノ花と顔を合わせたのは今日の隊首会が初めてで、会の前に軽く挨拶を交わしたのみだったはずなのだが。
 浮竹は一人腕組みしながら、ううんと唸る。決して浮かれているつもりはなかった。しかし自覚しながら浮かれるものでもないし、どこかで滲み出てしまっていたとしか思えない。洞察力が優れている彼女のことだから、少しの違和感も目についてしまうのだろう。
 とはいえ、他言するような事はない相手であることは確かだし、大体その良いことが何であるかを伝えた訳ではない。これ以上心配をする必要も無いだろうと、一旦頭から追い出すように目をぱちぱちと瞬いた。
 とその時、前方に見えた隊舎の門から丁度現した姿にはっとする。その姿は分厚い封書を抱えており、同じく浮竹の姿に気づいたようであった。

「提出かい」
「はい。朽木さんに手伝って貰って、少し早めに片がつきましたので」
「それは良かった。朽木には俺からも礼を言っておくよ」

 千世は微笑みながら、抱えた封書の束を持ち直す。その厚みから見て軽いとは決していえない様子に、手伝おうか、と思わず口をつく。しかし彼女は首を横に振り、お気持ちだけと笑った。

「隊首会でお疲れだと思いますので。ありがとうございます」

 そう頭を下げ、では、と彼女はそそくさと立ち去った。その背を見送りながら、僅かに拍子抜けしている事に気づく。いや、何かを期待していた訳ではない。だが、あまりに普段通りの様子に肩透かしを食らったようだったのだ。
 あれから一週間経ったが、その間互いに締切に追われあまり二人で話す機会が無かった。会話をするにしても、人通りの多い廊下であったり、食堂のような賑やかな場所だったため、今があの日以来の二人きりの会話であった。
 まさか、あれは夢だったのかと思うほど、今まで通りかむしろそれ以上にさっぱりとしたやり取りであった。いや、まさか夢であったはずはない。あの時握った彼女の小さく柔らかい手のひらの温さを、未だに思い出すことが出来る。
 小さくなっていく彼女の背を眺めながら、小さな溜息を吐き出す。まさか、己の中にこうも女々しい感情が生まれるとは思ってもいない。
 この歳になり初めて知る感情の芽生えに、ひとりぼんやりと冬晴れの空を見上げるのだった。

 

(2024.12.09)