めでたしから裏表紙まで

21日

 

めでたしから裏表紙まで

 

 床に転がった隊士を一人ひとり揺り起こし、帰宅を促す作業を始めてかれこれ数十分が経とうとしていた。珍しく酒をあまり呑まずに正気を保っていた千世と、真面目な朽木、他数人の正気の席官と共にぐうぐうと心地よさそうに寝息を立てている者たちを叩き起こして寒い廊下へと追い出す。
 流石に廊下に追い出されてしまえば震える寒さに目が覚めるようで、ぐったりとした様子で各々帰路を辿り始める。これも毎年のこととなれば慣れたもので、今年は例年と比べれば数が少なかったかと多少物足りなさを覚えるほどであった。
 毎年この時期には忘年会と共に浮竹の誕生日会が同時開催され、隊舎は飲めや歌えの大騒ぎとなる。この歳になって誕生日を祝われるというのはどうしても照れくさいし気恥ずかしいが、忘年会という名目が付くと、まあそれなら良いかという気になる。主催の仙太郎も清音も、それを知っての事かも知れない。
 畳の上に仲良く転がる二人を見下ろしながら、浮竹は力が抜けたように笑った。傍らにしゃがみ込み、おーいと肩を叩く。気持ちよさそうに寝息を立てていた清音の眉間に途端に皺が寄り、不愉快そうに表情が歪んだ。

「あぁ……?なんですかぁ……?」
「ほら、もうお開きだよ。起きれるかい」
「あ……え、えっ、たっ、隊長……!?す、すみません、やだ、あたしったらこんなところで……!ちょ、ちょっと小椿、早くアンタも起きなさいよ!」

 飛び起きた清音は仙太郎を激しく揺さぶり叩き起す。同じようにまず不愉快そうに顔を歪めた仙太郎だったが、間もなく薄っすら開いたその視界に浮竹が映った途端、飛び起き清音の隣で頭を深々と下げた。
 なにも咎めているわけではないというのに、この世の終わりかのような深刻な表情でふたりとも恐縮するものだから、けらけらと笑ってしまった。恐る恐る顔を上げた二人に、浮竹は笑顔を向ける。
 年の瀬の多忙の中、会を企画し準備を進めてくれていた事には改めて礼を伝えなければならなかった。二人は神妙な面持ちで、真っ直ぐに視線を向ける。

「今年もありがとう。お陰で楽しく過ごせたよ」
「とんでもない……隊長の為なら、自分達何だってしますんで!」
「全く大袈裟だな、いつも」

 呂律の回らない仙太郎に、浮竹は笑った。気恥ずかしいとは思いながらも、結局皆に祝われると嬉しさが勝ってしまうのだ。一年に一度ならば、こんな日も偶には良いかと思う。何より大切に思う隊の皆から、同じほどの思いを返されるような幸せな時間であった。
 今年一年無事で過ごしてくれた事を、一人ひとりに礼を伝える事ができた。普段から積極的に挨拶や声をかけるようにはしているが、こうして互いに膝を割って酒を酌み交わすような機会というものはこういう場でしか無い。初めは恐縮している隊士たちも、やがて酒が回れば饒舌になる。
 今年も実に賑やかで良い会だった。一人、また一人とこの広い座敷から去り、残されたのは重ねられた皿やらお膳、それから酒瓶が無数に転がっている。この座敷と台所を忙しなく行き来するのは、片付けを担当する隊士らだ。
 ようやく最後の一人が這いつくばるように廊下へ出ていった背を見送り、浮竹はぐるりと部屋を見回す。後片付けに奔走する隊士達に何か手伝えるかと尋ねれば、首がもげそうなほど横に振られてしまった。
 もう休まれてください、とやんわりと断られ、せめてと酒瓶を拾い上げても取り上げられ、取り付く島もない。だがこれも毎年のことであった。片付けは彼らに任せることにして、浮竹はひんやりと冷たい廊下へと出る。
 賑やかな玄関の方面に背を向け、雨乾堂の方へと足を進めた。しんとした夜の隊舎には慣れているはずが、あの賑やかさがまだ耳の奥に残って珍しくもの寂しい。
 人の流れが落ち着いた頃に自宅へ帰ろうかと思っていたのだが、今からでも皆に紛れて帰ろうかと思うほどに今夜の隊舎はやけに寒々としている。
 千世は気づけば姿が見当たらなかったから、恐らく清音に連れられて先に帰ってしまったのだろう。一瞬彼女の執務室を覗いてみようかとも思ったが、真っ暗だった時の虚しさを思うと小恥ずかしいからやめた。まあ良いのだ、屋敷に戻れば会えるのだから。
 そんな事を思っていれば、ふと中庭を眺めるように内縁へ腰掛ける人の姿が目に入った。人気のない廊下だったから、物静かな人影に一瞬びくりとしたものの、それが千世だと分かれば自然と歩幅を広げその傍へと近づく。

「あれ、隊長……もう帰られたかと思ってました」
千世こそもう帰ったかと思ってたよ」

 浮竹は千世の横へと腰を下ろす。誰かの目に入れば良い雰囲気だと揶揄されそうなものだが、もう今更気にしようとは思わない。
 遡ること数日前、正式に婚約をしてそれぞれ親しい友人たちと、総隊長への報告は既に済ませていた。年末の慌ただしい時期という事もあってまだ隊の皆には伝えられていないが、年が明けたら何かの場で簡単にでも報告しようとは考えている。
 気分良さそうに足をぷらぷらと揺らす千世に何をしていたのかと尋ねれば、少しばかり酔い覚ましだと眠そうに笑った。あまり酒は呑んでいないように見えたが、勧められた分はしっかりと喉に流したらしい。この暗がりでも確かに、彼女の僅かに染まった頬の色がわかる。
 暗い中庭には石灯籠がぼんやり灯りを揺らしているだけで、特に面白い景色はない。だが、彼女が居ればそれが此処で石灯籠を眺める理由になってしまうのだから不思議なものだった。

「やっぱり今日は、皆に伝えられませんでしたね」

 そう言って笑う千世に、浮竹は申し訳ない気持ちで少し身体を萎ませた。良い機会だろうかと、元々彼女とは話をしていたのだ。だが会が始まれば互いに隊士に囲まれ示し合わせるような隙もなく、気付けば締めの挨拶を促されていた。
 だが、何も急ぐことではない。そう分かっては居るのだが、どうしてもそわそわと落ち着かない。早く公にしてしまえば、彼女と帰宅の時間をずらさなくても良いし、夕飯の買い出しも二人で出来るだろう。休日は最近出来た甘味屋に行って、帰りは古本屋を覗くのも良い。
 だが、いざ口にしようと思うと存外緊張をした。挨拶で緊張など今まで一度もしたことは無かったが、今夜任された締めの挨拶は柄にもなく手汗が滲んだ。結局雰囲気にのまれ、言えず仕舞いだったのだが。
 酔っ払い達の追い出しで少し気が紛れていたが、思い出すと情けなくて申し訳ない。はあ、と溜息を吐くと千世はくすくす笑う。彼女があまり気にしていない様子なのが、救いであった。

「実は、少しだけほっとしてしまいました」
「……それは、どうして」

 千世の思わぬ言葉に、浮竹は目を丸くする。慰めてくれている、というには少しズレているような気もする。彼女は悩んだように少し宙を見て、ううんと唸った。

「ええと……なんと言うか……まだ二人だけの秘密が続くみたいで」
「秘密か……まあ確かに、皆に伝えてしまえば隠すことなど無くなるからね」
「ああ、でも……違うんですよ。隠し続けたいとかじゃなくて……勿論、伝えたいという気持ちはあるのですが」

 そうもごもごと言って千世は口を閉じる。彼女が言わんとする事は、少しは分かるような気がする。長く二人の中で育んできたものを、公にする事が惜しいように思えるのだろう。どうして、と言われるとそれは言葉にし難い、きっと彼女と浮竹の中でだけ共有出来る特別な感情だった。
 浮竹はふふと笑って、彼女の横で暇そうにしていた手を取る。びく、と跳ねた彼女は逃げようとするが、手を引いて身体を寄せた。付近に誰も居ないとはいえ、隊舎の中庭周辺などいつ隊士が通りかかってもおかしくはない。
 少し怯えたように上目で見る彼女に、浮竹は顔を寄せる。そうして首をすくめながらも、完全に逃げはしないのだからおかしい。迫るように更に顔を寄せ唇を重ね、吸い付く甘さは少しだけ酒の匂いがする。
 つい今ほどの会の賑やかさが嘘のようにしんと静まった中で、口付けの合間に漏れる微かな声と吐息が水っぽく広がる。流石に此処を見られたのでは言い逃れは出来ないだろうかと、名残惜しく唇を離し笑った。

「こ、こんな所で……駄目ですよ、どうしたんですか……」
「まだ皆が知らないうちに、もう少し秘密を作っておこうかと思ってね」
「意味が分かりません……」

 千世は蒸発しそうなほど顔を赤くさせて、ぐったり頭を垂れる。
 きっと皆に報告した後は、隊舎で二人で過ごす時間は少なくなるだろう。彼女のことだから、隊士に余計な気を使わせるのも、妙な憶測を呼ぶような行動も嫌だと、過剰なほどに二人きりの場面を避けようとするはずだ。そして何より、夫婦という関係を考慮して、次の人事では異動が十分にあり得る。それは組織として致し方のないことだろう。
 だからこうしてこの隊舎で彼女と過ごすのも、あと幾ばくかも分からない。同じ屋敷で暮らし始めるとはいえ、出会い、最も長く時間を過ごしたこの場所の景色が変わってしまうのはうら寂しいものだ。
 何かを得ることは、同時に何かを失うことでもある。彼女との未来を意識し始めた頃から分かってはいたものの、徐々にその時が近づいているのだと思うと、幸せで満たされていながらも、同時に名状しがたい感情が湧き出す。
 薄暗いこの場所で、浮竹は彼女の姿をまるで目に焼き付けるように見つめていた。まだ頬の赤い千世は不思議そうに眉を上げ照れたように笑うと、さて、とおもむろに立ち上がる。帰りますかと呟く彼女を、浮竹は黙って見上げる。
 酒で温まっていた身体が徐々に冷め始めているのは浮竹も同じだったが、彼女の手を引き再び横へ座らせた。目を丸くさせている千世の手を握ったまま、するりと指を絡める。

「もう少しだけ此処に居よう」

 浮竹の言葉に千世は少し黙った後、こくりとひとつ頷き微笑んだ。
 特に会話も交わさないまま、ただぼんやりと二人して石灯籠の揺れる灯りを眺めるだけだというのに、その静けさに安堵する。指先だけを僅かに絡めたまま、耳に入る音といえば互いの呼吸くらいだ。
 初めて出会った時のことを薄っすらと覚えている。彼女はまだ霊術院の制服を着て、十三番隊へ体験入隊に来ていたのだった。書庫で調べ物をしている間にうっかりうたた寝をしていた所を偶々彼女に見つかり、互いに驚いた拍子に積まれていた本の山が崩れ大変なことになったのだ。
 あれから随分と経った。あの出会いから、互いに愛を誓い合う関係になろうとは誰が思うだろうか。その横顔を見つめながら、浮竹は自然と笑みが溢れる。

「君と出会えて良かった」
「……や、やめてください、そんなお別れみたいに……」
千世は。千世もそう思ってくれるかい」
「そんなの当たり前じゃないですか……隊長と出会えた事を感謝しない日なんて、無いです」

 そうか、と浮竹は笑う。緊張かそれとも喜びか、心臓がどくどくと強く脈を打つのが分かる。汗ばんだ手を握り合ったまま、彼女の自信に満ちた眼差しが眩しい。
 その真っ直ぐで素直な眼差しに惹かれて仕方がなかったのだ。この先もきっとそれは変わらないのだろうと思う。そして願わくば、ずっとその眼差しの先に自分だけが居続けたい。一生をかけて彼女を守るには、十分な理由ではないか。
 浮竹は千世の手を引き、その存在を確かめるかのように腕の中へと収める。静まり返った隊舎の中庭で心細く揺れる石灯籠の灯りだけが、二人の姿を知っていた。

2023/12/29