昼のない世界でもよければ

21日

 

昼のない世界でもよければ

 

 日が沈み始めた頃から、はらはらと雪が降り出した。師走に入り二度目の雪だ。
 前回の雪は朝にはもう止んでいて、なんだ、と少し拍子抜けをしたのを覚えている。雪はそう珍しいものではないのだが、その冬の雪の降り初めというのは不思議と胸が躍るものだ。
 しかし今夜の雪は止みそうにない。前回と同じく少しすれば止むだろうかと、暫く雨乾堂で書類を整理しながら待っていたのだが時間が経つほど激しくなっていくばかりである。参ったなと、空からぼろぼろと落ちてくる雪を見上げながら浮竹は眉を曲げた。
 屋根も垣根も瞬く間に雪化粧をして、石灯籠に点々と薄ぼんやり照らされた庭の景色は一気に冷え冷えとしている。思わず身震いをし隊長羽織の袖に手をしまうと、再び部屋に戻り散らばった書類を一纏めにした。
 昔の自分であればこのまま雨乾堂で過ごしてしまうのだが、今は自宅に帰る理由がある。渡り廊下を抜け、夜警や最終任務から帰還した隊士らと挨拶を交わしながら、浮竹は颯爽と廊下を進む。
 とその時ふと脇の襖から突然現れた姿と、あわや衝突寸前で避けた。

「あ、あれ隊長……まだいらっしゃったんですか」
「いや、千世こそ……もう帰っていると思った」

 お互いに目を丸くしながら、暫く無言になる。恐らく彼女も今丁度、帰宅する様子である。しかしまだちらほらと隊士の姿が行き交う隊舎で、これ以上の会話は出来ず押し黙った。
 帰宅の時間をずらしたいがためにこれ以上暇を潰すのも、もう限界に近い。恐らくこの先雪は激しくなるだろし、そうなればいよいよ泊まり込みになるだろう。
 恐らく無言のまま互いの意図を汲み取り合ったのか、二人は自然と距離を取ったまま廊下を進み出す。どこかぎこちなく取ってつけたような業務の会話を交わし、日中、人目につく場所でのような至って普段通りを装った。
 夜分、人の目が少ない場面でどうしても気が抜けやすい自覚が出始めたのはここ最近のことだ。自宅で彼女と二人だけで過ごす時のように、顔がうっかり緩みかける。普段厳しい表情をしている訳でもないが、千世と過ごしている自分の表情がどれほど甘ったれたものかというのは分かっていた。
 もしかすれば、彼女と夜を恋人として過ごしすぎてしまったのかも知れない。まだこの関係が始まる前、部下である彼女と過ごすのは圧倒的に日の高い時間帯ばかりであった。だから恐らく、今でも昼間はその関係性が染み付いて何ら違和感なく、普段通りに過ごすことが出来ている。
 だが夜を過ごした時間は恋人としての関係が始まってからの方が、今は圧倒的に長い。日が落ちてから見る顔や声や仕草に、きっと慣れ過ぎてしまったのだ。だから夜になればそこが隊舎であっても、彼女の姿にうっかり目尻が下がって口元が緩む。
 雪駄を履き、二人は隊舎を出る。幸いにも隊士の姿を見ることは無かったが、あくまで偶々帰宅の時間が被ってしまっただけなのだと、二人は示し合わせたかのようにそういう様子を装った。
 傘をささねば一瞬で雪だるまにでもなりそうな量だ。吹雪ほど風はなく、ただひたすら大きな雪がぼろぼろと降り続けている。石畳にはまだ誰の足跡も無い真新しい雪道が続くが、あまりに暗くてその先が見えない。
 ぎゅうぎゅうと、真新しい雪を踏みしめ進む感覚は、冷たくて痺れるが嫌いではなかった。

「酷い雪ですね」
「ああ、本当に。こんなんじゃ誰も外に出んだろうな」
「確かに誰の気配も無いですし……このまま一緒に帰っても大丈夫でしょうか」

 少し距離を詰めた千世が、そう言って隣を進む浮竹を見上げる。浮竹は一瞬耳を澄ませてから、彼女の言葉に頷いた。こんな大雪の真夜中に出歩くもの好きは居ないだろう。この大雪では視界は無いに等しく、物見櫓での夜警も恐らく今日は撤収しているはずだ。
 広い瀞霊廷の中で、不思議とまるで二人きりかのように錯覚するほど静かだ。雪が暗闇から深々と落ちる無音が冷たくて、だがしかし心地よい。
 隣の彼女を見ると、その横顔は襟巻きに鼻まで埋めながらも笑顔が隠しきれていない。少し覗いた頬の紅さに浮竹は手を伸ばし、手の甲で触れる。ひんやりと冷たいその肌に、熱を分けるように触れてやると千世ははっと目を見開いて浮竹に顔を向けた。

「可哀想に、こんなに冷えて」
「だ、だめですよ隊長、こんな所で」
「なに、誰も見て居やしないよ」

 浮竹がそう言うものの、彼女はどこか不安げに眉を曲げ、逃げるように少し距離を取った。このまま二人で仲良く浮竹の屋敷へ帰るというのもよっぽど大胆だとは思うが、人の目があってもおかしくない場所で、素肌へ触れられる事への不安なのだろう。
 浮竹はふと足を止める。と、彼女も数歩先でつられて立ち止まった。また雪が一段と強くなっている。少し立ち止まっただけで、傘に積もりそうな程だ。

「……隊長?どうされたんですか」

 千世の不思議そうな様子に、浮竹は立ち止まったまま手招きをする。首を傾げた彼女は浮竹の元へと近づくが、まだ距離がある。もう少し、とでも言うようにさらに彼女を呼ぶと腰を屈め、何ですかと見上げた彼女のぽかんと開いた唇へと口付けを落とす。
 びく、と飛び跳ねた彼女は手から傘を取り落としたが、浮竹の持つ傘で二人の頭上を覆い、構わず舌を差し込んで続けた。口内以外の触れる肌が冷たくて、だからこそうっとりするほど口付けの熱が心地良い。柔い唇に吸い付き舌をぬるりと絡ませ、甘く痺れ始めるとそのまま名残惜しく離れた。
 千世は目を潤ませながら、唇を濡らして怒ったようにもう、と顔をぎゅっと顰める。自ら舌を差し出していたのだから、怒られた所で痛くも痒くも無いのだが。
 落ちた傘をふらふらと手にして、まとわりついた雪を払う。まだ怒っている様子を背中に見せながら、千世はずかずかと雪を踏みしめ進み始めた。浮竹は大股で彼女を追うと、その横を笑顔で歩く。

「誰かに見られてたらどうしよう……」
「明日のお楽しみだな」

 浮竹の言葉に千世はまた更に顔を顰めて、膨れっ面のまま足を早めるから、思わずくすくすと笑う。
 こんな大雪の真夜中に、どうせ誰も見ていやしないのだ。少し前を行った千世の背中が霞むくらいの視界だ。それが浮竹は僅かながら、面白くないと、思わない訳でもなかった。

2023/12/16