夕べには花だったのに

21日

 

夕べには花だったのに

 

 昔から、自分が素晴らしいと思ったり、良いと思ったものやことはできれば皆にも教えてやりたい性質だった。
 花見の穴場や面白い書籍、甘味屋の新作が美味しかったとか、あの店で買った半纏が暖かくて良いとか。世間話程度のこともあれば、鬼道の扱い方や斬術、歩法についても伸び悩む者がいれば声をかけるようにしていた。
 何も無理に勧めるという訳では無い。単に良いと思うものを自分独りだけが知っていても意味がないと思うのだ。情報の取捨選択は、当人が判断してくれれば良い。

「隊長!聞こえてますか?」
「ああ、いや悪い。ぼうっとしてたよ……」

 ぼやけていた焦点を彼女へと戻し、悪い悪いと頬を掻いて笑う。千世は不安そうに少し眉を曲げると、襟元を軽く合わせ、帯を腹のあたりに当てて見せる。
 若緑色の生地に金の糸で大きな菊が描かれている晴れ着だ。生成り色の唐織の帯を合わせて、上品に纏まっている。
 隊舎からという荷物が浮竹から浮竹宛に届いたのが午前中のことだった。珍しく玄関の外から呼びかける声に、詰碁を中断すれば荷物の配達だと言う。
 確認すればそこそこ大きな風呂敷包みで、何かを購入したような記憶も荷物を送った覚えもない。一体何かと思いながらも受け取ると部屋に運び込み、風呂敷包みを広げれば中は桐箱で、呉服屋の焼印が入っている。
 開こうと手をかけたとき、洗面所から飛んできた千世がそれを静止した。何やら先日新年に向けて晴れ着を新調したのだという。たまたま通りかかった呉服店で色合いと柄に一目惚れをし、決して安くはなかったが思い切って仕立てて貰ったのだという。
 仕立てた晴れ着をこの屋敷に直接届けてもらう訳にはいかず、一度隊舎に送ってから浮竹の名を借りてこの屋敷へ届けて貰ったということだった。成程そういうことかと合点する。
 ただ珍しい、と思った。彼女はあまり金を使う事に対して興味がないのか物欲がないのか、あれが欲しいとかこれが欲しいと言うところを見聞きしたことがあまり無い。全くないかも知れない。
 よほど気に入ったのだろう。いそいそと桐箱を客間へと運び早速準備を始めた千世の小さな鼻歌が、襖越しに聞こえ思わず口が緩んだ。詰碁に再び戻りながら待っていると間もなく、襖がかたかたと揺れ、軽く羽織った姿の彼女が顔を覗かせる。
 思った通りの仕立て上がりが嬉しかったのか頬は紅潮し、自信ありげに腕を伸ばして袖を見せる。きっと浮竹に一番に見てほしかったのだろう。どうですか、と嬉しそうな様子をぼんやり眺めながら、うっかり胸がぎゅうと詰まったのだ。

「似合うよ。とっても」
「ほ……本当ですか?変じゃないですか?」
「どうして疑うんだ……似合ってるよ。良い色じゃないか。柄も良い」
「さっき呆然とされてたので……似合わないからどう返そうか迷われてるのかと……」

 何を言っているんだと、浮竹は笑う。見惚れたと言ってやれば良かっただろうか。だがあまり素直に気持ちを伝えすぎては、彼女のことだからどんどん恐縮してしまうだろう。ご機嫌そうに口元を緩ませているから、きっとこれで良い。

「お年賀のご挨拶は、これで参ろうかと思っているのですが」

 千世の言葉に、浮竹は笑顔で頷いて見せる。そうだろうとは思っていた。
 毎年元日には一番隊舎に各隊の隊長副隊長が招集され、新年の挨拶と抱負を語らされる恒例行事があった。服装は自由で、特に女性は晴れ着で参加する者も居たが、今まで千世は気が引けると言って死覇装だったのだ。
 折角気に入った綺麗な晴れ着を仕立てて貰ったのだから、そんなのに良い機会は無い。
 しかしどうにも、素直にそれを認められない歪んだ部分が、己の中で見え隠れしているのは確かであった。
 今はまだ軽く羽織って合わせているだけでも目尻が下がるほどだというのに、当日は白粉を塗り紅を差し、着付けて髪も結い、揺れる髪飾りでも挿すのだろう。
 美しいものは皆に共有されるべきだと思う。桜だったり、燃えるような山の紅葉や、輝くような黄金色の銀杏もそうだ。美術品や盆栽も同じように、皆に見られて価値が発揮されるものだと思う。
 しかし彼女の姿だけはその信条に反して、いっそ隠してしまいたいと思った。いつからそう思うようになったのだろう。まだ未熟だが伸びしろのある面白い子が居ると、昔は彼女の存在をもっと皆に知らせたいはずだった筈だ。

「や、やっぱり、派手すぎますかね……」
「そんな事はないよ。去年は松本君が真紅の振袖を着てきたろう」
「だって乱菊さんは、それが似合ってますから……やっぱりやめようかな、死覇装の方が落ち着きますし……」

 浮竹の様子を妙に感じてしまったのだろうか。彼女はそうもじもじと悩んだ様子で肩から着物を落とす。浮竹は手元の本を置き立ち上がると、彼女の元へと歩み寄り落ちた襟を肩へとかけてやる。
 なんと大人げないのだろうかと、己の浅はかな感情が忌々しい。折角彼女が楽しみにしていた晴れ着だというのに、己の単なる独占欲で台無しにしてはあまりに可哀想だ。襟を直してやりながら、見上げる彼女に笑みを見せる。

「これだけ似合うんだから、早く皆に見せてやりたいな」
「えっ、そ……そうでしょうか……ふふ」

 漏れ出る笑みを抑えられない様子で、千世はそう頬を赤く染める。これが恐らく正しい感情なのだろう。分かってはいるが、しかしむずむずと歯がゆい。
 せめて、その姿を見せてやろうとも、自分のものには変わりないのだとそう納得するように、彼女の背に手を回しきつく抱き寄せる。
 腕の中にこの熱が確かにあるうちはその浅はかな感情も多少は紛れて、己に呆れずに居られるのだった。

2023/12/12