四隅の雨粒

21日

 

四隅の雨粒

 

「やっぱり、私走っていくので……」
「どうして。隊舎まであと少しだろう」
「そうなんですが……」

 千世は精一杯身体を縮こまらせながら、雨の打ち付ける石畳の上を歩いていた。
 空に向かって広げられた傘の柄を握るのは、隣を歩く浮竹である。しとしとと振り続ける冷たい冬の雨を避けるように、この僅かな空間に二人で収まっている。明らかにおかしいこの状況に千世は何度か離脱を表明しているのだが、周りに誰も居ないとか、あと少しだからとか理由をつけられ却下されている。
 年末の挨拶で一番隊舎へ顔を出した帰り、ぽつぽつと雨が降り出したのだ。往路は良く晴れていたはずだからまさか傘の用意などしているわけもなく、暫く隊舎門で雨宿りをしていた。
 だがしとしとと冷たい雨は一向に止みそうになく、困り果てていれば通りがかりの一番隊士が良ければと親切にも一本の傘を貸してくれたのだった。
 助かった、と思ったものの傘を半分こには出来ない。流石に相傘をするのは人の目もあるから難しい。先に帰られてくださいと、千世は浮竹に傘を譲った。自分はもう少し雨宿りをして、雨脚が弱まった頃に帰ろうかと思ったのだ。
 しかし彼は傘を開くと当たり前のように手招きし、ぽかんとしている千世を傘の下で待っている。いやいや流石に、と遠慮をしたものの、彼の悲しげな顔に負けて渋々同じ傘の中へと収まってしまった。あまりに軟弱な意思である。
 手を握っているわけでも、腕を組んでいるわけでもない。精一杯千世は身体を小さくして一寸も触れないようにして、顔見知りが通りかかれば、急な雨に振られちゃって、と困ったように笑って頭を下げてみたりした。
 しかし、こうして堂々とした姿は逆に勘繰られないのだろう。白い羽織は目を引くから視線を感じはするものの、好奇の目という訳ではない。とは言っても人の目がある場所で距離が近いとそわそわと落ち着かず、早く隊舎に辿り着かないものかと内心は焦っていた。
 とその時、ふと正面の曲がり角から現れた姿に千世は思わずぎくりと足を止める。つられて立ち止まった浮竹は不思議そうに千世を見て首を傾げたが、間もなく正面の姿に気付いたようで軽く手を上げ挨拶した。
 伊勢はその場で立ち止まったまま、目を丸くさせている。顔見知り程度ならばまだ良いのだが、彼女とはそれなりに付き合いも長く、怪しい様子を見せればその眼鏡の奥の鋭い視線で見透かされそうでもある。そのまま会釈で通り過ぎようかと画策したのだが、つかつかと向かってくる姿で諦めた。

「お出かけ……ですか?」
「元柳斎先生に年末の挨拶をね。八番隊はもう済ませたのかい」
「はい、京楽隊長がお一人でもう済まされたようで……それでその、どうしてお二人は同じ傘に……?」

 気になって堪らなかったのだろう。彼女は千世と浮竹とを交互に見て、不思議そうに眉を曲げる。

「急に雨に降られてしまったんだよ」
「傘一本だけお借りできたので、仕方なく」
「ああ……そうですよね。その他にありませんよね」

 伊勢は一人納得するようにうんうんと頷くと、眼鏡の蔓を僅かに上げた。

「でも本当にお二人は何と言いますか、仲が宜しいんですね」
「いや、七緒さん、これは本当に傘が一つしか無くて致し方なく……」
「分かっていますよ。別に仲が宜しいのは良い事じゃありませんか、お二人はやましい関係という訳でも有りませんし」

 やましい、と言われると何とも返し難い。後ろめたい関係ではないが、知られては困るからとひた隠しにしているのは事実だ。
 そうですね、と彼女の言葉に頷きながら浮竹をちらと横目で見上げると、彼は無言で笑んでいる。意味ありげな笑みを浮かべては勘違いされるでは無いか、と冷や汗が浮かぶが、当の伊勢は特に気にはしていないのかけろっとした顔をしている。
 まさか微塵も二人の関係性を疑っていないという事なのだろう。少なくとも千世が浮竹に対して異常な憧れを抱いている事は伊勢も知っているはずだが、よもや交際に発展する可能性など万が一にも無いと思われているのだろう。
 確かに普通に考えてみれば、天と地がひっくり返ってもあり得ないと思っていた。浮竹のように隊長の手本のような死神が、部下に対して信頼以上の感情を抱く筈がない。
 それを承知で憧れ慕っていたはずが、気づけば将来を考える相手になっていた。それに至るまでの確実な歩みはあったのだが、過程を知らない者からすれば、途中で天変地異でもあったのではないかと疑られても仕方ない。時の流れはつくづく不思議なものだと思う。

「あら、雪ですね」
「本当だ。予報では晴れだったはずだが」

 伊勢の言葉に傘から顔を出し空を見上げれば、先程のしとしと雨から一転、ふわふわとした雪が確かに落ち始めていた。挨拶を終え、一番隊舎を出たあたりから急激に冷え込んできたと思っていたのだ。
 この軽い粉雪では、傘を差している意味は無い。伊勢が傘を畳むと、浮竹もどこか渋々といった様子で傘を下げ閉じた。助かったと、思わず胸をなでおろす。
 雪が本降りになる前に、と頭を下げ去っていった伊勢の背中を見送り、湿った石畳の上をぴちゃぴちゃと足音を立て、二人は再び並んで歩き出す。間に人が一人立てるくらいの距離を置き、半歩下がって彼を追う。一番落ち着く距離だった。

「傘、要らなくなりましたね」
「ああ、残念だよ。本当にね」

 はあ、と嘆息して心底残念そうに空を見上げる浮竹に、千世は思わず眉根を寄せる。やはり、相傘は敢えてのことだったのか。恐らく普段の彼ならば、もう一本借りれるか聞いてこようとか、一緒に雨が止むまで待とうかと言ってくれる事を少し期待していたのだ。
 だが敢えて疑われても仕方ない真似をする意味は一体何だというのか。変に噂をされても、きっと彼にとって良いことなど無いはずだというのに。まさか噂をされても良いというならば、意味はわかるのだが、だがそれはつまり。
 いつまでも答えを預けている千世に対して、彼のやんわりとした催促だとすれば胸が痛い。まだ結婚を申し込まれた実感が湧かず、どう返せば良いか言葉が決まらずにいる。勿論、このままで良いなどとは微塵も思っていないのだが。
 雪がはらはらと落ちる中、流れる絹糸のように輝く彼の白髪を追いかけていた。

2023/12/10
お題箱ありがとうございました!