くすんだり揺れたりしながら

21日

 

くすんだり揺れたりしながら

 

 今日は朝からひどく眠かった。書庫から持ってきた本をうっかり昨晩読み耽ってしまったのが悪い。
 昨日、千世が探している本があるというから二人して書庫を捜索していたのだが、その最中にいくつか懐かしい背表紙を見つけて拝借してきてしまったのだ。
 昔読んだものだから大筋の記憶はあったが、細かい部分については忘れてしまうものだ。うっすらと残る記憶を掘り起こしながら読み進めていれば、気づけば明け方近くになっていた。
 昔から読み終えた本は処分するのも勿体ないからと、隊の蔵書として寄贈していたのだ。その書庫も昔はよく隊士が出入りしていたものだった。だが、どうやら近年では伝令神機の進化によって電子上でも本が読めるようになったようで、若い隊士はかび臭い書庫にはすっかり寄り付かなくなってしまった。
 現世の技術を真似たものらしい。嵩張らないし便利だと清音からは勧められたのだが、使いこなせる自信もなく、慣れた紙の方が好みだからと今は遠慮した。
 新しいものを遠ざけている訳ではなく、自分自身の適正を見てのことだ。という言い訳も、年寄りくさいと言われて仕方ないか。
 浮竹はひとつ欠伸をすると、紙をまた一枚捲くる。これだけ眠いというのに、物語の続きが気になって頁を進める手が止まらなかった。行儀が悪いと思いながらも、昼食を取る合間に読み進めている。

「隊長、珍しいですね」
「ああ、千世も昼休憩かい」

 ふと顔を上げれば、盆を持った千世が正面に腰掛ける。丼から立ち上る湯気を顔に浴びながら、満足気に手を合わせた。
 浮竹は中断しようと栞を取り出すと紙を捲る。と、ふと挟まった懐紙が現れ首を傾げた。そっと取りだし折りたたまれた中を開くと、何の種類かは分からないが押し花が現れた。

「押し花……ですか?ご趣味でしたっけ……?」
「いや、趣味というわけじゃ無いんだが」

 何だったかな、とその平たくなった花を見下ろしたが、間もなくふと蘇った記憶にああ、と声を漏らす。不思議そうに眉を上げた千世に、何でも無いよと浮竹は笑った。
 まだ彼女が席官に上がって間もない頃だっただろうか。隊の野外演習場の付近を通りかかると、竹籠を手にしている千世の姿を見かけたのだ。
 よく見れば片手には鋏を持っており、一体どこに何の為向かっているのか分からない。すぐに声をかければ良かったのだが、不思議な様子に声をかけずらく、時機を逃して尾行するような状況になってしまった。
 彼女がやがて立ち止まったのは、手入れのされていない草木があちらこちらと生い茂る、誰も足を踏み入れないような一帯である。彼女は迷うことなく、慣れたように掻き分け進んで行く。ますます興味を引かれた浮竹は、まっすぐその姿を追ったのだった。
 少し草木を分けて進んだが彼女の姿は見当たらず、きょろきょろと見回す。と、間もなく隊長、と不思議そうな声でどこからか呼ばれた。黙って後をつけていた負い目のあった浮竹はびく、と身体が自然と跳ねたが至って平常を装った。
 彼女がしゃがみこんでいるそこだけは草が低くなっている。手に鋤と鋏を持っているところを見ると、どうやらそこで何かを採取しているらしい。
 たまたま通りかかったからと適当な理由を言えば、素直な彼女は成程と容易く信じてくれた。浮竹は彼女を真似るように、その傍に屈んで足元を眺める。するとそこには青みを帯びた紫色の可愛らしい花が弾けたように、その花弁を広げて咲いていた。
 彼女に聞けば、この一面に咲く桔梗を採取しに来ていたのだという。その根が漢方としての薬効があるようで、この季節になると群生している此処へ採取しに来ているらしい。
 どうりでその手は土だらけだ。掘り出した桔梗の根と、花の付いた茎とを切り分けて籠に入れている。彼女はまさか浮竹に見つかるとは思わなかったのか、照れくさそうにもごもごと説明をしながら慣れたように手と鋤で土を掘り根を綺麗に取り出す。
 眺めているだけというのも何だからと、浮竹も傍の桔梗の根本を掘ってみれば、千世は慌てたように止めた。だが折角だからと彼女に倣ってみるものの、存外土が固く、傷つけてしまいそうで難しい。
 それがどこか悔しくて、彼女に頼んで教えて貰いながら、ようやく綺麗に立派な根を掘り出すことが出来たのだった。二人で手を土だらけにしながら味わった得も言われぬ達成感は、何とも心地が良かった。
 必要な分集まったと言う彼女は籠をごそごそと漁り、花の付いた茎を一つにまとめて浮竹へと差し出す。手伝ってくれたお礼だと言う彼女の頬は仄かに色づき、折角の申し出を遠慮しては申し訳ない。
 可愛らしい花がたくさんついた桔梗の花束は、花屋で売るような小綺麗なものでは無い。しかしその素朴な様子が気に入ったのだった。
 自室に帰った後は花瓶に挿したのとは別に、花をいくつかもいだ。そのまま枯れて朽ちてしまうのが寂しいように思えたのだ。だから押し花にしてしまおうとそんな安易な考えで、当時丁度読み終えたばかりの本の中ほどに、懐紙と共に花を挟んだ。
 結局、そのまま長い間すっかり忘れてしまっていたのだ。桔梗は水分が抜け平たくなって、色は少し褪せてしまったがその上品さは変わっていない。少し前の記憶だというのに、これだけ鮮明に蘇るのだから、意識はしていなかったものの印象深かったのだろう。

「……隊長、どうかされましたか?」
「いいや。色々と思い出したことがあってね。……ああほら、親子丼が冷めるよ」

 不思議そうに疑問符を浮かべていた彼女だったが、あ、と千世は浮竹の指摘に箸を持ち直し、卵と鶏肉を持ち上げ口に運んだ。途端に幸せそうな表情で咀嚼する様子を、浮竹は本を閉じて眺める。
 この何とも無いような今の光景ですら、何十年何百年経っても思い出せそうなものだ。眠い頭に記憶を焼き付けるように、湯気と共に流れてくる出汁の香りを胸一杯に吸い込むのだった。

2023/12/7