今も昔もまぼろし

21日

 

今も昔もまぼろし

 

 箸で持ち上げたところてんを口に運ぶ。酸っぱい旨味が口中に広がり、そのまま全身に染み入るようだ。黒蜜と三杯酢で迷ったのだが、疲れには酢が効くという連れの言葉に従い正解だった。
 定例の隊首会を終えた後、小腹が減ったという旧友に声をかけられたのだ。特に予定もなかった浮竹が了承すると、ほど近いこの店へと連れられた。
 京楽のことだから熱燗の一本でも楽しむのかと思いきや、行き先がこの新規開店したばかりの甘味屋であるというのは意外である。珍しいなと聞いてみれば、どうやらまだ伊勢の巡回範囲になっていないからなのだと言う。
 隊首会のあとくらい羽根を伸ばしてゆっくりしたいと、大きく伸びをする姿に浮竹は眉を曲げて笑った。万が一伊勢に発見されれば、同罪だとしばかれるだろうか。
 しかし新しい甘味屋がこの辺りに出来ているとは知らなかった。以前は古い屋敷が連なっていたはずなのだが、いつの間にか取り壊され再開発が行われていたらしい。あまり通ることがない方面だったから知らなかった。
 木の香りがまだ残る店内は、夕方近くになって人の流れが丁度途切れたのか貸切状態である。

「なんか最近、様子変じゃない」
「……何が」

 白玉に餡を絡ませ口に運んだ京楽は、正面に腰を掛ける浮竹を顎で指すと気だるそうに咀嚼を続ける。浮竹は眉根を寄せて彼を見返すと、箸で持ち上げかけていたところてんを器へと戻した。

「何かあったんだろう」
「別に。何も無い」
「今更誤魔化そうとしなくたって良いじゃない……どうせ千世ちゃんの事だろう」

 京楽の慣れたようなどこか呆れさえ感じる様子に、浮竹は無言で湯呑の茶を口に含む。
 今まで何かがある度に彼からは指摘されてきたものだ。千世に対して妙な感情を覚え始めた時、彼女との交際が始まった時、彼女に怒られて落ち込んでいた時にも同じように声をかけられた覚えがある。
 どれも表面に出しているつもりは勿論無い。今は隊舎に戻って何の仕事から手を付けようかと考えあぐねているところであった。別に「何かあった」ような表情をしていた自覚はなく、浮竹は再び顔をしかめる。
 しかし学生時代からの付き合いとなれば流石と言ったところか、彼の指摘は間違っていない。何かあったのは事実である。というのも、千世への一世一代の申し出を保留にされたまま、かれこれ数日が経過した。
 勿論それをまだ誰にも言ったことはない。答えを貰っていないのだから当たり前だった。悩んだところで解決するような問題では無いのだが、一日経つごとに焦燥感が徐々に腹の奥へ積もっていくのが分かる。淡い粉雪でも、降り積れば屋根や生け垣に厚い層を作る。

「だから何さ」
「……は?」
「さっきからその辛気臭い顔をやめて欲しいんだけど」
「そんなつもりは無いんだが……いや……そんな目で見るなよ」

 じっとりとした視線から逃げるように、浮竹は顔を逸らす。ついでに店を見回したが、店員は厨房に引っ込み姿は見えず、そして相変わらず客の出入りはない。いい歳をした男が二人、こそこそと顔を近付け会話する姿はどちらかといえば見苦しい方だろうが仕方ない。
 声を潜め、京楽にぼそぼそと呟けばその眠たげな目を見開き僅かに顎を引いた。それからへえ、と一つ漏らす。それなりに驚いたのだろう。

「へえ、やっとかい」
「やっとと言われるほど、遅くはないと思っていたんだが……」
「でも辛気臭い顔をする理由が分からないなあ。目出度いじゃないの」
「いや、それが……何というか……まだ答えを待ってる」

 ああそう、と京楽は特に気にも留めず、へえと頷き茶をすする。それだけか、と口をついて出そうなほどあっさりとした返答である。あろうことかその後欠伸まで見せた。浮竹の中でそれなりに大きな懸念だったのだが、そう流されるとは思わなかった。
 暫く黙り込んだまま、浮竹は器に残っていたところてんを口に運ぶ。興味がないというよりも、断られる可能性など毛頭ないと思っていてくれるのだろう。
 実を言えば、浮竹自身も初めはそうだった。受けてくれる自信が十割なければ、結婚の申し込みなどうっかり出来るはずがない。
 鳩が豆鉄砲を食ったような彼女の、あの目を丸く見開いた顔を思い出す。答えは何もすぐでなくても良いと、そう伝える他なかった様子を思い返す。まさかあの足元も覚束なくなるほどの動揺を見て、答えを迫ることなど出来るはずがないだろう。
 だがそれが結局今の自分をじわじわと焦らせる結果となっていて、京楽から辛気臭い顔だと指摘されるのだから世話はない。期待が不安に変わり、一日過ぎていく毎にじわじわと焦燥に迫られている。

「いやあ目出度いねえ。甘酒でも頼もうか」
「祝うのはよしてくれ、まだ答えを貰えていないんだ」
「まあそれは置いといて。お前がお前の将来を考えたんだから、目出度いだろう」

 京楽の言葉に浮竹は一瞬黙った後、何を真面目に言っているんだと呆れて笑った。口角を僅かに上げながら、目の前の眠そうな目をした男は厨房に向かって甘酒二杯を注文すると、気だるげに大きく伸びをする。
 とても隊の部下たちに見せられたものではない怠惰な午後だったが、これ以上無いほど居心地が良いことは確かだった。

2023/12/5