夜間ゆびさき不明

21日

 

夜間ゆびさき不明

 

「遅くなっちゃいましたね……」
「まさか射場副隊長がああも熱い思いを滾らせていたとはね」
「嬉しそうですね」
「そりゃあ嬉しいさ。彼が会長で居てくれるなら、男性死神協会は安泰だよ」

 石畳の道を小走りで進みながら、すっかり日の落ちきった漆黒の夜空を見上げる。
 昼過ぎから始まった男性死神協会の忘年会に、女性死神協会の代表としては松本と勇音、そして千世が参加をしていた。夕方には解散という予定だったのだが、もともと会が盛り上がり押していた上、興が乗ってしまったのか会長射場による締めの挨拶がまさかの長時間に及んだ。
 始めは皆静粛に聞いていたものの、やがて酔いが回っていた者たちは耐えきれずに居眠りを始め、挙句の果てには静かに途中退席をしていく者、再び酒を注文し飲み始める者と場は混沌とした。
 だが一方の射場は酒が回っている上に熱が入り、場の様子など気にしていないのか目に入っていないのか、男性死神協会の今後の展望を滔々と語り続けている。偶然にも最前列であった浮竹と千世は、せめて彼の熱に水を差さぬように黙って頭を垂れて聞き続けたのだった。
 彼の熱い思いは十分に伝わったものの、このままでは十三番隊の忘年会に間に合わない。彼が挨拶を終え、一丁締めが終わるやいなや二人はそそくさと料亭を出たのだが、この調子では遅刻である。

「瞬歩で向かいますか?」
「ああ、俺は構わないが……」
「………やっぱりやめておきます」

 千世は一考し、諦める。というのも、酒を少なからず飲んでしまったのだった。この後の事と、そして何より自分の酒癖を考えて乾杯の一杯とおかわりの一杯くらいで収めたのだが、仄かに気分が良い。この状況で瞬歩を使えば、思いもよらない方向へ飛ぶ可能性がある。
 浮竹も勧められるがままに熱燗を何本か空けていたはずだが、顔色を変えないどころか余裕さえ感じる。
 いっそ抱えて瞬歩してくれれば一番手っ取り早いのだが、周りの目がある中で流石にそんな事を頼めるはずもない。

「隊長……十三番隊舎に向かう途中、こんな道通りましたっけ……」
「近道があってね。あの雑木林が見えるかい、突き当りの」
「ああ、はい……結構背の高い木が……」

 浮竹が指すのは鬱蒼と木々の茂っている雑木林である。彼の先導するままにあまり踏み入れたことのない閑静な邸宅地を進んでいたのだが、その雑木林だけは手入れされていない妙な雰囲気を放っている。
 嫌な予感を薄っすらと覚えながら彼の後ろを追っていれば、突き当りで振り返った彼に腕を掴まれ、そのまま暗い雑木林へと引きずり込まれた。

「隊長、やけに暗すぎませんか……」
「長年手入れされてないようだからな……ただ此処を抜けると、角の呉服屋の裏手に出る」
「呉服屋……ああ、成程」

 頭の中に地図を思い浮かべた千世は、そう合点する。確かにこのまま石畳を道なりに進むよりは圧倒的に近道だ。とはいっても多少の距離はあった。背の高い木々が空を塞ぐ暗い林の中を、乾いた葉を踏みしめ小枝を割りながら小走りで進む。
 瀞霊廷内だというのに、まるで流魂街の不気味な森の中を進んでいるようだ。獣道のようになっているから、誰かしらは通って居るのだろうが。声を上げても闇に吸い込まれるような、自分以外に誰も居ないかのように錯覚するようなあの光景を自然と思い出し気が滅入った。
 木々の隙間から虚の一つや二つ、飛び出してきそうな様子に癖で柄を探すように腰に手を伸ばしたが、勿論帯刀などしていない。
 この寒さで徐々に酒も抜けてきたのだろう。冷静に冴えていく頭は、先程までの火照りとの落差でこの暗闇をやけに不安に感じているらしい。
 ざわざわと枝が風で揺らぐ音に、閉ざされた空を見上げながら進んでいれば、前方に居た浮竹の背へ思い切り突っ込んだ。額の鈍い痛みとよりも突然立ち止まった事に驚いていれば、振り向いた彼は目を丸くしている千世を見下ろして微笑む。

「ゆっくり行こうか」
「え?でも、もう会が始まってしまいますよ」
「大丈夫、仙太郎か清音が勝手に始めてくれてるさ。ほら」

 浮竹はそう振り返ると、左手を差し出しふらふらと揺らす。千世がぽかんとしていれば、ほら、としびれを切らしたように千世の暇な右手を掴んだ。思ってもいなかった行動に千世は息を止め、浮竹を見上げる。
 もしや不安が伝わってしまったのだろうか。だが彼はずっと前を向いていたから、千世の表情は見えていなかったはずなのだが。急に無言になったからだろうか。先程と比べれば半分以下ほどの速度で、獣道を横並びになって進む。
 吸い込まれてしまいそうな暗闇は時間が経つにつれて一層深くなっていくはずだったが、不思議と不安は反比例するように小さくなっていく。手を握られているだけで、実に単純なものだと思う。
 外れないように絡んだ指先は、冬の風に晒されて互いにひやりと冷たい。きっと手を外して、各々袖に隠してしまったほうが暖かいのだろうが、そんな気ににはならなかった。
 例え凍ってしまっても、手を放す事は無いだろう。少なくとも千世からは離さない。そしてきっと彼から放されることも無いだろうと、どこかそれは確信があった。
 もしかしたら共に歩んでいくというのは、こういう事なのだろうかとふと思う。だがそれを口に出せるほどの勇気が今は無く、握り返される柔い心地に口元を緩ませるだけなのだった。

2023/12/4