いたずら

おはなし

 

「隊長、トリック・オア・トリート」

 うまく言えたな、と千世は彼の前で一人満足げに頷いた。
 あまり馴染みのない西洋語で、なかなか覚えられなかったのだ。清音に紙へ書いて貰って何度か実践で練習をしているうちに、ようやく違和感なく暗唱できるまでに成長した。
 どうやらそれは、その可愛らしい響きに似合わず、菓子をくれなくては悪戯をするという、脅迫めいた意味の言葉らしい。この十月の末日に西洋で行われるハロウィンという行事で、多用される文言だと言う。
 行事の由来までは知らないが、この日は皆が仮装をして、トリック・オア・トリート、ハッピーハロウィンと言い合い、菓子を交換し合う楽しい行事だと聞いていた。
 尸魂界で近年になって流行り始めたこの行事を何度か迎えているが、毎回それとなくやり過ごしていた。楽しげな様子を見る分には好きだったが、自分がそれに混じるのはどことなく気恥ずかしかったのだ。
 だが今年は清音が一緒に隊舎を回ろうとやたらとしつこく、渋々彼女と同じつば広の三角帽を被って隊舎での菓子交換に興じたのだった。
 朱に交われば赤くなるもので、数人回れば気恥ずかしさなどどこへやら、すっかり今日一日をお祭り気分で過ごしてしまった。帰宅をしても少しそんな浮かれ気分が残っていたようで、おかえり、と出迎えた浮竹へ真っ先に披露してしまった。
 彼は少し笑んだ後に、千世を見下ろし頷く。途端に浮かれていたことが恥ずかしくなり、気まずく視線を逸した。すみません、と小さく呟く。

「どうぞ」
「………どうぞ?」
「トリック・オア・トリートと言うから。どうぞ」
「ええと……お菓子で良いのですが……」
「子供たちに配り終えてしまってね、もう無いんだ。だから、どうぞ」

 浮竹はそう言って、千世の前で直立する。
 毎年彼はこの日に休日を取り、近所の子供たちに菓子を配って回っているのだという。去年は子供たちのために用意したという菓子のあまりを、確か貰った覚えがあった。今年はどうやらそのあまりの一つも残っていないらしい。
 だがそれが無いとしても、いつも何かしらおかきだったり落雁だったり、おはぎだったりを仕入れているはずなのだが。
 とはいえ、お遊びのようなものだ。何も本気で菓子をせがんでいる訳では無いし、持っていないからと言っていたずらをするような気もない。言ってみただけですよ、と千世は笑って彼の横を通り抜けようとすれば、通せんぼをするように彼の身体が割り込んだ。

「折角なんだ、いたずらしていきなさい」
「……い、いえ、そんな本気で言っているわけでは」
「俺はお菓子を渡せていないんだ。千世はいたずらをする権利がある」
「ええっ」

 この人は何を言っているのだと千世は眉間に皺を寄せれば、反面浮竹は満面の笑みを浮かべる。困惑する千世の反応を楽しんでいるのだろう。
 おそらくこのまま千世が逃げようとしても、平行線を辿るに違いない。いたずらを待ち望んでいる様子に、千世はううんと一瞬悩んだ挙げ句、脇腹を軽く擽るような仕草をした。

「……しました」
「そんなもので良いのか」
「ええ、はい……だって、そんな本気で言ったわけでは……」
「遠慮するな。こんな機会、あまり無いだろう」
「無いですが……別に隊長にいたずらしたいと思うことはあまり無いので……」

 未だに廊下を通らせてくれない浮竹を、千世はじっとり見上げる。変なスイッチが入ってしまったのか、彼は穏やかな余裕の笑みを湛えて千世の次なるいたずらを待つようだった。
 この状態になった彼が、その微笑みに似合わず頑固であることを過去の経験則から知っている。彼が納得するいたずらをしない限りは、もしやこのまま部屋にすら入れて貰えないのではないか。

「逆に聞きますが、隊長だったらどんないたずらをするんですか」
「俺だったら、か」

 彼は考えたように腕を組み宙を見る。暫くううんと唸った後、何か思い当たったようにハッとして、千世を見下ろした。

「何をしても良いのかな」
「え?……いたずらなら多分……決まりがあるのか分かりませんが」

 千世の答えに、浮竹はじっとその目を見つめる。まるで縫い付けられるような視線で、逸らすことが躊躇われた。これは恐らく彼の恋人として暫く過ごしていて培った勘であったが、あまり良い事を考えているとは思い難い。
 瞳の奥を探られるような、かつ何か見透かしたような眼差しに自然と心拍数が上がる。それを察してか彼は目を細めて微笑んだ。

「してやる方に興味が湧いた」
「は、はい……?」
「帰宅早々、引き止めて悪かったね。風呂でも沸かそうか」
「はい、ありがとうございます……」

 彼はくるりと背を向け、すたすたと千世を先導するように廊下を進む。身体の向きだけではなく話まで急激に方向転換した状況に、千世は暫くぱちぱちと目を瞬きながら立ち尽くした。
 まさかこれで終わるはずは無いのだ。いたずらに対してやけに執着を見せていた彼が、急激に興味を失ったという事はありえまい。
 こんなつもりで、トリック・オア・トリートなどと慣れない横文字を頑張って言ったつもりではなかった。彼だったら、はいどうぞとまるで子供を相手にするように、そして少しだけ呆れたように笑って、すんなりお菓子をくれるとばかり思っていたのだが。
 どうにも拭えない違和感に千世は眉を曲げる。だが間もなく、千世、と優しく呼ぶ声にまるで引っ張られるように、彼の背を追い歩き出す。
 やはり違和感は気のせいか。寝室から顔を覗かせ、千世を待つ彼の穏やかな笑みに、肩の力を抜くのだった。

 

ーーー
このあとしっかりいたずらされる

2023/11/1