秘密のままで教えてほしい

2023年8月18日
おはなし

 

 朝から隊舎が騒がしい。といっても皆が皆という訳では無い。恐らくだが、女性隊士の様子が際立って妙だ。どこか浮ついたような、色めき立つような、何とも言い難いがとにかく、普段と様子が明らかに違う。
 執務室までの道々、連れ立って歩く者達は千世の姿に気付かないほど集中して、何かこそこそと会話をしている。不思議に思いながらも、挨拶をすれば二人はびくりと背を伸ばして手元の何かをぱたんと閉じ腰を深く折った。
 ああ、あれだ。と千世の眼はその手元の何か雑誌を捉えた。そわそわとする女性隊士は皆、何やら同じ雑誌を手にしている。抱える腕の隙間からや持つ指の隙間から覗く裏表紙の広告欄を見るに、恐らく瀞霊廷通信だろう。そういえば今日が発売日だったか。
 創刊から長い歴史を持つ瀞霊廷通信は、毎月気づけば書店に並んでいるような印象だった。今月も檜佐木が封筒片手に瀞霊廷を駆けずり回ったのだろうと、彼の疲れ果てた表情を頭に浮かべながらいつも手に取っている。
 内容は巻頭の特集が数ページと、あとの大半は隊長陣の定期不定期連載、巻末に通信販売とお悔やみ欄がお決まりであった。毎月そこまで代わり映えはないから、今日のこの様子は珍しい
 何か変わった特集でも組まれているのだろう。飛ぶように売れるのはお年玉抽選券がついた新春号と、夏の女性隊士水着グラビア号だと檜佐木から聞かされた事がある。水着グラビアは二号前で既に終わっている筈だから、だとすれば何だというのか。しかも、どうして女性だけ。
 俄に興味を唆られるものの、わざわざ呼び止めて尋ねるのも気が引ける。帰りがけに書店に寄ろうかと考えていれば、突き当りの脇の廊下から現れた姿は千世の姿を見つけるや否やばたばたと駆け寄った。
 ぐいと腕を力強く掴まれ壁沿いまで引かれると、立ち止まり早速こそこそ話の状況となる。ねえ、と不敵に笑む彼女から一体何が飛び出すのかと、千世は身構えた。

「瀞霊廷通信、見た!?」
「いや、それが未だ見てないんだよね……何かあったの」
「うそ、知らないの!?何があったもなにも、ホラッ!」

 清音はそう興奮冷めやらぬような様子で雑誌を千世へと差し出す。と、目に入った表紙に千世は成る程と合点した。

「男性死神水着特集だったんだ」
「エッ!何落ち着いてんの、表紙は朽木隊長だよ!?」
「い、いや、驚いてるよ、朽木隊長か……」

 恐らく今世紀最大の苦労をしたであろう同期の心中は察するに余りある。表紙に映る憂いを帯びた表情を見下ろし、はあ、と思わず感心するように唸った。
 牽星箝を外した髪を優雅に風へ流し、雪のように抜ける白い肌が、日除けのために羽織った上着から覗いている。まさに上級貴族の静養といった悠々たる様子である。
 「死覇装の下に隠された魅惑の肉体美」と俗っぽく踊る煽り文さえ上品に感じるほど、朽木家当主としての存在感と気高さは圧巻であった。
 表紙を捲くれば、夏の砂浜で得体のしれない何かを砂で創り出す彼の姿が複数のカットで映し出されている。頁の隅の注釈を読めばどうやらわかめ大使と言うらしいが、その得体のしれなささえ、彼が手を添えていれば神秘的で尊く歴史的価値さえあるように思えた。
 成る程、と出勤早々から感じていた違和感に千世は納得する。砂の像へ向ける慈しむような眼差しと口元に薄っすら湛えられた笑みは、瀞霊廷の女性を俄に色めき立たせるには十分な理由であった。
 謎が解け晴れ晴れとした気分で、ありがとうと千世は満足に雑誌を閉じかける。が、清音によってそれは静止された。間髪入れず、次、と彼女は威圧するように次の頁へ進むように指示する。
 千世は彼女の命令通りに隅に親指を滑らせ捲くった瞬間、一瞬目に入った姿への動揺に思わず雑誌を取り落とした。

「な……なんで……」
「そうなの、浮竹隊長ひとっことも言ってくれなかったでしょ!?千世さんもやっぱり知らないんだ……いつ撮ってたのかホント分かんないんだよね」

 千世は動揺で微かに震えた指先が、清音にばれぬよう拾い上げる。一つ呼吸を置いて、再び雑誌を開くと、やはり先程一瞬目に入った姿は錯覚ではなかった。
 白哉と同じく夏の砂浜で溌剌とした表情を見せる水着姿の浮竹の姿が、見開きで数カット掲載されている。浜辺で日差しを手で避ける仕草や、海に浸かり飛沫を飛ばす様子、普段隊舎では見ることのない活動的な姿だ。
 とはいえ決して健康的とは言えない青白い血色だが、風に流れる長い白髪によって相対的に色味の均衡が保たれている。
 床に伏しがちではありながらも、長く隊長として過ごす彼の身体にはさすが無駄が無い。勿論筋骨隆々とまでは言えないが、白哉と比べても遜色はない。細身ながらも浮き出る筋肉がはっきりと凹凸を作り出し、それは思わずまじまじ眺めてしまうほどであった。
 しかしなにも彼との関係上、初めてその肉体を目にしたという訳では無い。見慣れているとまでは言わないが、その肌の心地や熱に触れて確かに知っている筈だ。だというのに、目の前に映るそれは不思議と別人のもののように見える。
 いつ撮影をしたのか、清音と同じくまるで聞いていない。この背景の見事な海を見るに、作りものでなく恐らく現世での撮影なのだろう。ならば余計に一言くらい言ってくれても良かっただろうと、紙面上で微笑む浮竹の姿をじっと見下ろす。
 これを、この瀞霊廷中の女性が目にしたというのか。太陽のもとで輝くような白い肌を大衆へ晒しているという事実が、どうにも身体をむず痒くさせる。
 動揺に似た、わかめ大使以上に得体のしれない何かを腹の底の方で覚える。初めて味わう苦い風味を飲み下しながら、その感想をあまり口に出さぬ方が良いものだということだけが、今は分かるのだった。

 

 清音に持たされた瀞霊廷通信の最新号を、千世は執務室に辿り着くや否や、椅子に腰掛け今一度開く。
 自分で買うから良いと言ったのだが、記念に何冊か買ったからと押し付けられてしまった。手元になければいっそ気が楽だったのだが、持たされてしまったのでは改めて確認をしたくなってしまうに決まっている。
 先程は廊下での出来事で、清音の前ということもあってしっかりと確認ができていなかったのだ。誰も居ない部屋だというのに、辺りをきょろきょろと見回した後、恐る恐る頁を捲くる。
 特集は白哉、浮竹の他に七番隊の射場、四番隊の荻堂とそして十一番隊の斑目がそれぞれ思い思いに海辺で過ごす姿が収められていた。幅広く需要を捉えた人選だと唸らずにはいられない。果たしてこれは檜佐木の人選か、もしくは誰かの入れ知恵か。
 しかし、改めて眺めれば皆良い表情をしていた。浮竹の裸体が晒されていることに対しての焦りさておき、皆普段見たことが無いような寛いだ表情を見せており、どのカットもそれぞれの魅力を引き出すような良い構図である。
 それは私的な一面をうっかり垣間見てしまったような、背徳感にも似た優越感を覚える。いや、恐らくそれが狙いなのだろう。
 恒例の女性隊士水着グラビア企画で培った技術か、檜佐木の並々ならぬ努力の証のように思え、しきりに感心する。だが、それと浮竹の裸体が瀞霊廷じゅうに晒された事はまた別の問題だった。
 その時、襖がかたかたと揺れた音に千世はびくりと跳ねて固まる。が、恐らく気まぐれな風だろう。力を抜きふう、と安堵の息を吐き出す。

「どうだった」

 縁側とを隔てる襖が勢いよく開き突然覗いた顔に、千世は潰れたような悲鳴を上げ椅子から転げ落ちた。腰を掛けていたというのに、腰が抜けた。畳の上に尻餅をつき、積み上げていた書類がばさばさと惨めに降り注ぐ。
 まさか縁側に浮竹が居るなど夢にも思わない。駆け寄った彼は千世を心配そうに覗き込みながら、手を差し出した。掴まれということなのだろうが、どこか気が引けてまるで赤子のように覚束ない足元を、机に掴まりながら立ち上がる。

「居るなら言ってください……」
「悪い悪い。初めは部屋で待っていたんだが、庭に随分立派な蝶が飛んでいてな」

 それを眺めるため庭に出ていたのだという。なんと気の抜けるような呑気なことか。浮竹はそう笑うと、千世の足元に落ちたままの瀞霊廷通信へと目線を遣った。
 どうだった、というのは恐らくこれの事を指してのことだろう。まさかその感想を聞くために、わざわざ執務室で待機していたというのか。
 千世は、あ、と声を漏らし拾い上げる。表紙の朽木家当主を二人で無言で見下ろしながら、浮竹の何か言いたげな様子に千世は心拍が忽ち上がりだすのを感じる。

「す、素敵でしたよ、爽やかで……夏っぽくて」

 喉が渇き掠れた声で、千世は答える。ちらと彼を見上げれば、そのぎこちなさを不思議に思ったのか眉を曲げ小首をかしげた。

「よく撮れていた自信があったんだが……だめだったか」
「えっ!?い、いや、だめじゃないです!だめじゃなくて、良いお写真だったのですが、何と言えば良いのか……」

 しゅんとした彼に、千世は慌てて弁解する。だが今の心情を表すのに適切な言葉が出ず、ええと、と詰まらせ浮竹をじっと見上げた。
 今口にした通り、良い写真であったのは違いない。快活な溌剌とした姿を見ることは少ないから、そんな一面を見ることが出来、彼を慕う者の一人として嬉しい。
 と同時に、普段は死覇装の下に隠された青白い肌を惜しげもなく誌面に晒した事に対して、表現し難い感情がふつふつと湧いて揺れる。恐らくそれは恋人でなければ知ることのない感情で、だが口にすると自分の料簡の狭さが明らかになってしまうようで恐ろしい。
 だがこのむず痒いまま過ごすのも不本意で、千世は一つ小さく息を吐きだすと執務机からようやく抜け出し、部屋中央にある休憩用の長椅子へと移動した。腰をすとんと下ろすと、少しして、彼も追うようにその横へと腰掛ける。

「男性隊士達からは概ね好評で、朝から何度か声を掛けられたよ。若い子に身体を褒められるのは、照れくさいが嬉しいものだね」
「女性達だって、それ以上に色めき立っていましたよ」
「隊舎はたしかに騒がしかったが……でもそれは白哉とか、他の若い皆への反応だろう」
「隊長だって、しっかり話題の中心でしたよ……皆朝から色めき立っちゃって、人によっては保存用と観賞用と、布教用で五冊購入したらしいですから……」

 そうか、と浮竹は照れたように眉を曲げて頭を掻く。いや、喜ばせるために言ったのではない。
 つまり、そういう女性が少なくはないという事をもっと自覚して欲しいと伝えたいはずだった。だが、彼が自覚したその所でどうするというのか、自分が求めるものが分からず言葉に詰まる。単なる一方的なわがままである。
 いや、初めからこの感情はわがままに他ならない。わがままらしく、今回のような不特定多数の女性を騒がせる可能性があることは断ってくれと、そう素直に伝えられたのなら楽なのだ。
 だがそれを憚ってしまうのは、自分の汚い部分を知られ嫌われる事を恐れている他ならない。
 汚い部分を見せないまま、都合よく本心を伝えることなど出来るはずがないというのに、回避しようと頭を必死に回転させるのだから涙ぐましいのだった。

「何か言いたげだな」
「いえ、ええと……」

 横から覗き込まれ、千世はしどろもどろになる。誌面上では溌溂とした笑顔を見せていた彼が、今は穏やかな笑みを浮かべその視界には己だけが収まっている。その事実は、優越感を浅ましくも満たした。
 その慈愛に満ちた眼差しの元ならば、赦されるのではないかとつい錯覚する。千世は彼と目線を交わらせないまま、口をわずかに開く。声に出そうか出すまいかと、何度か躊躇った。

「……他の女性に見られるのが、少し、……その、つまり……嫌でした」

 千世がやっとそう小さくぼそぼそと零すと、二人の間には暫く空白が訪れる。何故言ってしまったのか、言わなければよかったと途端に襲う後悔が苦しくて必死に拳をぎゅうと握った。いっそ気絶でもしてしまいたい。
 頭で自分の言葉を何度も反芻させながら、他の言い回しは無かったのか、もっと慎ましやかに伝えられないものだったかと最速の反省会が行われる。

「それは、どうして」
「ど、どうして………どうしてもです」

 悪戯をした子供に理由を問うような、掬い上げる柔らかい口調が余計に苦しい。だが今更、口に出してしまった以上取り返しはつかない。
 むしろ見透かされているのではないかとも思う。言いたくないのなら、言いたくなった時に話しなさいと返すのが彼の性格だと知っている。これだけあからさまに躊躇いながらようやっと口にした言葉を、更に問い詰めるような真似を普段ならばしない筈だ。
 案の定、千世の誤魔化すような適当な言葉は彼の望む回答のうちに入らなかったようで、無言のまま次の言葉を待っているようである。勘弁してくれないかと縋るような目を向けるが、まばたきで躱された。
 穏やかなように見えて、恐らく納得の行く答えが返るまで優しく詰めるつもりだろう。千世は諦めたようにがっくり肩を落とし、ええと、その、ともごもご口にする。

「隊長のそういう……素肌みたいなのは、何といいますか……私だけが、知っていれば良いのでは無いかと……思うのですが」

 そう言い終えてしまえば、後悔と同時に、しかし悪酔いし思い切り吐きくだした後のような爽快感があった。
 今まで喉につかえていたのは、つまり彼の私的な姿を、肌を見せる姿を自分だけのものしたくてたまらないという至って単純明快な独占欲である。
 嫉妬や悋気なんて男女関係においてきっとそれは珍しくない感情だろうに、どうしても彼を前にするとひどく汚いもののように思えてしまう。だから今までだって幾度となくその感情を抱き悩まされてきたが、敢えて口に出すことは滅多に無い。
 だが口にしてしまった今、もうどうとでもなれという気持ちだった。手に余すような感情が湧いてしまったものは仕方ない。
 伏していた目を上げると、見下ろす彼の瞳はゆらりと揺れていた。何処か物欲しげにわずかに開いた唇は、何かを躊躇って閉じる。わずかに隙間から覗いた舌で、彼のその乾いた唇を濡らした。

「……幻滅しましたか」
「いや、逆だな。もっと言わせたくなった」
「ど……どういうことですか」

 思わぬ答えに焦ったように返せば、浮竹はその目を細め、口の端を上げ珍しくいたずらぽく笑う。

「実は檜佐木君から、写真集の相談が来ていてね」
「……写真集ですか……?」
「そう。海での撮影で火がついたのか、もう少し攻めた企画をしたいらしい。男性の肉体美により迫った写真集を制作したいようでな、席官以上の男性隊士が褌一丁で―――」
「そ、それは絶対に!!だめです!!」

 咄嗟に出た言葉と同時に、千世は詰め寄り彼の袖を掴んでいた。軽率な行動だった。だが褌一丁と聞き、隊舎が揺らぐ光景が瞬く間に頭を過ぎってしまったのだから仕方ない。
 水着でさえこれだけ乱されるというのに、臀部が丸々晒される褌など到底認められるはずがない。
 千世の動揺に浮竹は眉を上げ驚いたようであったが、直ぐに破顔しくすくすと笑う。と、一寸前の己の必死さが情けなく思えて、身体を小さく萎めた。

「分かった、檜佐木君には悪いが断るよ」
「いや……あー……でも、ええと……、これは私のわがままなので……隊長が撮影を望まれるなら、その意思は…尊重されても良いと思います……」
「……そうか、それなら受けてみようかな。今までにない面白い試みで、興味はあるんだよ」
「えっ、いやっ……やっぱり……やっぱりだめです。……すみません」

 一転、彼に縋り千世がまた身体を小さく萎ませれば、浮竹は満足気に目を細め微笑む。始めから素直になれば良いのにとでも言いたげな、生温い眼差しである。
 一旦は嫌だと止めておきながら、だが彼自身がもし褌一丁での写真集を望むというのならば、それを千世の幼い独占欲で無下にしてしまうのは気が引けたのだ。その場しのぎの聞き分けの良さは、簡単に根本から折れた。
 感情が行ったり来たりで疲れ果て、千世はぐったり長椅子の背に凭れる。本当に「もっと言わされる」事になるとは思わなかった。まるで瀞霊廷中を駆けずり回ったあとのような疲労感である。
 そんなことなどいざ知らず、浮竹は一通り千世をからかい気が済んだのか、瀞霊廷通信をおもむろに開いた。素潜りを楽しんだとか砂の像を作っただとか、思い出話を始めた彼は表情を普段以上に緩め寛いだ様子である。
 まだ名残のある心拍を落ち着けながら、何とも気が抜ける光景だ。しかしきっと雑誌の読者達が知ることはないであろう無邪気な横顔を眺めながら、千世はその稚拙な溜飲がようやく下がるのを感じるのだった。

 

秘密のままで教えてほしい
2023/8/18
(水着ガチャ驚愕記念)