元日

おはなし

 

 隊舎に忘れ物をしたと千世が屋敷を出てからもう一時間は経とうとしている。
 元旦ということもあり、そう急ぎでないのなら今日でなくとも良いだろうと提案してみたのだが、どうしても今必要だからと出ていってしまった。珍しく頑なだった様子を思い出しながら、ふと宙を見る。
 隊舎で誰かに捕まりでもしたのだろうか。彼女のことだから、一杯だけと言われてつい付き合ってしまう可能性が十分高い。
 おせちや雑煮を楽しんだ後は少し休んで、羽つきでもしようかと考えて用意をしていたのだが。しかし、今急いたところで仕方ない。のんびりその帰りを待とうかと、炬燵に足を潜らせ届いた年賀状に目を落としていた。
 こうしてのんびりと過ごす元旦は、どれくらいぶりだっただろうか。大抵は雨乾堂で年を越し、元旦は代わる代わるに訪れる隊士との新年の挨拶で半日を終えていた。
 夕方からは呼ばれた宴席に顔を出し、帰路につくのは夜更けになる。慌ただしくも賑やかで、しかしその非日常感ほど正月を実感することはない。
 しかし今年、この元旦を千世と過ごすことになったのは、彼女がつい数日前に突然言い出した為だった。何か改まったような様子でもじもじとしているから、何かと促してみれば、そんな可愛らしい望みを口にする。
 二つ返事で了承すれば彼女は嬉しそうに頬を染め頷き、その姿を眺めながら合点していた。
 今まで長いこと当然のように雨乾堂で新年を迎えていたものだから、自宅で過ごす事などすっかり選択肢にも入っていなかったのだ。去年までは無かった存在が今年は傍に現れ、そのたった一人の存在だけでこうも正月の風景が変わるのだから不思議だと思う。
 元旦は所用で隊舎を留守にする旨を仙太郎と清音、以下席官へ伝え、新年の宴席も遠慮した。特に詮索はされないとはいえ、そう理由を曖昧に誤魔化すことしか出来ない事がもどかしく思えた。
 そうして手にれた今日一日を、彼女と存分にゆったりとだらけて過ごそうという話をしていたのだ。初日の出を屋根の上から眺めた後の贅沢な二度寝は、暫く忘れることが出来ないほど心地よかった。
 二度寝から目覚めおせちと雑煮を食べ、甘酒で身体を温め、さてこれから正月という時だったのだが。浮竹は身体を倒し、暫くぼうっと天井を見上げる。
 流石に帰りが遅い。隊舎に様子を見に行こうかと思いはじめた頃、玄関からがたがたと音が聞こえて跳ね起きた。

「遅かったじゃ……」

 襖を開いて現れた姿を、浮竹はぽかんと見つめる。髪を軽く結い上げた千世は、艶やかな臙脂色の振り袖を身に着けていた。思わず声は尻すぼみに消え、はにかむ彼女の頭の先から足の先までを舐めるように眺める。
 よく似合っている。彼女には明るい色が似合うかと思っていたが、落ち着いた臙脂の色は合わせられた金地の帯と馴染んで品よく彼女を際立たせていた。
 唇にさした紅を小さく窄めてそわそわとする様子は、きっと浮竹の評価を心待ちにしているのだろう。

「乱菊さんに着付けてもらいました」
「そうだったのか…それで、こんな時間に」

 すみません、と千世は頭を下げる。浮竹は立ち上がり、彼女の前へと立つと改めてその姿を見下ろした。
 松本や雛森が晴れ着で女性死神協会の新年会に出るという話に、混ぜてもらったのだという。新年会には少し顔を出して、その後は浮竹に見せるため、真っ直ぐこの屋敷に帰ってきたようだ。
 まさか、晴れ着に着替える為に隊舎に忘れ物をなどという嘘をついていたとは思わない。はあ、なるほど。自分だけのために。
 自然と満足気に緩む口元をそのままに、似合うよ、と褒めてやればようやく満開の笑顔を見せた。
 しかしこうも綺麗に着飾った姿が、忍んでこの屋敷に辿り着けるものだろうか。彼女は誰にも見つからなかったから大丈夫だと自信を持っているようだが、その姿で言われてもまるで信じられない。

「大丈夫です、途中からは瞬歩で一息に飛んできましたから」
「だが……それはそれで勿体ないな」
「……勿体ない?どうしてですか」

 この姿を一人で楽しむのは勿体ないと思った。結われた髪には可愛らしい髪飾りが乗り、香る白粉と唇の鮮やかな紅が美しい。淑やかな振り袖を身に着けて、羞じらう姿を独り占めをして良いものか分からない。
 だが、かといって目の届かぬ所で褒めそやされる姿を思い浮かべると、それはどこか癪だった。同時に湧いた二つの感情に、浮竹は思わず彼女の前で腕組み唸る。
 つまり、随分身勝手なものだと思ったのだ。彼女の姿を見せびらかしたいだけだ。彼女が自分ひとりだけに見せてくれたその可憐な姿を、自分の所有と明らかにした上で見せて回りたい。
 その姿がいくら人の目を引こうが、彼女の目は浮竹だけを向いて離れない。そんな気分の良い、満たされる事があるだろうか。
 勿体ないなどとていの良い言葉を使いながら、その実そう面倒な感情を孕んでいる。折角爽やかな晴れの日だというのに、湧いて出た濁った感情を振り払うように彼女の頬を撫でた。
 不思議そうに見上げている千世に、まさかそう素直に答えられるはずもない。

「今年も、千世には振り回されそうだな」
「も……?…振り回した覚えは、多分…無い筈なのですが……振り回してましたか…?」
「良いんだよ、俺が好きでやってることだから」

 浮竹がそう微笑めば、千世は訝しむように眉間に皺を寄せる。痕が残るよと額に唇を落とせば、びくと跳ねて途端に緩んだ頬が淡く染まり、漂った甘い雰囲気には思わず溜息が出る。
 潤む瞳で見上げ、こうも容易く人を乱して今まで自覚が無いとはらしい事だ。分かってはいたが、改めてその無頓着さには嘆息したくなる。

「た、隊長、振り袖が……」
「こんなに綺麗に着付けて貰ったんだから、あまり崩さないようにするよ」

 だが自分の為に着飾ってくれたのなら、どうしようが自由だろう。一瞬躊躇った彼女にそう伝えれば、あ、と口を小さく開ける。何を滅茶苦茶な理論で言いくるめられているのだ。
 無警戒な様子にふふと笑いを漏らしながら、腰を屈め抱え上げた。腕に収まる艶やかな色に包まれた彼女を見下ろせば、言い得ぬ充足感で満たされる。宝飾品は付けて歩くのも良いが、一人眺めて愛でるのも良いに違いなかった。
 畳へ転がされた彼女の唇の紅を写し取るように、そっと重ねて始まった。

2023/01/03