私を欲しいというのなら

31日

私を欲しいというのなら

 

 旧い仲間と呑む酒は、つい進みやすい。数年ぶりに京楽を含めた旧友と集い、思い出話に花を咲かせていた。
 酔いが回り始め皆の声量の調節がきかなくなって来た頃、浮竹も珍しくふわふわと心地良い気分に自然と微笑んでいた。普段は酔いが回る前に宴が終わるか、具合が悪くなることが多いのだが、今日は調子も良いのか気持ちが良く酔えた。
 しかし少し身体が火照って仕方なく、少し風にあたって来ると言い残して部屋を出た。少し廊下を進むと庭が見えるのだが、おや、と既に庭を眺める人の姿を見つけ眉を上げる。

千世も、ここで呑んでたのか」
「わ、私は、女性死神協会の集まりで……隊長は」
「俺は友人たちと数年ぶりの同窓会みたいなものだ」

 そう言ってハハハと快活に笑う。やはり今夜は気分が良い。外の空気が火照った頬を覚ますのもまた実に気持ちが良いのだ。

「そんなに隊長が酔ってらっしゃるなんて、珍しいですね」
「ハハ、酔ってない!酔ってないぞ」

 普段より気分が良いのは確かだが、まだ理性はしっかり残っている。だが今は、もう少し酔ったふりをしてみようかと思った。ただそうしてみたかっただけで、特別な理由はない。
 砂利の上を進むと、思っていたよりも凸凹に足を取られてよろける。自覚しているより酔いが回っていたのか、だとしたら酔っているふりなどとんだ茶番だ。いや、どちらにしても茶番ではあるのだが。
 ふらっとしながらも、浮竹は丁度よい高さの平らな庭石へ辿り着き腰をかける。千世は焦ったように追ってくると、正面に立ち、大丈夫ですかと腰を屈めた。

「平気平気、そんなに呑んでないんだ」
「そうは見えないのですが……お水でも持ってきましょうか」
「良い、良い」

 それより、と浮竹は千世を手招きする。酒のせいで気が大きくなっている事には違いないが、酔っている演技というものが案外気持ちが良くて調子に乗った。
 少し腰を移動させて場所を作ると、横をとんとんと叩く。少したじろいでいる彼女に、おいでと口に出して言えば、納得するようにうんうんと頷き控えめに腰を下ろした。

「今日はあまり呑んでないのか」
「はい、先日の宴席で大変ご迷惑をお掛けしたので…暫く禁酒です」
「ハハハ、真面目だなあ。偉いぞ!」
「偉くはないです」

 浮竹はまた上機嫌で笑いながら、彼女の横顔を眺める。こうして近くでその顔をまじまじと見るのは初めての事だ。当たり前だろう、今までそんな機会あるはずがなかった。
 長い睫毛、整えられた眉、肌の滑らかさと柔らかく潤った唇。どれを見ても男の無骨なものとは違う。
 彼女はその視線に気づきながらも、ただ気恥ずかしそうに目線を落として瞬きをするのみで、その場を離れようとはしない。
 肩が触れるほどの距離で、恋人でもない男女には似つかわしくない妙な空気を纏っている。だが、それはどこか居心地が良く感じた。

「すごく酔った次の日の記憶って、残ってる方ですか?」
「覚えていることもあるし、覚えていないこともある」
「じゃあ、ここで私とお話した事は忘れちゃいますね」
「どうして覚えていない方だと決めつけるんだ。俺が…そんなだらしない男に見えるか」
「だって、そんなに酔ってらっしゃるんですもん」

 千世はそう言って、可笑しそうにけらけらと笑う。酔ったふりを余程信じてくれているようだった。
 演技と気づかれていない事に胸をなでおろし、同時に生まれた罪悪感を浮竹は今日だけとぷちりと潰す。

「酔ってる隊長、なんだか話しやすいです」
「何だ、いつもは話しにくいのか」
「そういう訳では無いですよ」

 いつもよりも砕けた様子なのは、彼女も同じだった。普段の彼女はいつも緊張して、言葉を一生懸命に選んでぎこちなく笑う。それはそれでいじらしかったが、海燕や清音、仙太郎と言葉を交わす時の寛いだ様子を羨ましくも思っていた。
 柔らかく砕けた笑顔を、いつか当たり前のように向けてくれる事を待っていたかったが、彼女の性格からして難しいだろう。だからこののびのびとした様子は今だけとしても、中々良いものだった。
 足をふらふらと揺らしながら、隊長、と彼女は何とないように呟く。それに浮竹が反応をするよりも前に、千世は再び口を開いた。

「私が隊長を好きですって言ったら、どうしますか」

 彼女の声はまるで独り言のようにひどく小さかった。だが声音は凛と澄んでいて、一言一句漏れること無く耳へ流れ込み、思わず咄嗟に息を止めた。
 暫く時が止まったように彼女の横顔を見ていた。
 浮竹の動揺と反面、彼女は恐ろしいほど平然としていて、今の言葉がまるで聞き間違いだったのではないかと思うほどだ。だが、頭の中でもう一度彼女の言葉を繰り返す。
 予想だにしていなかった言葉に緊張し、自然と脈が早くなる。酒に痺れた眠たげな表情を崩さぬよう、次の最適な答えに思い当たるまで髪の一本すらも動かないほど硬直していた。

「すまんもう一回言ってくれ、よく聞こえなかった」

 半分眠っているような、呆けた情けない声で浮竹は返す。少しの間彼女は黙っていたが、やがてふと破顔する。
 笑った、と面食らった。どう考えても、笑う所では無いはずだ。相手が酔っている事に乗じているとはいえ、その言葉に嘘は無いはずだ。彼女は確かに、好意を向けてくれている。明らかにそれは、上司へ向ける感情以上のものを。
 落ち込むことを望んでいたわけではない。ただ、笑顔を見せるとは思わなかったのだ。どうして、と彼女の読み取れない感情に未だに動揺しながら、平静を装って眠たげな目をゆっくりと瞬きする。

「いえ、何でもありません」
「何でも無い……のか、本当に」
「大したことじゃないですから。ほら隊長、私お水持ってきますね」

 待っててくださいね、とまるで子供に諭すような甘い口調でそう言い聞かせる。じゃりじゃりと小石を踏みながら、沓脱石で下駄を落として縁側へと上がるその背を、ぼうっと見送る。 

「……参ったな」

 思わずそう零し、頭を抱える。こんな事ならば酔ったふりなどするのではなかった。こんな夜のことを、まさかたった数時間の睡眠で忘れられるはずがない。
 酔いなど一気に覚めた筈の身体だというのに、まだ耳の先まで熱く紅く染まっていた。