蜜でも毒でも

2022年12月18日
31日

蜜でも毒でも

 

 普段、あまり夢を覚えている方ではない。よっぽど悪夢とか、現実と見紛う精巧な夢であれば覚えている事もあるが、それでも暫くすれば記憶が薄れてやがて忘れてしまう。
 夢とはきっとそういうものなのだろう。脳が睡眠時に集積した記憶を整理をする、その最中に見せる断片だと聞いた事がある。そう知ってしまえば浪漫も何もない。
 夢とは不可思議で神秘的で、特別なものであるべきだ。でないと、雲のように消えてしまう夢の中の自分があまりに報われないだろう。
 神秘的なものだから、目が覚めれば、若しくは暫く経てば忘れてしまう。それならば理由と結果の均衡が取れている。
 だからこの所、参っていたのだ。というのも、目が覚めても夢の内容を鮮明に覚えてしまっている事が増えた。それどころかその記憶は消えること無く、ふとした拍子に蘇るのだ。
 毎日そういう訳ではない。数日おきに、決まって同じ夢を見る。そしてその決まって見る同じ夢を、何日経っても忘れられないでいる。

「酷い顔色だね。具合悪いのかい」

 隊首会終了後、京楽から声を掛けられ浮竹は虚ろな目で振り返る。
 先の理由から寝不足が続いていたのだった。熱があるとか怠いとか、そういう訳ではない。
 定期的に見る同じ夢の内容が脳裏にこびりつき、また今夜同じ夢を見るのではないかと思うと、あまり深い眠りにつけないのだった。
 いや、と京楽に一度は誤魔化す。だがぐったり重い頭がやはり不快で、多少縋るような思いで再び口を開いた。

「よく同じ夢を見るんだ。それが忘れられない」
「へえ。悪夢ってことかい?」
「いや……ああ、どうだろうな。……でも、悪夢かも知れない」

 その夢は決まって雨乾堂の見慣れた風景から始まっていた。文机に向かっていると背後から呼ばれ、振り返るとそこには千世が顔を覗かせている。
 彼女を招き入れそれから暫く、他愛のない会話を交わすのだ。庭の紅葉が昨日の雨で落ちてしまったとか、霜柱を踏んだとか。大して内容のある会話ではないのだ。だがその時間が少しでも長く続くように、浮竹は言葉を繋いでゆく。
 やがてその会話が必ず、ぷつりと途切れるのだ。しかしそれが気詰まりする訳でもなく、心地よいとさえ思う。少しして、目の前で穏やかに微笑む彼女がゆっくりと視線を上げ、睦み合うように視線が交わる。
 そして彼女は言うのだ。お慕いしております、と。頬を染めた彼女は幸せそうに表情を綻ばせ、浮竹がどう返すかを知っているかのようだった。
 浮竹は同じように微笑み、彼女の思う通りの言葉を返すため口を開く。だが、言葉が声にならず息だけが漏れる。
 彼女の期待に揺れる瞳を見返しながら、思う言葉が声にならぬ苦しさで目を覚ますのだ。
 京楽に夢の内容までは語らぬものの、そういう経験はあるかと尋ねる。何度も同じ夢を見ては、同じ場所で詰まるのだ。きっと永遠にその先へ進むことは無い。

「ボクは無いなあ。もう一度同じ夢を見たいと思ったことは何度もあるんだけど」
「…俺は夢を覚えていることさえ稀なくらいだったよ」
「でもまあ、悪夢っていうなら、それが浮竹の中で特別怖いことなんじゃないの。そうまで鮮明に思い出せるくらいなら」

 お前はこれが怖いのだろうと、悪魔から誂われているかのようだ。
 彼女の存在が徐々に己の中で膨らんでゆく中で、今の関係が崩れることを間違いなく深い場所で恐怖している。崩さなければ望むものは手に入らないというのに、だが崩すことなど出来るはずはないのだ。
 彼女が思いを吐露することが、それに応えることの出来ない立場が、彼女を悲しませることが、そして何より抱いてしまった思いを無に返さなくてはならないことが恐ろしい。
 夢とは神秘的であるものだ。風が吹けば忘れてしまうような、淡い色合いの記憶を残すくらいであるべきなのだ。
 だがあれほど鮮明に、叩きつけるような刻みつけるような記憶を残されるのでは、現実と変わらないではないか。彼女のあの期待に満ちた、甘い眼差しの熱は毒のようにじわりと染み込み広がり、頭の奥で燻り続ける。
 踏みしめる草鞋の下に感じる砂利の凹凸よりも硬さよりも、あの言葉が詰まる息苦しさのほうが、今はよっぽど生々しかった。