まさかそんなこと言えるはずない

2022年12月17日
31日

まさかそんなこと言えるはずない

 

 叶うはずのない恋をある者は健気だと言い、ある者は馬鹿だと言う。
 叶うことがないと分かっていても、素直な気持ちを抱き続ける姿を健気と思うか、無駄な時間だとばっさり切り捨てるか。どちらかと言えば、後者の考えに概ね同意であった。
 限りある時間の中で、手が届くはずのない相手を憧れる続ける事にどれほど意味があるのだろうか。
 まるで太陽に恋をする草のようだとも思う。いくら草が太陽に恋い焦がれたとしても、手が届くこと無く、せめて背が少し高くなるくらいだろう。
 そうは分かっていても、おいそれと焦がれる気持ちを捨てることは出来ず、手に余すような恋情をせめて薄く薄く伸ばそうとし続けている。
 いつまでもこうして居られるとは思っていない。いつかはどこかで区切りをつけ、新たな一歩を踏み出さなくてはと思っている。
 だが彼の姿が目に入ると自然と跳ねる胸を抑える術も、甘い毒に痺れるような頭を覚ます術も無い。その結果、秘めるだけなら良いだろうとずるずる不毛な片思いを続けていた。

 千世は咀嚼した菓子を飲み込むと、喉にへばりつくような甘さを流すため湯呑に口づけた。
 今夜は松本と夕飯を食べに行く約束をしており、彼女の執務室へと迎えに来ている。しかし先程、ちょっと待っててと松本が部屋を出ていってから十分以上が経っていた。
 現世から取り寄せた雑誌が積み上がっていて、それを眺めているから特に退屈はしないのだが、ちょっとにしては長すぎる。予約の時間も迫っているしどうしようかと思っていれば、戸がガタガタと揺れ、ぱっと顔を明るくさせた。

「……何だ、日番谷隊長ですか…」
「おい、何だとは何だ」

 珍しい姿だ。乱菊さんは居ないですよ、と答えれば彼は少しあたりを見回すようにして、あろうことかそのままずかずかと部屋に入り扉を締めた。
 どっかりと目の前の松本の席に腰を下ろすと、机に頬杖をついて不機嫌そうな目線を千世へじっと向ける。何か怒らせるような事をしただろうかと、固まったまま彼の目を見返す。
 暫く無言の時を過ごしていたが、ようやく彼がへの字にしていた口を開いた。

「この前はなんつうか…悪かった」
「この前って、何ですか」
「……気にしてねえなら別にいい」

 ふん、と顔を逸した日番谷に、千世は記憶をさらう。最後に彼と会話をしたのは、今日と同じように松本との夕食の約束をしていた一月ほど前だ。
 彼の執務室で例の如く軟禁状態で書類に向かわされていた彼女を千世は待っていたのだが、その時の雑談の事だろう。ああ、と千世は思い出すと、珍しく日番谷は少し目線を下げて口を僅かに尖らせる。

「…あれはお前の今までの時間が無駄だとか、そういう意味じゃ無かった」
「やめてください、子供じゃないんですから分かってますよ」

 最近読んだ現世の本の話をしていたのだ。それは異国の物語で、貧しい暮らしをしていた青年が、街を偶然訪れていた姫に一目惚れをしてしまうという話だった。叶うはずのない恋だと周りには馬鹿にされるが、思いは日に日に募る。
 ある日姫は悪党に連れ去られしまい、青年は迷うこと無く救出に向かう。様々な命の危機を乗り越え、青年は姫を助け出し、姫は彼の勇敢さに心打たれ結ばれる。お伽噺である。
 叶わない恋なんて健気で素敵だと言う松本に反して、日番谷は馬鹿だと切り捨てた。物語だからその青年は報われただけで、人間の短い寿命の中で報われない恋をしても勿体ないだけだと。その時間を他に回したほうがよっぽど有益だとまで言い及んだ。
 確かに、と千世は内心頷きながら、まるで自分ではないかと思っていたのだ。叶わない恋に無駄な時間を注ぎ続けている。
 千世が黙っていれば松本と日番谷もやがて思い当たってしまったのか、慌てて他の話題に変えられ終わったのだ。
 まさかその時のことを気にしてくれていたというのか。彼の気まずそうな様子に、千世は思わず笑う。

「日番谷隊長の仰ってた事は、私も思ってたことなんです」

 いつか諦めなくてはいけないと分かっているのだ。この無謀な片思いに、幸せな結末はあり得ない。現実はお伽噺のようにはいかないのだと、自分自身が最も理解している。

「それならいっそもう伝えてみれば良いだろ、そこまで諦めてるって言うなら」
「そんな事したら、浮竹隊長はお優しいからきっと困るだけですよ…迷惑でしょうし、面倒は掛けたくないです」

 理解していることと、受け入れることとは別の話だ。それに、まだ勇気がない。
 今の関係でも千世は十分満足していた。偶にその姿を見ることが出来て、会話を交わせて、その温かい包み込むような笑顔を向けてくれる。それだけで十分だった。
 逃げているとも言うのだろうか。だが、勝手に思いを向けて、それをけじめだ何だと理由をつけて伝えるのは迷惑ではないかとも思う。
 伝えてしまえば、彼はきっとその心の優しさから傷つけないようにとしてくれるだろう。彼を困らせたくはない。うだうだと湿った感情の渦に巻き込まれていた。

「応えられるかは別として、心を尽くして伝えられた言葉なら、俺は嬉しい」
「……えっ!?」
「……何だよ、迷惑だとか面倒だとかお前が言うからだろ」
「いえ……なんだか意外だったので、ちょっと驚きました」

 そう笑うと、日番谷はがたんと音を立てて立ち上がる。床を踏みしめるようにずんずんと進むと、そのまま戸に手をかけた。

「お気を遣わせてしまって、すみません」
「気なんて遣ってねえよ。このままだと夢見が悪かっただけだ」
「つまり気にしてくれてたんですね」
「気にしてねえ!」
「でも、ありが……」

 千世の言葉を待たずに、フンと鼻を鳴らすと勢い良く引き戸開け、振り返ることもなく後ろ手で部屋が揺れるほどの激しさでもって閉じられた。
 びりびりと震える鼓膜に暫く目を瞬かせていたが、彼の照れくささの入り混じった気まずそうな表情を思い出してふと口元が緩む。言いそびれた礼は、また次顔を合わせた時伝えれば良いだろう。