運命だとうそぶく唇

31日

運命だとうそぶく唇

 

 死神となってどれほど経っただろうか。
 流魂街をふらふらと放浪していた頃が遠い昔のように感じる。実際に遠い昔だ。あの頃は自分が死神になろうとは思っても居なかった。他と違う力を持っている事を自覚しながらも、それをどうしようなど考える頭すら無かった。
 真央霊術院を知ったのは、ある冬にたまたま森で出会った死神に誘われたからだった。もし興味があるなら入学試験を受けてみたらどうかと勧められ、帳面を千切った裏に地図を書いてくれた。
 今となってはその死神の顔も性別も覚えていない。その日を生きていく事で精一杯だった毎日に飽きていた千世は、この日々が少しでも変わるならばと霊術院の入学試験を受け、その結果今に至る。
 しかし入学して暫くは、後悔したものだ。それまで勉強など欠片もしたことがなかった千世にとって、椅子に張り付いて教師の話を聞くことなど拷問に近かった。一年も経てば慣れはしたものの、こんな事ならば流魂街でその日暮らしをしていたほうが良かっただろうかとまで思っていたものだ。
 浮竹との出会いが全てを変えてしまったのは言うまでもない。
 単なる一目惚れと言ってしまえばそれまでだった。しかしそれが今になるまで尾を引いて、この命すら捧げても構わないほどまでその思いは根を張り葉を生い茂らせている。
 院の卒業が決まり提出した配属希望は、通ることは滅多に無いと噂に聞いていた。だから十三番隊に配属が決まった時には、これは神の思し召しに違いないと、信じたこともない神の存在をその時ばかりは肯定したものだ。

「おい日南田、何ニヤついてんだよ」
「……え?ニヤついてた?」

 猪口と徳利を手にしながら、檜佐木は訝しげな表情を千世へと向ける。
 今夜は珍しく同期生で集まっていた。檜佐木から声を掛けられ、都合のついた数人が場に居合わせている。最近どうしているとか、誰がどうしたとか、何度も擦ったような思い出話をしては頬を緩めていた。
 そんな中で入隊時の配属希望の話になり、ふと昔を思い出していたのだ。知らずのうちに口元が緩んでいたのは、自然と浮竹の姿を思い出していたからだろう。檜佐木が気味悪がるのも当たり前である。
 ごめん、と咄嗟に謝ると近くのお冷を一息に流し込んだ。

「でもさ、お前やっぱり突然覚醒したよな」
「……覚醒…?」
「いつだったか忘れたけど。急に授業も真面目に受け始めて、成績も嘘みたいに全部上がったろ」
「そ…そうだったかな……」

 千世は誤魔化すように視線をずらして、手持ち無沙汰に箸を手にする。皿の上で乾燥し始めていた野菜を掴み、別に腹が空いている訳でもないが取り敢えず口へと放り込んだ。
 美味しいよ、と適当な事を言いながら檜佐木にも促すが、じっと見つめる彼の眼は据わっている。だいぶ酒が回っているのだろう。

「あれ何でだ、何か切欠があったよな。偶にこいつらともその話になんだよ。お前、昔のままだったら席官なんて絶対ぇなれねえよ」
「勉強のコツを掴んだだけだって……というか檜佐木君、結構飲んでるよね。酔ってるよ」
「なあ教えろって、良いじゃねえか俺とお前の仲なんだから……同期だろ!!」

 急に熱くなりはじめた檜佐木に、千世は少し距離を取るように腰の位置をずらす。
 先日一度酒でとんでもない醜態を晒してからというものの暫く禁酒していたのだが、彼のこの様子を見ると自分と何処か重なるようで心が痛かった。
 周りは周りで盛り上がっていて、檜佐木と千世の会話を聞いているものなど居ない。同期だろ、と繰り返しながら檜佐木は千世の肩を強く掴むと、ぐらぐらと揺らす。
 同期か、と檜佐木に揺られながら頭の中で繰り返すと、その響きは自然と口元を緩めた。
 不思議な巡り合わせの数々を思い返しながら、決して悪い誘いではなかったと、あの名も知らぬ死神に一人感謝をするのだった。