夢ならうまく出来るんですが

31日

夢ならうまく出来るんですが

 

 ううん、と千世は腕を組み唸る。本榧の美しい木目には縦横均一な線が引かれ、広がるマスの上には五角形の駒がばらばらと並んでいる。
 王将と書かれた駒の二つ前のマスには金将が睨みを効かせており、かといって横も後ろも逃げる道はない。始まってまだ十分も経っていないはずだが、既に詰んでいる盤面を千世は顰めっ面で見下ろしていた。
 王手と浮竹に宣言されてから熟考してみたものの、まさか初心者の千世にひっくり返すような技量があるわけもなく、間もなく参りましたと頭を下げる。

「……すみません、折角お誘いいただいたのに…こんな酷い盤面を…」
「初めたばかりにしては十分だよ」

 笑う浮竹に、千世は申し訳ないやら恥ずかしいやらでもう一度頭を下げた。
 清音に頼まれていた書類を渡す為に雨乾堂へ訪れたところ、浮竹は本を片手に詰将棋に興じていたのだ。ちらりとその盤面に目を遣ると、あろうことか一局どうかと誘われた。
 最近小椿に何度か教えてもらったばかりだった千世は、せいぜい駒の動きを知っているくらいでまさか対局などという段階ではない。一度そう断ったものの、習うより慣れろだと、半ば強引に相手をさせられたのだった。
 その結果、この有様である。穴があったら入りたいほどの、あまりの惨状であった。

「仙太郎に習っていると聞いたよ」
「いえ…まだ習っているとも言えないほどで…」
「そうか?もう駒の動きは分かって居るんだから、後は慣れるのみ。俺もあまり上手い方じゃないが、人と指すうちに人並みにはなったよ」

 そうあっけらかんと言う浮竹に、千世ははあ、と間抜けな様子で頷く。初心者の下手な将棋は相手を苛立たせそうなものだが、彼はあまり気にしていない様子で手持ち無沙汰に駒を手にしてぱちぱちと鳴らした。
 だが、まさか彼に知られているとは思わなかった。碁や将棋など今まで特に興味を持ったことは無かったのだが、浮竹が時折碁会所や将棋道場に通っていると噂を聞き少し勉強してみようかと、小椿に教えを乞うてみたのだ。何とも不純な動機である。
 いずれ人並みに覚えた暁には、こうして対局が出来るならばと夢見ていたものの、こう早いうちにその叶うとはまさか思わない。
 本当ならば、もう少し骨のある対局をして一回でも唸らせてみたいものだった。仕方ない。次の機会までには、多少彼が楽しめるくらいには腕を上げておかなくては。もし、その機会があればの話だが。
 そう決意しながら、さてこれ以上長居しても申し訳ないと、千世は腰を上げた。

「よし、もう一局だ」
「え……?い、いえ、これ以上醜態を晒す訳には……」
「あんまり早く終わったんだ、あと一局くらい付き合ってくれ」

 謙遜ではなく心の底から遠慮をしていたのだが、有無を言わさず駒を並べ始める浮竹に千世は眉を曲げ苦笑いをする。そこまでお膳立てをされたのでは流石に逃げることは出来ず、千世はもう一度座布団へと腰を下ろした。
 見た目に似合わず案外強引な面があるものだと、楽しげに駒を滑らせる姿を千世はついまじまじと見つめるのだった。