遅刻の理由

31日

 

遅刻の理由

 

 約束の時間が近づいていた。男性死神協会の会合という名の宴会が、射場の気まぐれで催される。昨日海燕から声を掛けられ、特に予定もなかったから参加とした。
 そろそろ隊舎から出かけようかという時、渡り廊下から見える土蔵の付近の人影が目に入った。もう日も落ちようという中で薄暗く、灯籠の仄かな灯りの傍にそれは居た。
 その人影は何やら塀の手前をごそごそとする妙な様子で、思わず立ち止まり目を凝らす。その背中が千世のものだと気づくまで、そう時間はかからなかった。
 あの場所に何か特別なものがある訳でもない。怪しげにも思える様子に一体何をしているのかと興味が湧き、時計の針の位置を忘れて浮竹は彼女の元へと足を向けた。

「そんな所で、何をしてるんだ」

 足音を立てず近づき背後から声をかければ、彼女は途端に腰を抜かして地面に尻もちをつく。驚かせようと思ったわけではないが、慌てた様子を少しだけ期待してしまった。
 まさか意地悪をしたい訳ではない。彼女が驚いて目を丸くする表情がなかなか嫌いでなかったのだ。何がと言われれば名状しがたいのだが、彼女のぽかんとした表情が見たくなった。
 尻もちをついたまま千世は浮竹を見上げ、予想通り目を丸くしてぱちぱちと瞬きを二度繰り返す。緩む口元に力を込め、驚かせた事を謝れば、彼女は首をぶんぶんと横に振り慌てて立ち上がった。
 彼女の手は土で汚れており、枯れた雑草が隅に重ねられ土が掘り返されている。明らかに庭いじりをしていた様子に、浮竹は首を傾げた。

「手入れでもしてくれていたのか」
「ええ、その…葉牡丹でも植えようかと思っておりまして」
「そうだったか…だがそれなら、庭師に伝えればやってくれるよ」
「それが実は…」

 毎月庭師が隊舎の外庭内庭の手入れをしてくれている筈だった。丁度彼が来る頃だと思っていたのだが、彼女によればぎっくり腰で今月は急遽顔を出せなくなってしまったのだという。
 全ての場所の手入れは叶わないが、この場所が長く寂しかったのが気になっていたから、葉牡丹の苗を庭師から貰い、就業後にわざわざ土を掘り返しに来ていたという訳だった。
 此処は浮竹が雨乾堂から出る際によく使う渡り廊下だったが、あまり長居をする場所でもないし土蔵の脇など特に人目につかない。だから今まで特に手入れされることもなく、雑草が細々と茂っていたのだろう。
 なるほど、と彼女の土だらけの手を見下ろす。肌は仄かに赤くなり、微かに震えている。余程寒かったに違いない。平気かい、と思わず声をかければ、彼女は笑って頷いた。

「今日は土作りで疲れてしまったので、続きは明日にします」

 手から土を落としながら、塀へ立て掛けていた鍬を手にする。片付けを始めた千世に、そうだ、と浮竹は口を開いた。

「茶を淹れてくるから、片付けながら待っててくれるか」
「え!?い、いえ!そんなお気遣いは、いただかなくて大丈夫です!」
「いや、偶々茶を飲みたくなってね。付き合って欲しいんだ」

 我ながら無理のある提案だろうとは思うのだが、彼女の震える指先を見てまさか背を向けられるはずがない。
 ほぼ人目につかないような、強いて言うならば浮竹だけが気付く程度のささやかな場所を、彩ってくれようというのだ。まさか自分の為に、などと彼女の好意にかこつけて、自惚れを正当化しようとしている。
 間もなく約束の時刻を迎えようとしている事などすっかり忘れ、浮竹は小走りに炊事場へ向かうのだった。