忘れるための幸せ

31日

忘れるための幸せ

 

 現世のある都市の廃墟を根城としていた虚の単独での討伐任務を終えた。
 元はと言えば周辺に点々と発生していた虚の調査ということで向かったのだが、調査中に一体の妙な虚と遭遇した。一度交戦したものの、突如何かに怯えるような様子を見せ姿を消したのだった。
 霊圧を辿って見つけたのがその廃墟であった。後の調査で分かったことだが、もともとは現世の富豪が住む立派な洋館だったのだという。しかし経営する企業の倒産と共に一家心中、その後買い手はつかず長い年月をかけて廃墟になったということだった。
 自然豊かな郊外の立地ということもあり、周辺の民家とはある程度の距離もある。時折肝試しで訪れる若者たちや、周辺に屯する不良たちを食い物に、その虚は暮らしていた。
 その虚は、低級虚数体を召使いのようにして暮らしていた。千世との交戦中に逃げ出した低級虚は、恐らく親玉からの呼び出しが掛かったのだろう。恐らく、死神に勘付かれる事を畏れたようだった。
 彼らは随分穏やかに暮らしていたようだった。自ら出向くことはなく、訪れた人間たちの魂魄だけを吸収して、長く生きることだけを選択していたようだった。だからこそ今まで注視されず百年近くを彼らはこの地で過ごしてきたのだ。
 それがこの所虚の奇妙な出現報告が増えたのは、時代が変わり肝試しをする人間や屯する不良達が減った事が理由のようだ。そして腹が満たされない虚達が、うろうろと街を徘徊していた。
 結果、それが原因で虚の奇妙な点々とした発生として尸魂界に検知され、千世による巨大虚一体と、低級の虚五体の討伐に至ったのだった。
 千世一人が無傷で殲滅できるほど、皆弱っていた。僅かに同情さえ生まれるほど弱々しい攻撃に疑問を覚えたほどだ。だからその後調査を、十二番隊の壺府リンへ菓子一袋と引き換えにこっそりと依頼をしたのだった。
 聞かなければよかったと思うほど、十二番隊からの帰路は足取りが重かった。

「よくやってくれたね」
「いえ、……とんでもないことです」

 合計六体の虚の討伐となれば誉れは高く、浮竹から金一封を手渡された。頭を下げ受け取りながらも、壺府から聞かされた話が引っかかり、素直に喜ぶことが出来ず表情が曇る。

「浮かない表情だな」
「え!?い、いえ……すみません」
「いや。……何かあったのかい、今回の任務で」

 しばらく頭を下げ畳を見つめていたが、彼の包み込むような優しい声音にゆっくりと顔を上げる。一つの曇りもない彼の眼差しに、千世はすうと息を長く、肺の奥まで吸い込んだ。
 千世はぽつぽつと、くだんの件を彼へ語る。伝えながら、あの手応えのない戦闘を思い出し苦々しく顔が歪んだ。一方的な戦闘は暴力的で、決して良い気分とは言えない。殺意に満ちた敵との交戦が良い気分という訳ではないが、少なくともそれは相手に刃を向ける理由になる。
 そうか、と浮竹は千世の話に一つ頷いた。相変わらず穏やかな表情で微笑みを浮かべたまま、聞かせてくれてありがとうと、緩やかにまばたきをする。

千世は死神としての責務を果たしてくれた。危険を顧みず、君の実力でもって。それには心から礼を伝えなければならない。俺が護廷の代表として、千世に感謝しているんだよ」

 あ、と思わず掠れた声が漏れた。ありがとうございます、と礼を伝えたい筈が、うまく言葉を紡げずそれが雫となって瞳から溢れた。
 感謝されたいが為に死神になった訳ではない。だが、浮竹のすくい上げるようなその言葉と思いを向けられると、死神となったことが誇らしくていつも涙が溢れそうになるのだ。
 今はそれが堪えきれず、ぽるぽろと目の端からこぼれ落ちる。生きていてよかったと、彼の傍で死神として生きることが誇らしくて、そして幸福だった。

「君によって救われた魂があるんだ。人間も、それにその虚達も同じことだよ。それを誇りなさい」
「……はい」
「よし、それで良い」

 そう頷かれると、自分の存在を肯定されたように感じる。これまで繰り返してきた選択に正誤などないのだろうが、しかし少なくとも、この場に居る資格を得てはいるのだろう。
 徐々に落ち着きを取り戻してきた胸の内を彼も察知したのか、ほら、と千世を促す。

「今日はこの金一封で良い飯でも食いなさい。朽木でも誘って」

 な、と快活に笑う浮竹に、千世は頬を濡らしたままつられて笑う。笑いながら、彼への恋心を恥じていた。これ以上望むものなど無いほど、彼の傍で生きるだけで幸福なのだから、恋情など忠誠心への裏切りに近い。
 早く捨てねばならないのだ。そう分かっている。だというのに、そう意識するほどに思いは反面肥大していくのだった。