あなたの中にいるはずの

31日

あなたの中にいるはずの

 

「京楽隊長がお見えになっていますが……」
「良いよ良いよ、許可なんて取らなくて」

 報告の隊士の脇をすり抜けて部屋に入ってきた男を、浮竹は無言で見上げる。突然の来訪はいつもの事だから特に驚くこともないのだが、大抵碌でもない用事が多い。
 今日は一体何を言い出すかと、恐る恐る座布団を滑らせた。まだ半開きになった襖の外でどうしようかと悩む隊士に、下がって良いよと一言伝える。茶なんて出せば余計に居座られるだけだろう。

「近くまで来たから寄っちゃった」

 何か含みをもった笑みを見せた京楽から、浮竹はさっと視線を手元の書類へと逸らす。

「浮竹のお気に入りの子、今日隊舎に居るの?」

 そんな事だろうと思った。あまりに想像通りであった言葉に、浮竹はひとつ呆れたようなため息をつく。胡座に頬杖を付く京楽の探るような視線を一瞥し、再び書類の文字へと目を落とした。
 何が切欠かは知らないが、偶々何かを思い出して突いてやろうと立ち寄ったのだろう。大した理由は無いのだ、きっと暇つぶしの一環に違いない。

「そんなものは無い」
「ああそう。最近よく話を聞くから、そうなのかと思ったんだけど」
「…それは偶々だ。丁度、千世が五席に上がった事もあったから」

 何を勘違いしているのかは知らないが、彼女が贔屓だと言った覚えは一度もない。昇進や目立った活躍があったから、話題の一つとして何度か名前を挙げたというだけのことだ。
 それだけのことで贔屓などど勘違いされては困る。今まで部下を頼りにすることはあれど、誰か一人を個人の感情で特別に扱ったことは無い。実力を認めて重用することはあっても、不相応な誉れを与える事は無い。
 千世に対しても実に平等な視点でもって昇進を決めた。元はと言えば、海燕から彼女の席位を上げても良いのではないかと進言を受けたのが切欠だったくらいだ。個人的な感情を含んだことは無い。

「ボクは千世ちゃんの事だなんて一言も言ってないのに。自分で墓穴掘ってるじゃないの」

 馬鹿だねえ、と笑う京楽を前に浮竹はしばらく無言でその表情を見返していた。
 確かに、京楽の口から千世の名前が出て居なかった。にも関わらず「お気に入りの子」という言葉を聞き、勝手に千世に思い当たっていたという事である。
 何か返したところでまた揚げ足を取られるだけのように思えて、浮竹は口を閉じて三度書類に目線を戻す。何度も同じ行を目で追いながら、京楽の「墓穴」という言葉が耳にこびりついて離れない。

「自覚してるんだ。へえ、珍しい」
「何を根拠に言っているのか知らないが、そんなつもりは全く無い」
「まあボクの勘違いなら悪いね」

 とても謝罪する様子には思えない満面の笑みを浮かべる男を、浮竹はじっとりと見る。余計な世話を焼きたがるのは昔からの性分だと知っている。いや。世話というより、面白そうだから突いてみようかというぐらいの興味なのやもしれない。
 どちらにしても京楽の鼻が利くのは違いないことだった。心当たりが無ければ、こうもあからさまに動揺をすることなど無い。一向に頭に入らない書類をとうとう机上に置いた浮竹は、短く深く息を吐き出した。

「頼むから、この先余計なことはしてくれるな」
「ボクが余計なことしたことなんてあったかな」
「今この瞬間の事だ」

 わざとらしく京楽は眉を上げて肩をすくめる。
 実に余計なことだ、密かに根付きつつあったものを自ら認め受け入れるべきはずが、この男に叩きつけられたのだ。しかしこの先それを活かすか殺すかは己次第であり、他人にどうこうされる謂れはない。
 つまり一度は認めたという事になるのだろうか。だがしかし、いや。考えるほどに深くなる眉間の皺を、目の前の男はさも可笑しそうに、口の端を上げながら眺めるのだった。