たとえば君に届くなら

2022年9月28日
おはなし

 

 瀞霊廷の繁華街の一角に、現世品を仕入れる小ぢんまりとした雑貨店がある。可愛らしい小物や、此方では珍しいものばかりが並ぶ店で、若い隊士、特に女性の間で人気なのだと千世から聞いていた。
 浮竹はそういう流行り物だったり現世の洒落気には疎く、特別興味があるというわけでも無かった。ただ店の場所だけは知っていて、時々その店の前を通ると女性客が楽しげに棚を眺めている様子が目に入るくらいである。
 自分には縁のない店だと思っていた。目の前に並ぶ掌に収まるくらいの猫の置物や、用途不明の針金で作られたような小物が乗った棚を眺めながら思う。自分には、縁がなかった筈なのだが。
 ほんのりと甘い香りの漂う店内で、浮竹はどうにも居心地悪くそわそわ辺りを見回した。と、会計機の横に立つ店員と一瞬目が合い、にこりと微笑まれる。少し頭を下げ、ぎこちない笑みを返しながら、やはり止めておくのだったと数分前をしきりに後悔していた。
 今日は午前の月例隊首会の後、京楽に誘われ昼食を済ませた。定食屋の前で解散した後はそのまま隊舎へ戻る予定だったのだが、その道すがらこの雑貨屋が目に入った。というのも、珍しくがらんとしていたのだ。
 しかし、ただ珍しく空いている事が理由だというだけで、足を向けようとはならない。
 その佇まいからしてこの店は女性客を求めている。壁板は白く清潔で、植物や淡い色の花の植木鉢が店前には並べられている。開け放たれた引き戸の脇には、手作り感が可愛らしい手書きの看板が立てかけられていた。
 いつもは賑わう店内には店員一人の影しか無い。今しかない、と思ってしまった。辺りを見回しても人通りは少なく、さっと一瞬で済ませれば良いのだと意を決して店に踏み込んだ。
 いらっしゃいませと言い終える前に、浮竹隊長、と女性店員は目を丸くする。当たり前だろう。流行りの店に来る理由など、到底無いであろう男だ。

「…すみませんが、髪留めはありますか」

 少しは探してみようかと店内を見渡したが、すぐに自力では無理だと悟った。浮竹の言葉に、店員は少し驚いたように眉を上げる。瞬間はっとして、姪に、と適当な嘘を付け足すと、彼女は柔和に目尻を下げた。
 思い出すのは数日前のことだ。執務室へ書類を届けに顔を出せば、千世が髪留めを失くしたと眉を曲げていた。彼女が失くしたというのは執務室でいつも髪を結いている、つまみ細工の小花がひとつついた髪留めだ。
 何処かで落としてしまったのか、間違えて捨ててしまったのかもしれない。そう彼女はしゅんと肩を落とす。余程気に入っていたのだろう、充分探したと言いながらもまだ、書類を捲ったりごみ箱を覗いたりする姿が気の毒だった。
 その日以来、他に気に入ったものがないのか、何の飾り気もない黒い髪留めで結いていた。そのさみしげな彼女の髪の束を見ながら、何か似合うものを選んでやりたいと思っていたのだ。

「こちらです」
「すごいですね、こんなに沢山」
「ご相談も乗りますので、お声がけください」

 ありがとう、と軽く頭を下げる。案内された場所には、確かに髪留めが無数に並んでいた。目がちかちかするような細かいものばかりだ。鉤に掛かった髪留めを順番に眺めていれば、ふと平置きにされていたひとつが目に入った。
 他の品物の位置を崩さないように、そっと手に取る。
 碧玉のような淡く濁った翡翠色が、楕円形の金具に平たく埋め込まれている。その翡翠色はよく磨かれた石のようにつるりとしていたが、触ってみれば本物の石というわけではないらしい。髪を結うとその飾りが、結び目を隠すようだ。実に簡単な作りだが、大人びた上品さですぐ気に入った。
 彼女が失くして落ち込んでいた、小花の少女っぽい可愛らしさも良いが、今の彼女にはこの飾りの方がきっと合うように感じた。
 数年前までは小花の方が似合っていた。ばたばたといつも必死に全力で走り回っているような、がむしゃらに懸命な姿には華やかで賑やかな愛らしさがよく似合う。
 今だって大まかには変わっていないのだ、いつも全力で懸命な姿は微笑ましい。だが少しずつその中心に、決して折れることのない芯と自信を感じることが増えた。信じることの出来るものが増えたのだろう。
 その灼然たる成長を上司として誇らしく思いながら、そのしなやかな魅力に異性として一層惹かれている事を自覚していた。妙なものだと思う。恋人でありながら、時折息が詰まるほど募る思いを憶えるというのは。
 手にとった淡い翡翠色の髪飾りを手にしながら、似合うに違いないと眺める。これは願望か、もしくは押し付けがましい独断だろうか。専断、身勝手、色々と名は付けられそうである。

「お包みいたします」
「ええ、はい。お願いします」
「姪御様、きっと喜ばれますね」

 一瞬何のことかと固まったが、姪にと適当な嘘をついたことを思い出し頷く。僅かな罪悪感を、微笑みで誤魔化して返した。

 

 千世が雨乾堂へ顔を出したのは、日が落ちた頃だった。
 今日彼女は一日霊術院での講義の為隊舎を離れており、つい先程戻ったばかりなのだと言う。疲れているのか眠たげな様子だったが、今日中に済ませたい書類を数枚手渡された。目を通して押印だけと言うから、その間彼女は座布団の上で待機している。

「授業は順調かい」
「はい、生徒とも少しずつですが打ち解けてきましたので」
「それは良かった。歳が近いから、生徒もやりやすいだろう」
「近いと言っても、他の先生方に比べてですよ」

 代理の講師として急遽霊術院へ出向くようになって数ヶ月が経とうとしているが、ようやくその生活にも慣れてきたようだ。
 目をしばたかせて書面の小さな文字を追いながら、浮竹は微笑んだ。
 副隊長の傍ら霊術院での講師業とは、この長い死神生活でもあまり聞いたことはない。だが、きっと大丈夫だろうと半ば楽観視して背を押したのは、彼女の能力と性格を見てのことだった。意外な諦めの悪さを浮竹はよく知っているし、何より逆境を乗り越えて得るものがあることは彼女自身が知っている。
 やはりはじめの頃は隊での業務と、週に数度の授業との兼ね合いで苦労する姿を見ていた。真夜中にまだ明かりの灯る執務室を覗き、机に突っ伏し眠る背に毛布を掛けたのは一度や二度ではない。
 だが日を追うごとに疲れよりも溌剌とした表情が増えた。あの時その背を押してやったのは、間違いでなかったのだと思った。
 傍でその成長を目の当たりにできる事が誇らしいと思う。例えば大切に育てていた朝顔が、その絞られた蕾を花開かせるような、鮮やかで輝かしい瞬間に似ている。
 別に誰の為に咲いたわけでもないのに、自分だけの為に咲いてくれたかのように錯覚する。厚かましい。そう分かって居ても、彼女の満たされたような笑みを向けられると、不遜な自分が僅かに顔を覗かせようとする。

「お忙しいところありがとうございました」
「それは俺の台詞だよ。いつもありがとう」
「止めてください、仕事なのにお礼なんて」

 そう笑いながら千世は立ち上がり背を向けた千世を、浮竹は見送るつもりがつい呼び止めた。後ろで一つに結われた髪に、見慣れぬ飾りがついてるように見えたのだ。
 髪、と呟くと、千世は結び目に触れる。これですか。振り返った彼女の声は、どこか弾んだように聞こえた。

「生徒の子から貰ったんです」
「……院の?」
「はい。私がお気に入りの髪留めを無くして落ち込んでると、この前少し話していたのを覚えてくれていたみたいで」

 おもむろに浮竹は立ち上がり、彼女の背へ近づく。彼女の結われた髪の根には見慣れぬ可愛らしいつまみ細工の小花がついている。彼女が無くしたと嘆いていたものと、色味は違うがよく似ていた。
 髪の束に触れ飾りを指先で持ち上げると、千世は少しくすぐったそうに肩を窄める。
 まさか一足先に越されるとは思っても居なかった。週に数度しか顔を合わせない生徒相手に。彼女がそんな他愛ない話をするほど、そして髪留めを贈られるほど慕われているとは思いもしなかった。
 可愛らしい飾りだ。白い色の小花と、薄桃色の小花が寄り添っている。これを選んだ相手の顔も名前も知らないが、彼女が失くした髪留めの形を覚えていたということなのだろう。彼女の細部までよく見ている。だが、どうして見ている。
 一瞬ぐらりと揺らいだ感情を、浮竹は自覚するより前に飲み下す。と、飾りから指を離すと彼女に背を向け、引き出しへ仕舞っていた小さな包みを取り出した。

「渡したいものがある」
「私にですか?」
「他に誰が居るんだ」

 浮竹はそう笑って差し出すと、振り返った千世は突然のことに驚いたように目を丸くした。掌に乗せた包みを、千世は恐る恐る開いてゆく。急に何の事かと思っているのだろう。
 やがて中から現れた淡い翡翠色の髪留めに、わあ、と口を丸くあけた。大切そうに摘んで掌に乗せ、良いのですか、と浮竹を見上げる。

「偶々見つけてね、千世によく似合うと思った」
「…嬉しいです。隊長も覚えて下さっていたんですね…すみません、ありがとうございます」

 も、と並列されたことに俄に違和感を覚える。普段ならばさして気にも留めないのだろうが、今はやけに引っかかり、返しの言葉が見つからなかった。
 大人げない情けのない感情だとは分かっている。些細な事で、時折この感情が芽を出すことに気付いてはいた。知らないふりをして往なしていたが、どうしようもなく手に負えないと思うことがある。
 いわゆる嫉妬だった。あまり縁のない感情だった、というのは彼女への想いを意識する前の話だ。真っ直ぐな眼差しを向けられ、それは一度たりとも浮竹から逸れたことが無かった。懸命に努力を怠らず成熟してゆく彼女の姿を、まるで自分のもののように思い違いをしている節がある。
 普段その感情は奥底に眠らせている筈が、ふとした弾みに芽を出す。情けないと思いながらも、しかし正しく治める術を知らず、彼女へその矛先を向けるしか無かった。
 奥歯で苦い薬をすり潰すような不快感に、浮竹は眉間に浅い皺を寄せた。彼女が髪留めを懐へしまいかける様子を見てまた一つ皺が寄る。千世、と呼び止めた。

「今付けてみて欲しい」
「隊長からの戴きものなので、大切なときに付けようかと思ったのですが」
「普段から付けて貰うために買ったんだ、今結いてくれ」

 わがままに思われただろうか。だが普段からわがままを言っているような訳でもない。たまに言ったところで何ら罰は当たらないだろう。
 はい、と頷きながらも千世は少し不思議そうに浮竹を暫く見上げ、後ろ手に髪を解く。ふわりと落ちた髪から、良い香りがする。小花の髪留めは彼女の手首に移動し、代わりに今贈った淡い翡翠色が彼女の髪へ乗った。
 思った通りだと彼女の背に回りながら目尻を下げる。上品で落ち着いた色合いが、今の千世にはよく似合った。

「似合うよ、思った通りだ」
「……自分では見えないので、分からないのですが」
「後で鏡を合わせて見てみなさい。やはり君は綺麗だよ、つい見惚れそうになる」

 ぎく、と音がしそうなほどに彼女の動きが固まり、次の瞬間には耳まで紅く染まった。それが愛しくて頬に触れれば、やめてくださいと潤ませた目を伏せる。
 かわいいな、とつい口から零すと彼女は今にも泣き出しそうな顔で熱い吐息を漏らした。普段あまり甘い言葉を使わない分、口説かれどうすれば良いのか分からないのだろう。
 右の手では彼女の頬をやわやわと触れながら、左手で彼女の手首に通っていた小花の髪留めをするりと抜く。あ、と咄嗟に捕まえようと動いた彼女を封じるように、顎を指先で引き上げ唇を重ねた。
 彼女の柔い唇を甘く噛みながら、ようやく取り戻したような心地だった。別に心が離れた訳でもないというのに、気の済むまで手繰り寄せて満足する。きっとこれは、後にも先にも彼女以外に覚えることのない感情なのだろう。
 流石に此処までの行動で彼女も勘付いたのか、唇が離れると照れくさそうに笑う。浮竹が取り上げた髪留めを見ながら、それ、と口にした。

「…それをくれたの、女の子です」
「女だろうが男だろうが、関係のないことだよ」

 友人だろうが同期だろうが、自分以上に今の千世を知る者は居ない。浮竹は微笑みながら、彼女の結ばれた髪にそっと指を通した。

 

たとえば君に届くなら
2022/09/28
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