願いごと

おはなし

 

 

 縁側の柱へ麻縄を結びつけると、僅かに引っ張り緩みがないか確認する。よし、と小さく呟いてから、その様子を眺めるために少し距離をとった。
 立派なものではないが、笹を譲られたのだった。背丈は自分の腰ほどで、だが細い節からは葉が立派に広がっている。定期検診で卯ノ花のもとを訪れたところ、沢山あるから一つ貰ってくれないかということだった。
 七夕が近いというのは、隊舎の中庭に飾られた立派な笹を見て知っていたが、気づけば今日だったか。数日前に書いて欲しいと清音から渡された短冊を、昨日丁度結んだところだ。
 誰が作ったのかは分からないが、折り鶴と吹き流しや網飾り、そして短冊と色とりどりの飾りが楽しげにぶら下がり、見事なものだと自然と目を細めた。やはり行事は賑やかに限る。隊士達が童心に帰って笹を見上げる様子を眺めながら、つくづく思ったものだ。

「隊長、戻られていたんですね。おかえりなさい」

 襖から顔を覗かせた千世へただいまと微笑むと、おかえりと浮竹もまた千世へ返した。浮竹が検診の間、夕飯の買い出しに出ていたのだろう。その腕には食材の入った紙袋が抱えられている。
 おいで、と浮竹は彼女を手招きして呼ぶ。何の飾り気もない笹を敢えて呼んでまで見せるのも気恥ずかしいように思えたが、彼女ならばきっと喜んでくれるだろうと、無邪気な反応を期待した。
 どうしたんですか、と不思議そうに首を傾げた彼女は抱えた紙袋を畳の上へ置き、庭に立つ浮竹の元へと近づく。やがて浮竹の視線の先にあった笹を早速見つけると、わあ、と嬉しそうにその口元を緩めた。
 思った通りの素直な反応を見ればつられたように浮竹も口が緩み、誤魔化すように唇を舐める。

「卯ノ花隊長に貰ったんだ。飾りも何も無いんだが、折角だからね」
「隊の立派な笹も良いですけど、こういうのも可愛らしくて好きです」

 風が吹くとさらさらと葉が揺れ、擦れる音が心地よい。昼間は夏らしく暑かったが、夕方になってようやく風が出てきた。生ぬるいものの滲んだ汗を乾かすには十分で、縁側に腰を下ろすとその風を受けながら、僅かに色づいてきた空を見上げる。
 今年の七夕はよく晴れた夜を迎えそうだ。丁度良い風も吹いて、雲は流れてくれる。織姫と彦星の一年に一度の逢瀬は、きっと叶うのだろう。
 つい、ぼうっとしていれば隊長、と背後から背をつつかれ慌てて振り返る。千世が差し出しているのは何かの切れ端で、明らかに手で破いてきたような様子である。

「これ、どうぞ」
「…これはもしかして短冊かい」
「…すみません、今急ごしらえで…帳面から千切ってきたのですが…」

 ぼうっと空を見上げている間に、いそいそと用意してくれたのだろう。あまりに大胆な短冊に思わず笑えば、千世は恥ずかしそうに頬を染め俯く。折角の笹が、このまま七夕を終えるのでは可哀想だと思ってくれたのだろう。
 さて、と筆を受け取り暫く筆を手に短冊を見下ろしたものの、ううんと一つ唸った。

「隊の短冊へもう願いを書いてしまったからな…」
「ああ、そうでした…願い事、二つもしたら織姫と彦星に嫌われますかね」

 どうだろう、と浮竹は笑う。一つでなければならないという訳でも無い。実際にいくつも短冊の願いを吊るしている隊士は居るし、皆好き勝手様々な願いをしている。
 二つ目の願いを書いた所で罰が当たるような訳もないだろうが、どこか憚られてしまうのは願いの効力が薄まってしまうような気がするからだろう。ある意味貪欲とも言えるかも知れない。願いを一つに絞ったのだから叶えてくれたって良いだろうと、いや、そこまでは思いもしていないが。

「二人で一つの願いにしようか」
「二人で、ですか」
「連名の願いなら、別口として受け取ってくれるかも知れないと思ってね」

 成程、と千世は笑う。子供じみた言い訳のようだが、納得するには十分だろう。さて、何にしようかと浮竹は短冊を膝に置き、隣へとやってきた千世を見る。

千世は、隊の短冊には何と書いたんだ」
「ああ、ええと…それが……皆の願いが叶いますようにと…」

 おや、と浮竹は眉を上げる。その願いごとには覚えがあった。

「いえ、その…隊長のお願い事を真似したのではなくて…私も清音さんから短冊を渡されて、執務室で書いて持っていったんです」
「偶々同じだったという訳かい」
「…はい。驚いて、変えようかとも思ったのですが…結局そのまま飾ってきてしまいました」

 千世は居心地が悪そうな様子で、目を伏せる。その頬はまた赤く色づき、口元はぎゅうと結ばれている。浮竹の反応が気になるのか、ちら、と時々目線を向ける様子が可笑しい。どうにもそのいじらしさを目の前にすると、自然と口が緩んで困った。
 彼女らしい願いだと思う。同時にそれが自分らしいかと聞かれればそれは自分では分からない。いずれにしても、連名で短冊を書く必要が無くなったという事だ。
 示し合わせるでもなく、二人で一つの願いを既にぶら下げてしまっていたならば、此処でまたもう一つ願い事を書く意味もない。

「どうしましょうか、この紙」
「折角千世が作ってくれたんだ、飾っておこうか」
「作った、という程でもないのですが…」

 お恥ずかしい、と千世が申し訳無さそうに肩をすくめるから、思わず笑った。
 ぶら下げる為のこよりがついているわけでもないから、紙に穴を開けて笹の葉を通す。二つの白紙の短冊が無理やり取り付けられた笹の葉は、その重みに少し頭を垂れた。
 弱い風が吹き、白い紙が揺れる。七夕というにはあまりに素っ気ない、穏やかな様子である。そうたった二枚の紙が寂しく揺れるだけの笹だというのに、しかし彼女と共に眺めたこの光景を、どうしてか遠い未来でも鮮やかに思い出せるような気がしていた。

2022/07/07