君しか知らない鼓動

2022年6月13日
おはなし

 

 先日、十三番隊の管轄地区である空座町で起きた、複数同時発生した小型虚の殲滅確認で現世に訪れていた。派遣隊士より殲滅報告の後、特に問題がないと駐在隊士からは連絡を受けていたものの、空座町は注視区域とされていた為、上位席官が確認に赴かなくてはならなかった。
 同じような屋根が並ぶ住宅街が発生場所であったが、周辺を一通り確認して回っても報告通り問題は無い。念の為暫く上空で待機をしていたが、死神の霊圧に誘われ虚が現れる事も無い。懐から帳面を取り出し、完了と一筆記録した。
 さて、と帳面を再び懐に仕舞いながら街を見下ろす。普段であれば、このまま尸魂界へと帰還するのみであったが、今日はこの後半日の休暇をとっていた。
 だが、特に何かがあるという訳ではない。出立前、浮竹へ一言挨拶だけでもしてから出ようと思い顔を出した際だ。久しぶりの現世だから少し楽しみなのだと言ってみれば、少し見てきてはどうかと提案された。
 楽しみなだけで、特に何を見たいとか欲しい物があるだとか、そういう用事はなかったから一度は断ったのだが、どういう事か押し切られた。見学でもして来たらどうか、と半ば強制的に半休を取らされたのだった。
 彼の気遣いだったのだろうかと思う。日々寮と隊舎の往復で、たまの休日は彼の屋敷に篭もり過ごす事がまるで決まりきったようになっていた。
 不満があった覚えはないのだが、彼がやけに強引だったのはどこか浮かない表情でもしていたという事だろうか。しかし実際、久しぶりに尸魂界から出てみれば普段とは違う空気が心地良い。
 伝令神機を取り出し画面を見つめると、ある地点の座標を確認する。角張った建物が立ち並ぶ中、ある一角が目当てだった。
 高度を下げながら徐々に近づく殺風景な様子のそこに、ぽつんと古びれた様子の家屋が建つ。まるで空き地に生えて現れたような、周囲と見比べれば異様な雰囲気を持つ日本家屋である。
 訪れたことは初めてであった。話に聞いていた通り、不思議と入り難い様子である。建物の前に降り立ったものの、なかなかその戸を叩く勇気が出ず、千世はところどころ錆びのついた看板を見上げながら、目の前にして尻込みした。
 一歩進み、そのガラスから中を少し覗く。薄暗い店内は木目の棚と紙箱が積み上げられ、人の気配がない。聞いた話では、店主の他に三名ほどは従業員が居るということだったのだが。

「御用ですか」

 背後から聞こえた男の声に、千世は目を見開いたまま固まる。一切の気配がないまま現れたその背後の姿に恐る恐る振り返れば、目深にかぶった帽子の男が口元に緩く弧を描いていた。
 日南田サン、と男はまるで昔から見知った仲のように親しげに呼ぶ。度々話には聞いていたが、顔を合わせたのは初めてだ。軽く頭を下げ挨拶をすれば、無精髭の男は目元に影を作っていた帽子のつばを指先で軽く持ち上げ、その少しばかり眠たげな目をじっと千世へと向けた。
 何か見透かされるような視線に、気まずく目を反らす。身体の裏側を見つめられているようで、どうにも居心地が悪い。

「どうもォ、朽木サンから聞いてます」
「お、…お世話になります」

 千世はまた深く頭を下げる。技術開発局の初代局長と聞き、一体どれほど恐ろしい相手かと身構えていたがひとまず安堵した。帽子に甚平、足元は下駄と明らかに怪しい風貌だが、随分涼し気な目元をしている。
 どうぞ、と案内され古い木の引き戸をがたがたと開く。薄暗い店内を進むと、間もなく畳の部屋へと通された。ちゃぶ台の前に腰を下ろせば、お茶でもどうですかと聞かれたが、一瞬迷って断った。技術開発局の初代局長という肩書がどうしても頭を掠るのだ。

「これから現世観光とか」
「ええ、はい。あまり現世に来る機会は無いので、見てきてはどうかという事で」
「お一人で?」
「ええ、はい…その予定ですが」

 千世がそう答えると、浦原は一瞬宙を見てから無言で頷いた。千世が義骸を必要とする理由については、朽木から聞いているのだろう。彼から少し待つように伝えられ、踵を返し襖の向こうへ消える背中を見送った。
 この浦原商店は、浦原がはじめ言ったとおり朽木から紹介をされていた。浮竹から急な休暇を貰ったは良いものの、現世観光で何処を観光しようかと悩んでいれば、任務帰りの彼女に丁度出会ったのだった。
 事の次第を話せば、どうしてか周りをきょろきょろと気にしながら、空座町の興味深い施設や洋菓子店など、いくつか伝令神機に登録してくれた。そのついでに、浦原商店のことを紹介されたのだ。浦原喜助が崩玉の件や、藍染離反の件で色々と噛んでいる人物だということを聞いてはいたが、顔を合わせたことも姿を見たことすら無い。
 彼女が言うには、浦原が義骸を用意してくれるから、任務後に現世観光をするならば拠点として浦原商店がちょうど良いと言うのだ。顔見知りという訳でもないから一度は断ったものの、細かいことを気にする相手ではないと言う。
 確かに技術開発局へ寄り義骸を受け取り、更に現世へと運ぶのは毎度のことながら中々に手間だったから、取り計らってくれるという彼女の言葉に最終的には甘えることにした。

「お待たせしました、ご依頼の義骸ッス」
「ありがとうございます、急なお願いにも関わらず」
「とんでもない。霊圧のサンプルさえいただければ直ぐッスよ」

 霊圧のサンプルを彼に渡した覚えはない。一体何処で手に入れたのか知らないが、あまり詳しく聞くことは控えた。
 しかし自分の義骸というものは、見る度に妙な気分だ。鏡とも違って、あまりまじまじと見る気にはなれない。どういう技術かは知らないが、生身の人間と比べても遜色ない肌の質感を持った自分の分身というのは少し薄気味悪いのだ。
 彼の腕の中でまるで眠っている自分の身体は、畳の上へと横たえられる。浦原は千世の義骸を前にどうぞどうぞと入ることを促すが、気まずく曖昧にうなずいた。男性の目の前で気兼ねなく着替えを出来る女性は居ないだろう。
 しかし眼の前で眠る自分の義骸は、随分可愛らしい衣服を身に着けていた。技術開発局から借りる時は生身か大体適当な布を巻かれているから、義骸に入ってから適当に揃えた衣服に手を通している。
 果たしてどのように着せたのかは、これもまた聞くことは控えるが、しかし随分洒落た服である。淡い青色の布地は腰の少し高い位置で絞られ、膝下まで柔らかく丈が伸びている。
 松本から時折受け取る、現世の雑誌にも良く載っている衣服だ。今日も現場で確認をしながら、道行く女性のふわふわと風で揺れる裾を見ていた。
 千世の視線に浦原は気づいたのか、ああ、とその裾をつまむ。

「このワンピースは朽木サンからのご依頼っスよ」
「ワンピース…この洋服のことですよね?」
「ええ、彼女も気に入ってよく着られてました。今日は特別可愛いらしいものをと、ご用命で。慌てて買いに走りましたよ…でもどうです?アタシのセンス、中々じゃありませんか?男ウケバッチリの清楚なロングスカートワンピース」
「お、男ウケ…?ああ、でもそうだったんですか…ありがとうございます。でも朽木さん、そんなことどうしてわざわざ…」

 首をひねる千世に浦原はさぁ、と同じように首を捻る。それがどうにも白々しく見えたから、訝しむような目を向ければとぼけたように帽子のつばを下げた。

「ではアタシは野暮用があるのでこの辺りで。義骸は、脱いだら消えるインスタントタイプなんで返却はお気になさらず」
「ああ、はい…ありがとうございました。あ、ワンピースは…お代が必要なら…」
「お代なんて結構ッスよ、朽木サンには頭が上がらないもんで。日南田サンのお土産にでもしてください」

 じゃあ、と彼は暗い色の羽織を翻すと、奥の部屋へとその姿を消した。
 静かな部屋でぽかんと千世はぱたんと閉じられた襖を見つめていたが、ふと壁の時計を見て慌てて立ち上がる。折角貰った半休が刻々と過ぎている。
 義骸へ入り、身体を慣らすように手首や足首をぐるぐると回す。指先までしっかりと入り込めている着心地に、うんうんと一人頷いた。脱いだら消えると言っていたから少し心配だったのだが、ともすれば技術開発局で受け取る義骸よりも着心地が良いかもしれない。
 ご丁寧にも洒落た靴まで用意をしてくれていた浦原に、内心感謝を述べながらふらふらと歩き出す。かかとが高くなっているから中々安定が悪く、店を出てもしばらくよたよたと壁を伝うように歩いていた。
 その靴にも少し慣れた頃、伝令神機を取り出して朽木がつけてくれた座標を確認する。ここから数百メートル先に絶品の洋菓子店があるのだと言っていた。二人で食べるのに丁度よいパフェという珍しい品があるようで、やたらと勧められた。一人だと、言った筈なのだが。

千世

 肩をつんつんとつつかれ、千世は思わず固まる。現世で自分の事を知る者などほとんど居ない。突然の事に恐る恐る振り返ってみれば、白髪の男が笑顔で立っていた。

「やっと見つけたよ」
「…な、何で隊長…義骸ですか…?」

 長い白髪は後ろで束ね、白いシャツの上へ気軽に灰色の紳士服を羽織った姿を千世は目をぱちぱちとさせて見る。出立の挨拶をした際の彼は執務室で書類に囲まれ忙しそうで、まさか現世へ来るなど一言も言っていなかった。
 状況がよく飲み込めずまだ目を丸くしていれば、彼は襟を摘んで、変かな、と照れたように笑った。

「変じゃないです、全然……でも隊長、どうして急に…言ってくださればよかったのに。…もしかして、そのつもりで…?」
「ああ、いや…それが、まあそうなんだ。だが千世に休暇を取らせたはいいが、俺の方が手を付けていた仕事が終わるかどうか、怪しいところだったからな…」

 休暇を取ったらどうか、などあまりに急だと思ったのだ。そう聞けば、急な提案にも合点がいく。

「それに…もし行けなかった時、一番がっかりするのは俺だからね。言わないでいた」
「いえ、私の方ががっかりします」
「…それなら、やっぱり言わないで正解だった」

 穏やかに目を細めた浮竹に、千世は口元を緩める。
 手に余っていた仕事は、途中で現れた朽木が手を貸してくれたようで、思っていたよりも早めに片がついたようだ。偶々なのだろうが、彼女には色々と助けられてばかりだった。土産に何か買っていこうかと言う浮竹に、千世は大きく頷く。

「…あと、…千世

 それ、と浮竹は千世を頭からゆっくりと視線を下げてゆく。かすかな風にゆらゆらと揺れる長い丈を千世も見下ろすと、腰のあたりの布を少し摘むとそのシルエットを見せるように広げた。浦原が自画自賛していた通り、男ウケをするかどうかは知らないが、上品で清楚な落ち着いた色合いと胸元や袖の控えめな装飾が可愛らしい。
 可愛いですよね、と満足気に彼の顔を見上げれば、少し戸惑ったようにああ、うん、と頷いた。微妙なその反応にぎくりとしながら、着慣れない服装にはしゃぎ過ぎただろうかと途端に顔が血が上る。反省するようにすみません、と一言小さく呟くと、彼は慌てたように謝った。

「違うんだ、その…やけに、照れてしまった」
「…そ、そういうことを言われると、私の方こそ…」
「お互いに慣れない場所で、慣れない格好だからかな。初めて会った相手みたいだよ、ずっと前から知っている筈なのに」

 よく似合ってるよ、と浮竹は照れくささを噛み殺すように口もとに力を入れて答えた。恐縮して縮こまって頭を下げながら浦原のしたり顔が頭に浮かんだが、慌てて掻き消した。彼が選んだ服だとは、この状況で流石に言えまい。

「ああ、そうだ千世
「はい、…何でしょうか」
「…ほら、…その」

 何か言いたげに片手を持ち上げた浮竹に、千世はあっと僅かに息を止める。ああ、そうか。此処は瀞霊廷のように知り合いに囲まれた場所ではない。いくら隣を歩こうが、手を握って歩こうが人目を気にしなくて良いのだ。
 ああ、とその手を取る前に、貸しなさい、と彼がどこか気まずい様子で小さく言う。慌てて右の手を差し出すと、彼の大きな手のひらが案外強い力で掴まれた。

「…なんだか照れますね。こういうお出かけ、初めてなので」
「そうだな…瀞霊廷じゃ人目があって、外出すら出来ない…まあ此処でも、一護君達に会う可能性はある訳だが」
「ああ、それは…彼らの霊圧を捕捉しておきましょうか」

 彼らの霊圧は特殊だからその必要はないと、浮竹は笑う。
 昼の住宅街を歩きながら、走る子供やゆっくりと歩を進める老人らとすれ違う。お互い着慣れぬ衣服を身に着け、まるでこの世界で溶け込んでいるような気になっている。いや、きっと実際に溶け込んでいるのだろう。
 握られた手は汗が滲むほど熱いというのに、離れないよう強く握り返す。義骸を通していても、この熱は紛れもなく彼の体温だった。どくどくとなり続ける心臓の鼓動と、手のひらに薄っすら滲む汗は、紛れもなく自分のものだった。
 生々しい現実味のある質感に触れる度、喉の奥が僅かに細くなる。そう夢ではないのだと感じるほどに、少しだけ自分が死神であることを悔しく思ってしまうのだ。道行く楽しげな人間の笑い声や、幸せそうに睦み合う姿が目に入る度、僅かにまだ知らない感情が揺らぐのが分かる。

千世、どこへ行こうか」
「ああ、ええと…それじゃあ先ず…」

 彼の声にはっと顔を上げ、空いた手で慌てて伝令神機を取り出した。二人で小さな画面を覗き込みながら、目的地を指定する。
 画面上で目的地へ矢印が向けば、あっちかな、と浮竹はぐいと千世の手を引いた。目を輝かせてまっすぐ前を見る彼の無邪気な様子に、千世は眉を曲げて笑う。長いスカートの裾を風に揺らしながら、もう少しくらいはこんな夢を見ていても良いだろうと、硬い地面を踏みしめた。

 

君しか知らない鼓動
2022/06/13
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