つくづく続く

2022年2月16日
おはなし

 

手折れないもの-後日談1.2の一年後のお話です

 

 良かれと思った事が裏目に出るというのは、ままある。想像を及ばせすぎた、気を遣いすぎた、というよりも、気を遣う方向が誤っていたのか。
 二月に入り、そわそわとし始める男性隊士と、こそこそとし始める女性隊士の浮かれたような雰囲気に千世は一体どうしたものかと不思議に思っていた。
 バレンタインがもうすぐなのだと朽木から聞かされた千世は、暫くバレンタインという言葉を頭の中で繰り返した後、ああ、とぽんと手を叩いた。徐々に去年の様子を思い返す。女性から男性へ、密やかな思いを洋菓子に載せ伝える現世の行事と初めて知ったのが、昨年の話だった。
 現世ではもう馴染みの行事のようだが、この尸魂界にはまだ輸入されてきたばかりで、昨年から特に流行りを迎えている。
 千世も松本にそそのかされて、昨年は手作りのおはぎなんてものをどさくさに紛れて渡したものだ。思い出すとどうにもこっ恥ずかしくて掻き消したい記憶である。
 当時片思い真っ只中であったあの頃、明らかに叶うはずがないと知りながら、烏滸がましいにも程があるあわよくばが見え隠れしていた。
 知ってはいたが、隊長ともなれば当日受け取る菓子は数多く、隊のみならず隊外からも届けられる数々に千世は呆気にとられたものだ。きっと自分の渡したものの記憶など、埋もれてしまったに違いない。分かってはいたものの、そして勝手に淡い思いを載せ手渡しておきながら、意気消沈とした。
 その思い出がどうにも苦く残っていた千世は、今年も聞こえたバレンタインの足音を敢えて聞こえないふりをして過ごしていた。今年は念願叶って恋人として過ごすにも関わらず、この行事を千世は敢えて見ないふりをして迎えたのだった。
 密やかな思いを伝える行事ならば、恋人同士なら別に渡す必要もないのではないかと思ったというのもある。だが一番は、彼が当日に渡されるであろう数々の上等な菓子と比べてしまうと、自分で太刀打ちできないと分かっていたからだ。
 昨年の様子を見るに、現世にわざわざ出掛けて特別なものを買ってくるようなマメな女性もいれば、瀞霊廷の有名店高級店で、庶民は手を出すのを躊躇うような値段の菓子を送っている者も居たようだ。
 どうせ、両手で抱えられないほどの菓子を貰って帰るのだろうし、きっと千世が用意をした所で量が増えて迷惑になるだろう。ある種それは気遣いでもあったのだ。彼の事だから、きっと全て口にしなければと考えるだろうし、余計な菓子を増やさぬようにと思ったのだが。

「……ええと…たくさん貰われて来られるものだとばっかり……」

 目を丸くした浮竹は、千世の言葉を聞いた今もなお、ぽかんと口を小さく開いている。
 千世がこの屋敷へ帰ってから、遅れること数時間。帰宅して早々そわそわとした様子が抑えきれない浮竹に、申し訳なく思いながらもごもごと、実は用意が無いのだと伝えたのがつい今ほどである。
 色々と気を遣いすぎたのか、はたまた気を遣わなすぎたのか。千世の想像から思いもよらぬ方向へ彼が動くとは思わなかったのだ。
 というのも、今日の昼過ぎ。襖を軽く叩かれ現れたのは、ぶすくれたような表情の清音の姿だった。その手には可愛らしい小箱が見え、ひゅっと心臓が縮むような感覚になったものだ。きっと浮竹に渡す菓子に違いないと、いくら清音が相手とはいえ、言い得ぬ感情が淀む。
 彼女は、あーあ、とがっかりしたような声を上げてどっかりと長椅子に腰を下ろす。明らかに何があったか聞いてくれと言わんばかりの様子に、どうしたのかと恐る恐る尋ねてみれば、なんと浮竹から菓子の受け取りをやんわり断られたのだと言う。
 思わず、は、と声を漏らしたものだ。まさかそんなはずが無い。というのは、その性質が何であれ、彼ならば思いを無下にする事などあり得ないだろうと、それは彼の人柄を考えればごく自然に導かれる姿だ。
 噂のバレンタインデー当日であった今日は、朝から浮足立つ隊舎から逃げるように千世は執務室に籠もっていた。万が一女性隊士がおずおずと浮竹に菓子を手渡す姿など見た時には、どのような感情が生まれるか分からない。と、危惧していたのだが。
 清音が言うには、勿論彼女ばかりではなく他の女性隊士も同じようにやんわりと断られたと。一ヶ月後のホワイトデーを気にしてのことかと思い、お返しは要らないのだと伝えた所で、暖簾に腕押しというような態度であったのだという。
 これがどういう事か分かるかと、清音は身を乗り出して千世に言う。さあ、ととぼけて返せば、彼女は得意げににやっと笑った。

「隊長がまさか、受け取りを断られてるとは思わなくて…」
「いや…勿論分かっているんだ、本気になるような行事でないと」
「い、いや、隊長…すみません、何と言いますか……すみません」

 謝らないでくれ、と彼は笑う。しかし、謝るほか無い。本気になるような行事ではない、というのは千世も同じ認識ではあった。彼もその言葉通りそう思っているには違いないのだろうが、しかし女性から手渡される菓子をご丁寧にも断っていたのだ。
 清音が不敵な笑みを浮かべながら言うのは、間違いなく女性の影があるということだった。あの浮竹が理由もなく受け取りを断ることなど無い。女性しか理由はあり得ないのだと、清音は熱を込めて言う。そう思わないかと同意を求められたものの、どう答えればよいか分からず曖昧に頷いた。
 まだぶつぶつと何か言う清音に、千世は手元の書類に目を通しているフリをして興味無いように振る舞う。だが、内心冷や汗が垂れるのを感じていたものだ。
 まさか、楽しみにしているのではあるまいか。未だその時点では想像でしかなかったが、清音の言う通り、押し並べてやんわり断っている理由に、千世の存在が関係している可能性は高い。
 彼女が部屋を出た直後、慌てて隊舎を飛び出して和菓子店洋菓子店を回ったが、大流行を迎えた話題の行事当日ともなれば軒並み売り切れである。辛うじて売っていたのは安価なかりんとうくらいで、購入して手渡したところで有り合わせにしか見えず、結局やめてしまった。
 だが、きっとそこまで甚大なことではないと思ったのだ。ここ数年で現世から輸入されてきた女性好みの行事を、彼がまさか重要なものとは思っていないだろうと。

「昨年、千世がおはぎをわざわざ作ってくれただろう」
「ああ…はい、乱菊さんと一緒に…」

 それが嬉しかったんだよ、と浮竹は困ったように眉を曲げて笑う。そして僅かに紅くなった耳を隠すように、髪を垂らした。
 嬉しかったと、それはまさか世辞ではあるまい。記憶されていたのかと、千世は彼の顔を見上げながら自然と口元が緩むのを感じた。
 松本に誘われあまり乗り気では無いまま作ったおはぎを、折角だからと意を決して彼へ手渡せば、想像していたよりもずっと嬉しそうな様子に気恥ずかしくも嬉しかったものだ。
 気遣いだったのか、それとも特別な意図は無かったのか知らないが、一緒にどうかと誘われ、ひとときの小休止を楽しんだ事を思い出す。手作りらしく形は多少いびつだったものの、目の前で頬張る様子に頬が緩んだ。
 千世以上に流行りに疎い浮竹は、バレンタインという行事を昨年の時点では把握していなかったようだが、ホワイトデーのお返しをひと月後に受け取ったということは、京楽あたりに教えられたのだろう。
 思い出してみれば優しい記憶だというのに、こっ恥ずかしいと蓋をしていたのは、返礼品に駆け回る彼の姿を見てからだろう。分かっては居たが、数居る隊士の中のひとりでしかなかったのだと、改めて知らしめられるようだったのだ。
 しかし嬉しかったのだと、目の前で思い出すように目を細める姿を見ると、当時から少しは特別だったのだろうかと期待してしまう。尋ねるような無粋な真似はしないが、そう想像するくらいは自由だろう。
 だが同時に、彼のそんな気も知らずに、この行事をやり過ごそうとしていた自分がどうにも情けなく思える。

「昨年のお菓子、隊長一人で食べられたんですか?」
「折角だから、殆どは有難くいただいたよ」
「結構な数だったのに…すごいですね」
「…だから今年は、千世に貰った分だけを楽しもうと思っていたんだが…」

 そう言ってじっとりとした視線を向ける浮竹に、千世はさっと顔を逸らす。やはりそういう事だったのか、と彼の口から実際にそう聞くと、申し訳無さで胸が苦しい。
 手渡される菓子を断るというのは、いくら理由があるとはいえ、気分の良いものでは無かっただろう。彼の性格を思えばなおのことだ。
 彼が受け取るであろう上等な菓子を目にする前から、想像を及ばせ勝手に嫉妬していたとは、何とも自分の中の幼い感情が顕になるようで恥ずかしい。だが誤算だったのは、まさか彼がバレンタインのような浮ついた行事を案外楽しもうとしていた点である。
 ごめんなさい、ともう一度絞り出すように呟くと、彼はまあ良いんだとけらけら笑う。肩を窄める千世の頭をぽんぽんと軽く叩き、彼はようやく白い羽織へ手をかけ肩から落とす。

「来年に期待してるよ」
「い、いやいや、明日作ります!おはぎでも、団子でも…隊長の好きなものを」

 箪笥の前で腰紐をするすると落とす彼の元に、千世はぱたぱたと近づき浮竹を見上げる。眉を上げて目線を下ろす彼は、ふっと微笑み、違うよ、と一言呟く。

千世。こういうのは当日でないと意味がないんだ」
「そ…そうなんですか…?」
「そう。だから来年、期待してるよ」

 浮竹の言葉に、千世はこくこくと頷く。来年、と頭の中で繰り返しながら、それはきっとまばたきのようにあっという間なのだろうと思う。当たり前のように来年の今頃にも彼の傍に居る姿を思い浮かべたが、恐らくそれは彼にとっても同じだったのだろう。
 ひととせ経つごとに当たり前が増え、重なってゆく。それはきっとどれもごく些細なことばかりだというのに、つぶさに思い返すことが出来るほど、鮮やかに形を持ったものばかりだった。

 

つくづく続く
2022/02/16
(バレンタイン)