さかさゆびきり-2

2022年1月5日
おはなし

 

 入隊の日、空は曇り、挙げ句に桜は既に散りかけていた。
 六回生となり席官としての入隊が決まった時、ひしひしと喜びと、自分に科せられた責任を感じるとともに、思い出すのは二年前に卒業をした彼女のことだった。
 卒業以来、彼女の話を聞くことは無くなった。というよりもそれは、俺自身が彼女の話を意図的に遠ざけていたからだろう。ただひとつだけ耳に入ったのは、彼女が十三番隊の席官となったということだけである。
 そして偶然にも、俺は十三番隊の席官として入隊となった。配属を知らされた時、一瞬心臓が飛び上がるようだった。それは紛れもなく、彼女の姿が頭を過ぎったからであって、同時に俺は、自分が二年も顔を合わせずに居ながらも忘れられずに居ることを呆れもした。
 入隊の日、自然と彼女の姿を探した。ずらりと並ぶ十三番隊の隊士の中、その立ち位置で席位はおおよそ分かる。隊長、副隊長と正面の中央に立つその脇を固めるように並ぶ死神たちの中に、彼女の姿を探した。恐らく席官だろう。だが、しかしその姿は無い。
 学院内では何処に居ても嫌というほど目立った彼女の姿は、黒い死覇装を身にまとった集団の中、何処にも見当たらなかった。護廷隊は異動が頻繁に起きるとは聞いていたが、しかし霊術院を主席で卒業した彼女が数年で異動とは考えにくい。
 当然、解散後先輩隊士を一人でも捕まえて彼女の行方を尋ねようかと思ったが、しかし入隊早々女性の行方を聞くなど妙な憶測を呼びかねないと流石に控えた。

日南田さんは、今どちらに」

 日南田さん、と相手は繰り返す。入隊後、地獄のような研修を終えた頃であった。新入隊士ながら席官として迎え入れられた分、諸先輩方の目は厳しく、それはひと月続いた研修で他の隊士と比べても如実に表れた。
 しかしその日々を終えてからは、正式に隊の一員となったように思えたのは確かだった。学院ではもてはやされた力も、実際、死地を何度も潜り抜けてきた死神とは比べ物にならないほど未熟であり、少しでも実力を自負していた己の浅はかさを幾度となく恥じた。
 ようやく一人前、とはならずとも半人前の席官として初めて任務へ同行した折、ようやくその名前を口に出した。護廷十三隊へと入隊して初めてだったと思う。

「彼女なら、四番隊へ異動したよ。ご結婚されてね」

 あ、と喉が詰まったような音が漏れた。四番隊とは主に救護や補給を専門とする隊であって、戦線からは離れる。どうして、という疑問は、結婚という言葉によって打ち消された。
 そして、自分が十八席として入隊した理由も合点がいった。彼女の席位が上がったのではない。彼女が抜けた場所に、俺がそのまま入ったというわけだ。
 彼女は去年の秋頃、突然名家との婚姻が決まったのだという。名を聞けば上級貴族の、日南田家よりもひとつ格の上がる良く名の知れた家であった。通常貴族の一人娘となれば婿養子を取るなどして家名を継ぐ必要があるが、実際のところ日南田家には婿養子を取り家名を存続させるまでの力はもう無くなっていたのだという。
 よって、婚姻によってせめて今ある家族が不自由にならぬようにと、そう前々から決まっていたものだった。だが彼女が頑なにそれを嫌がり、家の反対を押し切り護廷隊への入隊を強行したという。
 しかしそれも、入隊ほどなくしてとうとう折れざるを得なかったのだろう。

 本来ならば隊を離れ、世継ぎを望まれるはずが、護廷隊では個人の事情により脱退や除隊は許されない。それは相手が上流貴族であっても、変わらぬ掟であった。ならばせめてもと四番隊への異動となり、今は救護棟で過ごしているという話だ。
 全て噂だけどね、と彼は笑う。だが彼女が結婚をしたことだけは事実であって、それによって名字を変えたこともまた同じであった。

「でも彼女、勿体なかったな。良い剣捌きで、実戦向きだよ」
「当たり前です、……あぁ、いや。すみません。学院時代に、回道は苦手だと…仰っていたのを、聞いたことがあったもので」

 つい語気が強まった。彼女が実戦向きであることを何より知っているのは俺だと、そう言いたくなった。
 彼女から回道が苦手だと聞いたのは、ある日の放課後だった。彼女と木刀を使用しての手合の際、加減を誤り打ち合いの反動で俺の木刀が飛んだ。彼女が握る木刀も瞬間に跳ね返り、それなりの勢いでもって彼女の肩へ当たり、飛ばされるように倒れた。
 青ざめたものだ。大切な彼女の身体に傷のひとつでもつければ、申し開きが立たない。咄嗟に近づけば、大丈夫と苦く笑う彼女が半身を起こすのを止め、その身体を支え痛むであろう場所に手のひらを当てる。
 身体が弱い分、回道についてはよく書を読みまた実践もしていた為、自信があった。暫くして彼女の苦しげな表情が和らぐと同時に、じっと見上げる視線に気付いた。咄嗟だった為か、彼女の細い身体を支える為に触れている状況をようやく理解して次第に顔が赤らんでゆくのを感じる。
 すごいね浮竹君、とすぐ近くで呟かれた言葉は、不思議な甘さを孕んでいた。今でも覚えてるほどに静かで、まるでその場所以外の時が止まったかのようだった。それから我に返ったように慌てて俺は彼女の身体から離れ、顔の赤さを誤魔化すために背中を向けたものだった。
 回道が不得手だと聞いたのは、その時だった。回道だけは勘が掴めず、ずっと苦手なままなのだと。だからすごいね、そう褒められる気分は決して悪くは無く、謙遜をしながらも何度も、彼女の輝いた瞳を思い出していた。

日南田さんと、仲良かったの」
「…いえ、いや…先輩でしたので」
「へえ、それだけか。やけに、熱入ってたみたいだけど」

 俺の二倍ほどの歳であろう先輩席官は、そう言ってにやっと笑う。違います。そう言葉だけは立派に答えたものの、蘇った思い出が自然と表情を緩ませる。
 彼女が他の男のものになったと知ってもなお、あの時の彼女の身体の温もりを思い出して胸を熱く出来るとは、大したものであった。
 だがそれは、彼女がした結婚というものがいわゆる政略結婚だったからだろう。そこに彼女の想いは籠もっていないのだと、それは想像上であったとしても、俺がせめてもと縋る可能性であった。
 だからといってこの恋が実るわけではないというのに。だがそう分かっていたとしても、その微かな可能性というものは俺を掬い上げるには十分だった。

 

2022/01/06