理由

2021年12月17日
おはなし

理由

 

 えっ、と千世は素っ頓狂な声を上げると、清音は不思議そうに目を丸くして顔を見返した。

「浮竹隊長を好きになる理由は分かるけど、でも殆どは隊長としての尊敬の好きだと思うの」
「え!?」
「だから、千世さんが浮竹隊長の事をいつ異性として好きになったのかなあ〜って」
「……えっ!?」

 あまりに前触れのない問いだったから、突然のことにばくばくと鳴る心臓を落ち着かせるように深く息を吸って吐く。
 任務後の暇を持て余しているらしい清音が、菓子盆の煎餅を拝借しに訪れたのは数十分前。千世は書類の上に筆を走らせながら彼女の世間話に耳を傾けていたのだが、突然、やけに突っ込んだことを尋ねられて思わず背筋が固まった。
 いつ好きになったの、と単刀直入に尋ねられ、咄嗟に思いを巡らせたもののこれと言っていつからという時期が分からず固まりようやく絞り出した声が、えっ、とそれだけだった。彼女から予想打にしない事を尋ねられることは今に始まった事ではないが、それにしても唐突で動揺に筆先が乱れた。
 筆を硯に置き、千世は湯呑を口に運ぶ。無言で居れば彼女も飽きて次の話題に移るだろうかと思ったのだが、しかしバリバリと煎餅を齧りながらまた口を開く。

「確かに隊長好きーって子もいるけど、手が届かないって分かってるから楽しんでるって感じもあるじゃん」
「そ、そうなの!?」
「そうだよ、本気で隊長の事狙ってる子なんて居ないよ!だって、隊長だよ!?無理無理、叶わないから」

 けらけら笑う清音に、千世は何ともいい難い表情ですうっと視線を逸らす。つまり、千世は正常な判断が出来ていなかったという事になりはしないか。勿論千世だって彼に関しては叶うはずがない、殿上人のような存在だと思っていた。本気で狙っていた、訳ではないとは思うのだが、紆余曲折在りながらも、だがしかし思いを伝えてしまったという事は、本気で狙っていたという事になるのだろうか。いや、だが。
 上官としての尊敬、憧れは未だに持ち合わせている感情だ。それはきっとこの先も消えることのないものだと思う。だがそれを押し上げるように、焦がれる思いが同時に存在している。それがいつから芽生えたものだったのか、思い出そうとすれば相当果てしない時を遡らなければならない。
 そう思い返しながら一点をじっと見つめていれば、彼女のにやっとした視線に気づき慌てて硯へ転がしていた筆を再び握った。

「何思い出してたの」
「な、なにも」

 ふぅん、と清音は煎餅をくわえたまま笑う。早く飽きて帰ってくれないだろうかとそろそろ思うのだが、こういう時に限って彼女は長椅子で横になり、すっかり腰を据えてしまっている。

「でもさ、不思議だよね。いくら一緒に過ごしてても、なんにもならない異性同士も居るのに、何が違うんだろ」

 そう言って、清音はまた煎餅をひとつ齧った。いくら過ごしても何もならない異性、と聞いて、真っ先に檜佐木が頭に浮かぶ。彼は確かに異性だが、妙なもので同期で仲間で友人でもあって兄のような、弟のような、妙な存在だと思う。きっと、彼にとって千世もそうなのだろう。
 互いの認識がきっと同じか、それに似ているから保てている関係なのだろう。片一方が少しでも重い気を起こしでもすればその天秤は均衡を失って、さてどちらに転ぶかは分からない。
 だからそれを思うと、よくも上官に対して天秤の均衡を崩そうという度胸があったものだ。だが、その均衡を崩してもよいと思った時が、彼女の尋ねる、異性として意識をしたという事だろうか。いずれにしても、いつからなんて明確な切欠は分からない。強いて言えば、初めて彼と出会ったあの日からその堆積は始まっていたのかもしれない。
 筆を一旦止めていた千世はふと微笑んでから、再びさらさらと紙の上を走らせた。

 

(2021.12.17)