目眩

おはなし

目眩

 

 彼女とこの家で暮らし始めはや数ヶ月が経つ。それまでも彼女がほぼ住み込んでいるようなものであったが、しかし彼女が長く住居としていた寮から、荷車一つ程度の荷物をこの居宅へ二人で運び込む時、改めてやけに強く実感をしたものだった。
 彼女の荷物は実に小ぢんまりとしたものだった。いくつかの衣類と、小物類。書籍や帳面が最も嵩張って、山となりまだ部屋の隅で重なっている。いくら寮の小部屋とはいえ、たかが数年過ごしただけという訳でもあるまい。荷物が少なすぎやしないかと驚いて千世に言えば、もともとあまり物欲が無い方なのだと笑って答えた。
 言われてみれば確かにそうだった。何が欲しいとねだられたことは一度もないし、彼女自身が、どうしても欲しい物があるとかそういう事も聞いたことがない。副隊長ともなり、更に住居費のほぼかからない寮暮らしとなれば決して金銭面の問題がある訳ではなかろうに、まさに物欲がないと、そういう事だったのだろう。

「…こんなもの買ったかな」

 休日に部屋の掃除をしながら、十四郎はふと箪笥の上に乗る寅の置物を見つけた。何故寅かと暫く考えていたが、ああそう言えば来年の干支が寅だったかと思い出す。見覚えのない置物をまじまじと見つめたまま、記憶をさらってみるが、昨日の朝は確かに無かった筈だった。
 自分が置いたのではないのならば、きっと千世だろう。しかし別にあってもなくても良いような干支の置物を彼女がわざわざ買ってこの場所に飾ったというのだろうか。しっかりと置物の下には台座を置いて。
 しかし思い返してみれば、家に見慣れぬものが置かれている事が最近やけに増えていた。食器棚の皿であったり、揃いの湯呑や、色違いの手ぬぐいも先日洗面所に重ねられていた。千世が買ったのだろう、と特に深く考えもしていなかったが、しかし珍しいではないかと今頃になってはっとする。
 皿も湯呑も手ぬぐいも十分揃っているというのに、何を思って買い足したのかと不思議であったのだ。もともと物欲が無いと自称している事もあった上、それは十四郎も認めるところではあったのだが。
 千世、と寅の置物の前で十四郎は名前を呼ぶ。遠くではーいと答える声の後に、ぱたぱたと足音と共に彼女が顔を覗かせた。

「この寅の置物、千世が買ったのかい」
「気付かれましたか」

 笑みを抑えきれない様子でそう言うと、千世はいそいそとその傍へ寄る。寅の置物の頭へ指先を乗せ少し撫でるように滑らせると、可愛くないですか、と同意を求めるように呟くから、ああ、と一つ頷いた。

「干支の置物を毎年集めていきたいと思ったんです」
「それは良い。…でも珍しいな、千世が置物を買うなんて」
「え、珍しいですか?」
千世も言ってただろう、あまり物は買わないんだと」

 十四郎の言葉に、ああと千世は思い出したように頷く。引っ越しの際に、彼女がいかに必要最低限のものしか揃えていなかったのかと驚いたものだ。ただでさえ物を買う意欲が低いのだから、置物なんてあってもなくても良いようなものを自ら購入するのは実に珍しい。

「寮の時はそうだったんですが…」
「この家では違うのかい」
「ええっと…何といいますか…」

 千世は少し悩んだように腕を組み首をかしげる。

「一緒に過ごした時間が、目に見えるみたいに思ったんです」

 ようやく見つけた言葉を口にした千世は、そう言い終えるとふふと笑ってまた置物へと目線を向ける。

「私達と一緒に過ごしてくれる物が増えるのが嬉しくて、つい色々と買ってしまって…だめですね。少し控えないと…」

 彼女の言葉に、表情が緩んだ。緩みきってしまっていた。彼女の他誰にも見せられないような、だらしのない表情に違いない。
 また寅の置物の頭に指先を乗せ照れたように笑う千世を目の前に愛しさが満ち、ついその背へ腕を回し抱き寄せる。腕の中へ収まる彼女の細い身体を抱きしめながら、眩しくも無いというのにぐらりと視界が揺らぐ心地よさにこの身を浸した。

 

(2021.12.11)