待ちぼうけ

おはなし

待ちぼうけ

 

 瀞霊廷の中央から少し離れ、住宅がぽつぽつと点在するような緑豊かなある場所に、大きな桜の木がある。樹齢どれほどだろうか。目一杯に枝を広げた姿は、葉がついていない冬でも思わず感心するほどに立派だ。
 春になれば、この大きな枝には可愛らしい薄桃色の花が数え切れないほどにつき、それはもう見事だ。僅かに風が吹き、その花弁が舞う様子などまさに桜吹雪と言うような様子で、開花の時期になれば毎日のように花見が行われている。
 あの見事な景色が懐かしい、と、桜を思い浮かべながら寂しい丸裸の枝を見上げた。この冬の間に硬い蕾が出来、春の開花に向け準備を整えるのだろう。
 しかし。とうに予定の時間は過ぎているはずなのだが現れる気配がない。今日はもともと二人で出かけようかと話していたのだが、千世に急務が入ってしまった。しかし午後には隊舎を出られるというから、昼どきを過ぎた午後二時にこの桜の下で待ち合わせをしていたのだが。間もなく三時を迎えようとしている。
 昨日の夜になって急遽決まった予定だったようだから、多少伸びても致し方ないのだとは思うのだが、一時間が過ぎてしまうと不安になり始めるというものだ。
 彼女のように伝令神機は持っていないし、個人的な事情で地獄蝶は使えない。のろしでも上げてくれれば良いのだが、まさかそこまでは望んでいない。
 だから、こうしてかれこれ一時間待たされている訳だったが、しかし不思議と退屈ではなかった。この場所は春でもない限り人通りは滅多に無いし、目に入るものと言えば色褪せた草原くらいなものだ。

 夫婦となったものの、休日に何処か出かけると言っても、あまり人通りの多い場所には出ようとは思えない。どこもかしこも知った顔ばかりの瀞霊廷内で、二人連れだって歩けばいやでも目立つというものだ。関係を公にした今ではあるが、どこかしらから向く視線がどうにも居心地が悪い。
 だから二人で何処か静かに過ごしたいような時は、こうして人混みから離れたような場所を自然と選んでいた。となれば、森だとか山だとか、そういう場所になってしまうわけだが。
 今日は何処まで歩こうかと、この先の景色を思い浮かべる。葉を落とした木々の連なりと、好き放題に伸びた椿にはそろそろ首の重そうな花が満開の頃だろうか。そのまま川へ出れば、川べりの緩やかな傾斜へ腰を下ろして、せせらぎを聞きながら他愛のない会話を交わすだけで、いつも勝手に時は過ぎてゆく。
 まるで老年の夫婦のような休日だと京楽には笑われたことがある。それはどこか図星であったから、言い返すこともなくううんと唸ったものだ。

 時には若い子が好むような、もっと遊び甲斐のあるような場所へ行ってみようかと提案をしてはいた。彼女は自分に比べてまだ若いし、彼女の周りの男女が過ごす休日というものも、少なからず興味があるのではないかと思ったのだ。
 だが彼女は決して首を縦には振らず、二人では静かな場所で過ごしたいのだと決まったように答える。それがあまりに頑なだから、結局彼女と過ごす休日といえば自宅の庭いじりだとか、人通りのほぼ無いような場所の散歩や、山へ薬草と山菜取りだとか。行って食材の買い出しくらいだ。
 彼女がそれで良いのだと言うから、実に地味な休日を過ごしており、だがそう毎回続けば次第に罪悪感のような思いが強くなるというものだ。歳が上の自分に付き合わせているのではないかと、そうやがて不安になり尋ねてみれば、彼女は慌てたように、これが他ならない自分の希望だったのだと、そう言って肩を竦めた。
 人の注目を浴びたくないというのは恐らく大前提ではあるのだろうが、二人で過ごすだけで十分だから、特別な何かをするような気にはならないのだと言う。だから、嫌でなければこうして特筆すべき事のない日を過ごさせてほしいのだと、そう頭を下げられ、十四郎は頷くしかなかった。

 ふと感じた気配に、顔を上げる。まっすぐ伸びた道の先に、この距離でも分かるほどに見慣れた人影が走って近づいて来ている。その姿に軽く手を触れば、足の回転をさらに早めたようだ。

「…すっ……すみません…どうしても抜け出せず、連絡もできなくて…」
「いや、良いんだよ。そんなに待ってない」
「そ、そんなにって、一時間半ですよ…!?」

 そうだったか、と十四郎は笑う。待ちぼうけていた時間の割に、退屈さを感じていない。記憶を思い返しながら、あれを話そう、これを話そうなどと浮かべていただけだが、気付けば時が過ぎていた。
 隣に腰を下ろしていた千世は息がようやく整ったようで、すくと立ち上がる。行きましょうかと笑う彼女の横に並び歩みを進めながら、桜が春につい蕾を緩めたくなるような気持ちが、少しわかったような気がしたのだった。

 

(2021.12.08)