儚い

おはなし

儚い

 

 まだ夏が後ろ姿を見せるような時期だというのに、雪が降った。
 午後に入ってから急に冷えはじめ、夕方になるとはらはらと空から冷たいものが舞い降り頬にぴたりと張り付いた。それが雪だと認識するまで数秒を要したのは、時期外れにもほどがあると、その唐突さに判断が追いつかなかったからだろう。
 いくら冷え込んでいても、まさかこの時期に雪が降るわけがあるまいと思い込んでいた。百年以上を尸魂界で過ごし、初秋に雪が降った試しなど記憶する限りでは恐らく無かったからだ。
 それは瀞霊廷の皆にとっても同じであったようで、道を歩く者皆上を見上げてわあ、とまるで子供のように無邪気な独り言を漏らしていた。
 三番隊の吉良へと借り物を返しに行っていたその帰り道、千世は芯から冷える前にと小走りで隊舎へと戻る。廊下で擦れ違う隊士たちは皆手を揉んだり腕を擦りながら、口々に寒い寒いとこの季節に似つかわしくない様子が妙で、夢の中にでも居るのかと思ったものだ。
 いくら冷えているとはいえ流石にこの時期に火鉢を出すのは憚られていたのだが、雪が降るまでともなれば話は違う。すっかり冷え切った執務室へ戻ると、押入れからずるずると火鉢を引きずり出し炭を熾した。
 まだ温まるには多少時間がかかるか、と白い息を吐いた時、ぎっちりと締めていた雨戸ががたがたと揺れた。風だろうかとも思ったのだが、千世、と聞き慣れた声でその向こうから名を呼ばれたような気がして、ふと固まる。
 もう一度同じように聞こえたから慌てて雨戸を開くと、十四郎が雪の下でぽつんと立っていた。空耳ではなかった。どうしたんですか、と思わず尋ねれば、雪だよ、と笑顔で曇天を指差す。

「知ってますよ」
「…何だ、知ってたのか……」

 がっくりとそう肩を落とす姿に、思わず笑った。
 雪が降ってきたことに気付き、急いで雨乾堂から飛んで来たのだろう。わあ本当だ、と少しでも驚いたふりをしておけばよかっただろうかと、そう少し後悔するほどに拗ねたような表情だ。
 しかし先程よりもまた随分空から落ちる雪の量が明らかに増えている。既に庭の木々の葉は薄っすらと雪化粧をはじめているし、庭石の上は具合が良いのか既に多少雪の厚みが出ていた。このままでは土の上まで一面真っ白になるのもそう遠くない。
 そんな寒々しい光景を眺めていればぶるっと身震いするほど芯から冷えるようで、風邪を引きますよと縁側から彼を呼ぶ。だが彼は特に気にも留めない様子で、逆に千世へおいでと手招きをした。

「折角の雪なんだ、もう少し楽しみたいじゃないか」
「冬になれば珍しいことでも無いですよ」
「それはそうだが、…ほら、冬の雪とはまた、こう…風情が違うだろう」

 結局庭には降りないまま、千世は彼の言葉にううんと答える。確かに、まだ色づき始める直前の葉に雪が乗る様子というのはあまり見れたものではない。まだ冬の準備が出来ないまま雪に降られた植物たちはさぞ驚いていることだろう。
 千世を待っているのかまだ庭の中央でぽつんと佇む十四郎を、もう一度手招きで呼ぶ。温かいお茶淹れますよ、と釣り糸を垂らすような気で言ってみれば、彼が目を輝かせる瞬間が分かった。やはり寒いのではないか。

「お茶飲んで温まったら、お庭で遊んであげますからね」
「な…なんだそんな、子供に言い聞かせるみたいに…」

 縁側へ上がりながら十四郎が眉をひそめるから、千世は答えず微笑みながら雨戸を隙間ないように締めた。
 その後冷えた身体を暖めるように火鉢で暖を取りながら、熱い茶を二人で楽しんだ訳であったが、ぽかぽかと温かい心地が実に気持ちがよく長椅子に腰掛けたままうとうととうたた寝をしてしまったのだった。気付いたときにはもう一時間ほどは経っていて、窓の外を見れば先程の曇天が嘘のように晴れ渡り青空を覗かせている。
 慌てて十四郎を揺り起こして雨戸を開け放てば、雪の姿はすっかり消え雨上がりのように濡れた地面と、葉は朝露のようにしっとりと湿っていた。まるで二人して同じ夢でも見たのだろうかと、ひっそりとした庭を前にして呆然とするのだった。

 

(2021.12.03)