手紙

2021年11月27日
おはなし

手紙

 

 執務室で机に向かったまま、険しい顔で筆を握っている。ううん、と唸りながら机上に置かれた一枚の便箋を、まるで穴が空くほど見つめかれこれ数分が経っていた。
 この便箋を渡されたのは午前中のことだった。瀞霊廷通信に連載中の原稿を十四郎から回収するために隊舎を訪れていた檜佐木と出会ったのだが、その際に手渡された。
 印刷所から販売予定の見本を貰ったのだという。書き心地をいつでもいいから教えてくれと言う彼に、手紙は滅多に書かないからと伝えたのだが。たまには書いてみろと言う檜佐木に突き返すまでの理由はないから、渋々そのまま受け取った。
 だからといって無理をして書かずとも良いとは思うのだが、机の端に置きっぱなしにしていた便箋がどうにも気になり、こうして今目の前にして悩んでいる。悩むくらいならば別に今日でなくても良いとは思うのだが、一度悩み始めてしまった以上、中断するの悔しく思えたのだ。
 筆を硯の墨で湿らせ、便箋に穂先を向けたまま暫くじっと見下ろし考えるが、しかし言葉が出て来ず諦めてまた姿勢を崩す。
 誰に宛てて書こうかと考えた時に浮かぶのは、やはりというべきか十四郎の姿であった。日頃から言葉を交わすことが多いものの、文字でのやり取りというものは実に少ない。だから珍しく、たまには形として思いの残る手紙のひとつでもしたためてみようかと思ったのだ。
 ううん、とまた千世は悩んだように腕を組み便箋を見つめる。

「手紙か」
「う、うわっ!?」
「さっきから呼んでいたんだが、随分集中してるようだったからな」

 突然横に現れた姿に、千世は慌てて便箋を隠すように突っ伏したが今更遅い。拝啓、とだけ書かれた便箋を十四郎は覗き込みながらおや、と眉を上げる。珍しいと思ったのだろう。業務上の簡単な置き手紙は少なくないものの、畏まったそれというのは滅多に無い。
 書類を届けに来たのだと言う十四郎は、紙類の積み重なった上にその封書を何気なく置いた。

「書き出しに悩んでいるのか」
「い、いえ……いや、えーっと……はい…」
「時候の挨拶が一般的じゃないか?今だとそうだな…無難に、晩秋の候…いや、堅すぎるか」

 十四郎は顎を指で掻き、ううんと唸る。これから宛てようと思い浮かべていた本人から助言を乞うというのはどうにも気まずいが、彼はまさかそうとは思っても居ないだろう。
 時候の挨拶と思しき言葉をいくつかを彼は独り言のように例を挙げているが、千世にはあまり馴染みのない言い回しばかりで、腑抜けたような表情で頷くばかりだ。
 やがて興が乗ってきたのか、筆を貸してくれと言うから手渡すと、適当な裏紙にさらさらと何やら書き留める。立ったまま、腰を僅かに屈めいくつか書き出したものを千世に見せながら、この辺りが妥当じゃないかと、一人納得するように頷いた。

「内容は?」
「内容…は、ええと……感謝とか…そんな感じです…」
「感謝か。良いじゃないか。手紙は口で伝えるよりも、ずっと素直に言葉を届けやすい。嬉しいだろうね」

 十四郎はそう言って嬉しげに笑う。そろそろ気づかれるのではないかと思いびくびくとしているが、しかしそういう気配はない。千世が珍しく自ら手紙に手をつけようとしていることを心から喜ぶような様子であった。
 普段報告書や稟議書やらと無機質な書類にばかり囲まれ、自分の思いを文にする機会などそうない。だからこそこうして考えあぐねている上、妙に照れくさく思えて中々筆を走らせる事ができずに居る。
 その上、何のいたずらか手紙の宛先として思い浮かべていた相手に覗かれるとは。元々得手でない手紙だというのに、余計に気を張って筆が遠のいてしまう。いつ書き始めるのかと興味津々な様子で視線を感じる手元を微動だにさせないまま居た。

「隊長、その…見られていると書けませんので…」
「ああ…悪い。何だか、気になってね」

 悪い、と言いながらもだが立ち去る素振りは見せず、まだ千世の手元へ視線を落としている。余程千世の書き出す手紙を見たいのか、何なのか。はっきりと言わないから本心は分からないが、そわそわと落ち着かない様子が徐々に感じられていた。

「…ところで…誰に出すんだ」
「いえ、えっと……内緒です」
「内緒?」

 流石に勘付かれたかと、千世はそう誤魔化しながらも窺うように彼を見るが、しかし眉をハの字にしたその頭上に浮かぶのは疑問符だけのようであった。手紙の宛先など真っ先に気にするところではないのか、とは思うが、彼が真っ先に思ったのは、千世が手紙をしたためる珍しさへの興味だったのだろう。
 今更になり誰宛なのかと気にし始めるところが、どうにも彼らしいと言えばそうなのだが。

「…何でも良いじゃないですか、ね!私は一回仕事に戻りますので!」
「いや、だが…」
「あとはお楽しみに」
「お楽しみに…?」

 千世は立ち上がり、彼を追いやるようにその背を押す。名残惜しそうに振り返りながらも、廊下へと出された彼は不満げに口をへの字にしていたが、千世はそのままぱたんと襖を閉じた。
 かれこれ一時間以上机上にぽつんと乗る便箋は、まだたった二文字だけを乗せたまま、窓の隙間から吹き込む風にその端を僅かに揺らすのだった。

 

(2021.11.26)