月夜

おはなし

月夜

 

 瀞霊廷が寝静まった時分、自宅へ向かい歩を進めていた。予定していたよりも遅い時間になってしまったと、歩幅を大きくする。
 歳の近い者同士数人で集まった何ということのない呑み会だった。以前までは全員が独り身だった為、独身会などと誰かが呼称していたが、一人二人が身を固め、十四郎が今年籍を入れた為、所属も階級も異なる数人の共通項と言えば、今は性別くらいなものである。
 近況報告や世間話から始まり、酒が少し入れば下世話な話題になり、何度か寝たふりをした。話題を振られた所で、まさか彼女とのどうのこうのを話す訳がない。あんまりに悪酔いが過ぎる中年集団に呆れながら、時計を気にし何度か離脱を試みたのだが、腕を引かれて結局店仕舞いまで共にする事となってしまった。
 日付は超えないと彼女に伝えていたのだ。それまでには必ず帰ると言っていたのに、時計の針は頂点を過ぎてさらにもう一周をしてしまっている。流石にもう寝てしまっているだろうかと、ふと灯りの消えた部屋を思い浮かべ妙に物寂しくなる。
 こんな時間に帰宅しておきながら、何を身勝手なと、そう分かってはいるもの、だが玄関を開け彼女がおかえりなさいと迎えてくれる事が何より幸福であった。そんな願いは単なる我儘で、時間と彼女の健康を考えれば既に眠って居てくれた方が良いに決まっているのだが。
 そう足を早めていると、ふと影が横切ったように感じ、目線を横にやると穏やかな笑みをたたえた女性の姿に思わず息を止めた。こんばんは、と鈴を転がすような声を掛けられ、一つ息を深く吐き出してから同じように返す。

「驚きましたよ…どうされたんですか、こんな遅い時間に」
「散歩です。この時間は邪魔が入りませんから」
「…それはなんというか…すみません…」

 折角の彼女の一人の時間を邪魔してしまった事に、十四郎は素直に頭を下げる。しかし、まさか出会うとは思っていなかった姿であった。寝間着姿の卯ノ花は、どういう訳か隣を同じ歩幅で進む。

「こんなお時間にお帰りですか、新婚でいらっしゃるのに」
「いえ、はい…まあ…付き合わされてしまいまして」
「浮竹隊長はお人がよろしいですからね」
「そういう訳ではありませんが、いや…、すみません」

 あらあら、と言ったように上品に口元を袖で隠し微笑む姿は、どうにも叱られている気になるというものだ。暗にこんな時間まで嫁を一人にしている事への忠告だろうか。その表情からはまるで読み取れないが、そう叱られている気になるというのは、少なくとも自分でもこの状況が望ましくないと分かっているからだった。
 だからせめて急いで帰路についていたのだが。卯ノ花は相変わらず穏やかな様子であったが、しかし無言のまま、特に何か話題にする訳でも無く、それならば頭を下げて瞬歩で一息に飛んでしまおうかとも思うがそういう訳にもならない。

「如何ですか、ご結婚後の生活は」
「え!?…い、いや…何と言いますか…まあ、その。良いものですよ」
「でしょうね」

 一息置いて十四郎が照れたように答えれば、にこやかにそうぴしゃりと返され、一瞬でもつい口元を緩めてしまったことを後悔した。酒は控えていたと思っていたが、多少は酔いが回っていただろうか。
 しかし、彼女が突然個人的なことを聞いてくるなど珍しく、何事かと思った。千世と籍を入れてから、卯ノ花とは隊首会で一度顔を合わせただけで言葉は交わしていない。いや、もともと個人的な話をするような仲でもないのだが。

「実のところ、ご結婚されるとは思いませんでした」
「ええ、自分でもそう思いますよ」

 卯ノ花の言葉に、十四郎は一瞬真顔になったものの、その後ふっと笑う。唐突ではあったが、恐らく彼女が唯一興味に感じている事であったのだろうと思う。興味か、疑問か。それは己でも少なからず感じては居た事であった。
 一人の女性のこの先の未来を護り続ける事がいつまで叶うか分からない。だが分からないなりに、その傍に居ることを選んだのだった。彼女にとって自分にとって、それが紛れもない最良の選択肢であるのだと、そう確信足る思いを共に知っていた。

「よほど大切にされているのですね、互いに」

 そう彼女は上品に笑うと、次の瞬間にもう姿は無い。彼女の言葉を反芻しながらふと空を見上げると、真丸な月が見下ろすように昇っていた。きっと日が落ちた頃からその姿を見せていただろうに、今頃気づいた十四郎はその真円を見上げたまま歩みを進める。
 いくら進もうと、その場所から見下ろし続ける月からまるで追われるように、明かりの灯る住処へと足を早めるのだった。

 

(2021.11.25)