地図

おはなし

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 方向感覚は比較的良い方だった。この感覚というものは生まれ持ったものもあるのか、今まであまり道に迷ったという事がない。今まで恐らく数千と任務に就いた中、全く無いという訳ではないのだが、うろうろとしていればやがて元の道に戻るか、それとも目印になるものを見つけて軌道修正が出来ていた。
 その程度の方向感覚は持ち合わせていたから、瀞霊廷内のどこもかしこも似たような、塀だらけの複雑な道でも特に今まで迷うことなど無かった。はずなのだが。
 一番隊舎に書類を届けに向かい、それから十三番隊舎へと戻るいつも通りの道のりだったはずだ。遠回りも近道もせず、いつもと変わらぬ道を辿っていた。だが一向に十三番隊舎に辿りつけない。同じ道を何度も通り、何度も同じ角を曲がった。
 まさかこのまま永遠に彷徨い続けるのではないかとぞっとしたものだ。半泣きになりながら、訳がわからないまま、恐らく体感で一時間以上彷徨った挙げ句、ようやく抜け出す事ができた。
 やっとのことで執務室に帰り時計を見上げたが、妙なことに、一番隊舎を出てまだ十数分程度しか経っていなかったのだった。それでは通常と変わらない。まさかそんな筈がない。この身体に蓄積した疲労と、手にしていた封書を握りしめた痕が証拠である。
 席官執務室へ顔を出した際に清音に話をしてみたが、疲れてるんじゃないかと心配され、仙太郎も同じことだった。休んだほうが良いんじゃねえか、と真剣な様子で見つめるものだから、本当に夢でも見ていたのだろうかと思ったものだ。

「そいつは化かされたな」
「化かされた…?何にですか」
「何にだろうな…分からん。だが俺も昔、まだ席官だった頃に一度同じ事があったよ。いくら進んでも隊舎に辿り着けなくてね」

 同じです、と千世は目を見開く。あまりに埒が明かないから、途中で塀を伝って進んでいたのだが、いくら進んだ所で同じ塀の上が続くだけであった。
 書類の一つを十四郎へ届けるため、雨乾堂を訪れていた。また疲れていると言われるだけだろうとは思ったが、それにしてもどうにもあの不思議な体験に納得がいかず、彼へ話してみたところまさか同じ経験をしていたとは思いもよらなかった。

「当時、元柳斎先生の茶会に招かれていたんだが…遅刻して説教を食らうのが恐ろしくてね、勘弁してくれと半泣きになった所で抜け出せたよ」
「それは結局、間に合われたんですか?」
千世と同じだよ。相当迷ったが時間が経ってる訳でも無く、普通に間に合った」

 それがあまりに妙な経験だったから、遠い昔の話にしてはやけに覚えていたのだという。まるで千世と同じ状況であった。彼によれば数人、同じ経験をした者を知っているのだという。特徴としてはどの者も、目的地へ急ぎ向かっている途中に、化かされているのだった。

「実際分からんが、あやかしの類いだろうと俺は見てる」
「でも、あやかしなんて瀞霊廷に居られるんでしょうか」
「さあ…どうだろう。だがまあ、何が居てもおかしくはない場所には違いない。千世だって、別にあやかしだと言われた所で驚かんだろう」

 確かに驚きはしない。むしろ、あやかしに化かされたのだと思えば納得がいくというものだ。ただ疲れ果てるばかりで攻撃性は無く、単にからかわれているだけと言われたほうが安心する。
 しかし急ぎ目的地へ向かっている死神を迷路のように化かし、半泣きで彷徨う様子を楽しむあやかしとはなかなかに性根が悪い。

「だが、千世は何に急いで帰ってきてたんだ。急ぎの用事でも?」

 え、と千世は十四郎を見る。急ぎの用事があった訳ではない。急ぎの用事が、あった訳ではないのだが、急いでいた事には違いなかったと振り返る。しかしそれはどうにも、口に出すのも憚られるような、今更というべきか、この期に及んでとも言うべきか。
 彼の居る場所へ向かって、自然と足が早まるのは別に今に始まったことではない。何か話したいことがあるとか、特別な用があるとかそういう事が無くとも、そう勝手に気が逸るのは昔からの癖のようなものだ。だが、夫婦となった今、まるで片思い最中かとでも言いたくなるような小っ恥ずかしい事を伝えられるはずもなく、少し俯いたまま、厠に行きたくて、とやっとのことで下手くそな言い訳を絞り出したのだった。

 

(2021.11.24)