添い寝

2021年11月22日
おはなし

添い寝

 

 乾いた咳の音で目が覚めた。暗い部屋の中で時計の針が何時を指しているかは分からないが、この静かな闇夜の空気はきっと明け方までまだ遠い時間だろう。苦しげな咳と共に隣の布団の影が揺れる。千世は身体を起こし、枕元の明かりを灯し、邪魔にならないよう少し彼から遠ざけた。
 布団から抜け出た途端、ぶるっと千世は身震いを一つする。今日は昼間からぽかぽかとした陽気で、日が落ちてもあまり温度は下がらなかった。いつもより良い夜だと思っていたのだが、やはりこの時間ともなればぐっと下がる。
 袖に腕を仕舞いながら立ち上がった千世は、部屋の隅に置いていた火鉢に近づく。火消し壺に入れていた消し炭を火鉢へ戻し、火を熾す。少しして赤く色づいた炭からは、思わず手をかざしたくなるような熱を感じた。
 冷えた指先を少しだけ温めた後に立ち上がると、台所へと向かい鉄瓶を水で満たす。ぎしぎしと板張りの上を踏み戻った部屋は、先程よりも仄かに温度を上げているように思えた。
 五徳の上に鉄瓶を置いた千世は、再び自らの布団へと戻る。十四郎は時折咳き込んでは落ち着いた頃に寝息を立てる事を繰り返していた。眠ってはいるがひどく浅い場所を意識が浮き沈みしているようだ。鉄瓶を満たした水がやがて沸騰すれば、湯気が昇りこの部屋の湿度も多少は上がるだろう。彼の顔を、千世は不安気に覗き込んだ。
 口元まできっちりと布団で覆っている様子に、千世は自分の掛け布団を広げて彼の上へと乗せる。もっと早く掛けてあげれば良かったと、眉間に皺を寄せた寝顔を見ながら思った。
 この頃の彼は以前に比べれば床に伏す事は減ったものの、それでも時折発熱や、咳が止まらず休養を取ることは少なくはない。温度が急激に下がり始めた今、乾燥が大敵な彼にとって、気が抜けない日々が続く。
 軽く暖かい羽毛の布団が消え去った自分の敷布団の上に、千世は腰を下ろしたまま、さてどうしようかと腕を組む。火鉢をつけたとはいえ、何も掛けずに眠れる訳はない。
 そういえば。この家には元々一人分の寝具しか無く、それまでは彼の布団に潜り込み眠っていたものだった。だが立派な成人男性と共に一人用の布団で過ごすのは流石に狭苦しく、しかしかといって自分で一式を購入して置いてもらうなど図々しいし、彼に強請るなんて事はまさか出来なかった。
 そうして千世が泊まりで過ごすような日が増えつつあったある日、真新しい寝具一式が寝室に重ねられているのを見つけた。本当は可愛らしい色のものにしようと思ったのだが、と地味な色合いの前で十四郎は気まずそうに笑う。寝具店の主人に誰の為かと探られたから買い替えなのだと誤魔化し、男性向けの地味な色合いを選ばざるを得なくなったのだという。
 懐かしい事を思い出し、思わずふっと微笑む。部屋もあたたまりはじめ、一瞬は目覚めていたもののまたうっすらと眠気が蘇る。
 千世はまた、彼の顔を覗き込む。鉄瓶の湯も温まり、多少この部屋の湿度も上がり過ごしやすくなった。眉間に刻まれていた皺は無くなっていて、千世が掛けた二枚目の布団の意味もあったのかすうすうと穏やかな寝息を立てている。
 彼を起こさないように静かに千世は立ち上がり、自分の敷布団を彼へと寄せた。彼に掛けた布団を少し借りようと思ったのだ。隙間がないように寄せた敷布団の上へ横たわった千世は、ずるずると彼の上に乗せていた二枚目の掛け布団をに引っ張り、僅かに自らの身体へ乗せた。
 さて眠ろうかと、目を瞑る前に彼の寝顔を確認しようと見上げれば、ぱっちりと目線がかち合い、思わずわっと小さく声を漏らした。

「すみません…起こしちゃいましたか」
「いや、少し前から起きてたよ」
「そ、そうだったんですか」
「何をしているのかと思って、様子を見てた」

 どうやら千世がごそごそと布団を移動させていた頃から目を覚ましていたらしい。そう聞くと、途端に恥ずかしく、すみませんと思わず身体を縮めた。
 おいで、と微笑む十四郎は、その言葉通り誘うように布団を持ち上げる。彼の体温が籠もったその場所へ引き込まれ、胸が満たされるような心地よさに包まれた。

「俺が咳をしていたから、気を遣ってくれたんだろう」
「気を遣ったつもりなんて無いですよ、私がしたくてしたんです」

 嬉しそうに微笑んだ彼は、ありがとうと、千世にだけ聞こえる声で呟き目を瞑った。それにつられるように千世も目を閉じる。どちらともない体温が混ざりあい、まるでひとつになってしまったようだと、夢うつつに思うのだった。

 

(2021.11.22)