心配

おはなし

心配

 

「どぉも、勝手におジャマしてます」

 千世に所用があり執務室を訪れたのだが、長椅子に横になり雑誌に目に通す松本だけがぽつんと居た。執務室の人の気配はあったが、だが千世のものではないように感じていたのだ。
 千世が松本へ会いに時折十番隊へ足を運んでいることは良く聞いていたが、その逆というのは珍しい。どうしたのかと聞いてみれば、仕事の後に食事に行く約束をしていたから待っているのだという。そういえば今朝夕飯は食べてくると言っていた事を思い出し、ああ、と頷く。しかしまだ定時までは一時間ほどある筈だが、彼女は勤務中ではないのか、という疑問は胸へ仕舞ったままにした。
 つい数十分前には彼女の気配はまだ隊舎にあったし、きっとこの様子では明かりもつけたままだっただろうから、そう長い離席ではないだろう。だがもし彼女がこの後すぐに戻ったとしても、今伝えれば残業になりかねない。急ぎの用では無かったし、わざわざ松本との夕食の予定がある今日でなくても良い。
 邪魔したね、と松本に声を掛け去ろうとすると、その背中を呼び止められた。

「隊長、ちゃんと千世の事見てます?」
「…ん…?それは…どういう意味だい…?」
「そのまんまの意味ですよお。もう夫婦になったからって、安心してません?浮竹隊長」

 ん、と十四郎は彼女を見つめたまま僅か眉間に皺を寄せる。何か含みがありそうなその言葉に、胸がざわつく。襖に掛けていた手を離し、再び彼女の方へ振り返ると、その続きを待つようにその視線を見返した。

「なんか千世、最近やけに大人びたっていうか、色気がやっと出てきたじゃないですか」
「……色気?」
「えっ?…ヤダ、隊長気付いてないんですか?一番近くにいるのに!あっ、でも逆に?だからこそ気付けないとか?」
「…待ってくれ。それは、松本君の…個人的な意見かい」
「え?違いますよお、隊の子から聞かれたんです」

 はあ、と思わず気の抜けた声が漏れた。彼女によれば、先日十番隊舎へ千世が足を運んでいた事があったようなのだが、千世が帰った後、ある若い男性隊士に尋ねられたのだという。

千世がいつから浮竹隊長とお付き合いされてたのかって聞かれたんですよ」
「それはつまり…どうして」
千世の雰囲気があんまり急に変わったから、交際ゼロ日婚だと思ったらしいんです。あ、勿論あたしはそんなお二人の個人的な事他人には教えませんから、ご安心を」

 その隊士によれば、千世の雰囲気が変わったというのは十番隊士内では専ら噂で、というのも彼女がよく十番隊舎に足を運んでいたせいだろう。だが、それがどうして千世をよく見ているかという松本の忠告に繋がるのか良く分からない。それで、と十四郎は彼女を促す。

「人妻に食指が動く男って、一定数居ますから気をつけてくださいねって話です」
「…人妻……」
「そうですよぉ!千世がいくら隊長のことを大好きでも、そういう男はお構いなしなんですから」

 どういう嗜好か十四郎には全く理解が出来ないが、他人の妻に興味の湧く趣味が一部にはあるらしい。松本はその男性隊士からの話を聞いてからというものの、いつ十四郎へ伝えようかとやきもきしていたのだという。いまいちその性的指向にピンとこない十四郎は、あまり釈然としないまま、そうか、とひとつ低く唸った。
 だから気をつけてくださいね、とそうにやっと笑う松本に、十四郎はまたひとつ眉間に深く皺を刻む。その嗜好が理解できないにしても、しかしぼんやりと目に見えない不安が広がり不快で仕方がない。
 正直今の話を聞いてしまっては、この後の松本との夕飯の予定でさえ多少気になる。しかし、千世も楽しみにしていたに違いない予定を、まさかこんな勝手な、理不尽な理由で取り消させる事など出来るはずない。するつもりもない。しかし。いや、予定を潰す必要など無いのだ。彼女が無事であることを確認することさえ出来れば良い。
 あー、と十四郎は口を僅かに開き、考えたように見上げていた目線を、ゆっくり松本へと戻す。

「…千世と夕食を取る店は決まっているのかい」
「隊長って分かりやすすぎってよく言われません?」

 

(2021.11.19)