暗闇

おはなし

暗闇

 

 襟巻きに首をうずめながら暗い夜道を歩いていた。点々とする街灯を頼りに進みながら、時折吹く冷たい風に足を止める。
 いつの間に冬が訪れてしまっていたのか分からない。つい先日までは、襟巻きなどつけてる人の姿など一人も見かけなかったくらいだというのに。昼はまだ日が出ているから良い。執務室の窓から差し込む光が暖かくて心地良く、ついうとうとする程だ。
 しかし日が落ちてからは急に冷え込む。特に今日は訳あって後ろ倒しにしていた業務を終わらせねばならなかったから随分遅い時間となり、芯まで凍えるような寒さだ。こんなことならば、襟巻きだけではなく上着でも朝羽織ってくるのだったと思う。
 もう少し早ければ、この道にも多少人影は残っていただろうが、もう日付も変わろうとする時間ともなればしんと静まり返っている。まだ週も半ばだから、宴会帰りの酔っ払いの姿も無い。酔っ払いといえば、もうすぐ忘年会の時期か。先日今年の幹事からお知らせを受け取った事を思い出した。
 気付けば今年も終わりに差し掛かり、また気付けば春が来て、夏を過ぎたら秋と冬が来る。季節の巡りのはやさを思うと急に寂しく思えて、歩幅が狭まり進む速度が自然と落ちた。
 この時節になるとこの物悲しさはいつも訪れる。暑い夏が突然終わりを告げ、夜が長くなり、木々が色づき葉を落としてゆく様というのは、その鮮やかさに反して儚く見えるものだ。
 ざりざりと草鞋が小石を踏みしめる音が暗闇に響く中、憂鬱に俯きながら進んでいると余計に気が滅入る。きっと疲れも相まっている。また明日も続く業務のことを思うとうんざりした。
 とその時、ふっと温い風を頬に感じ、思わず立ち止まった。ぱた、と自分ではない足音がすぐ背後に聞こえ、咄嗟に振り向くとその大きな人影に驚いて息を呑む。

「びっくりさせないで下さい!!」
「悪い悪い」

 そう笑った十四郎は、手に持っていた羽織を千世の肩へと掛けた。寒かったろう、と一言低く呟かれた言葉に頷き、羽織へ腕を通す。

「どうされたんですか、今日はもう休まれてると思ってました」
「まさか。千世が帰るまでは眠れないさ」
「良いんですよ私のことなんて!隊長、最近また少し調子が悪そうだったので心配なんです」

 急に温度が下がったせいで多少調子が崩れていたのか、空咳をしている姿をよく見ていたのだ。今の様子を見る限り特別具合が悪いようなことはないのだろうが不安だ。大丈夫だよと言う彼に、本当ですかと疑るように眉間に皺を寄せ見上げる。
 だがそう心配の反面、嬉しい思いは隠しきれない。彼の隣を歩き始めた足音は、ついさっきのあの陰鬱な音とは違って軽いものだった。

「迎えに来たんだよ、あんまり遅いから心配でな」
「すみません、仕事が中々片付かなくて…」

 申し訳なく思って少し頭を下げると、ふらふら身体の横で揺らしていた右の手が、暖かいものに包まれる。あ、と思わず小さく声を漏らして見上げると、優しい笑みと共にぎゅうと握られた。少し痛いくらいの強さは、今の自分には丁度よいくらいのように思えた。
 一度こうしてみたかったのだと言う彼に、千世は僅かに動揺しながら頷く。その言葉を吐くにあたってまるで照れた様子もないから、自分ばかりが動揺している事がやけに恥ずかしくて身体を縮こまらせた。
 ひゅうと寂しい音を立てて風が吹く中、つい今さっきまで滲んでいた鬱々とした感情は影を潜めていた。彼の手のひらの熱を受けながら、いっそのこと、もっと風は寒いくらいでも良いとすら思う。握られた手を見つめながら、千世は自然と満足気に口元を緩ませ、ふふと小さく息を漏らした。
 幾度も巡る季節をこうして歩むことができるならば、何周でも繰り返したいと思うのはあまりに単純すぎるだろうか。ひとつからふたつに増えた足音は、夜の暗闇に軽やかに溶けて消えていくようだった。

 

(2021.11.15)