お喋り

おはなし

お喋り

 

 少しだけ鈍い音がして、机上へ帳面が重ねられる。ふう、と小さく息を吐いた姿に千世は礼を伝えて笑った。
 数時間前は畳の上に積み上がった帳面の山が五つほど点在していたが、無事今は千世の机上に移動している。半分は朽木に中身を確認して貰っているから、残りは千世が押印するのみとなっていた。
 月末に差し掛かるこの時期は執務室が特に雑然とする。報告書の提出に訪れた朽木は、普段の数倍は絶望的な状況の千世の姿を見て思わず手伝いましょうかと、そうつい口をついて出てしまったのだろう。それが運の尽きと思ったに違いない。
 九死に一生を得るとはまさにこの事だと千世はため息を吐く。彼女には悪いことをしたが、助かった、と命からがらの気分であった。ぐったりと長椅子で横になる朽木の様子を、千世も執務椅子でぐったりとしながら眺めていたが、ふと茶箪笥の中に仕舞っていた芋ようかんの存在を思い出し立ち上がった。

「朽木さん、まだ時間ある?」
「ええ、はい…本日は定時まで隊舎での待機ですので…」
「ああ、違うの!仕事じゃなくて、お礼をしたいと思って」

 一瞬曇った声音に千世ははっと振り返り、僅かに不安げな彼女に茶箪笥から取り出した桐の箱を見せる。途端にぱっと明るい表情へと変わった様子に、千世はほっと安心した。更に仕事を押し付けるとんでもない上司と一瞬でも思われただろうか。
 銘々皿を二枚取り出し、机上へ並べる。桐の箱を開けると、一つずつ丁寧に包装された芋ようかんが並んでいた。

日南田殿の執務室には、いつも美味しいものがありますね」
「そう言われれば…貰い物がほとんどなんだけどね」

 包装紙から取り出すと、鮮やかな芋の黄色が朱色の皿の上で映える。言われてみれば、確かにいつも何かしら菓子盆には煎餅や落雁が乗っているし、生菓子もあまり切らしたことがない。どれも十四郎が来客や見舞いの差し入れで貰ったものを、食べきれないからと横流しされているものだ。
 長椅子に横並びに腰掛け、黒文字でようかんを切り取り口に運ぶ。丁寧に梱包されていただけあって深みのある甘さが実に美味だった。誰から貰ったと言っていたかと、昨日のやり取りを思い出すが、確か小難しい役職名がついていた程度しか記憶がない。

「浮竹隊長とは、普段どのようなお時間を」

 もそもそと咀嚼していれば、ふと横の朽木がごく自然に、何の躊躇いもない様子でそう口にした。今までの癖が抜けず、まさかばれたのかと一瞬心臓が縮み上がったが、籍を入れた今ばれたも何もない事を思い出す。彼女は祝言の席にも招いていたというのに。
 ひと月前の幸せに満ちた時間がふと蘇る。二人で過ごしていた彼の私邸に、親しい人物を招いたささやかな祝言だった。今までひた隠していた二人のつながりを、二人だけではなく皆の前で祝福されたあの時間を、きっと一生忘れずに生きてゆくことになるのだろうとそう噛み締めた。
 まだ記憶の鮮やかな瞬間をつい思い返し、一瞬咀嚼を忘れていた口の中の芋ようかんをごくりと飲み込む。それから流すように茶を口にした。

「ふ…普通、普通に…」
「普通というのは、例えば隊舎でお二人が話されているようにですか」
「え!?…ど、どうだろう……」

 何を急に、と千世はしどろもどろに答える。何が急に気になったのか、若しくは気になっていたのかは知らないが、唐突なことだ。芋ようかんに舌鼓を打っていたが、途端に喉がまるで閉じたかのようだ。咳払いをひとつして、まだ半分は残っている皿を机の上へと戻す。

「あんまり、隊長は…皆の前にいる時と様子は変わらないから…」
「そうなのですか…?男性とは、妻の前ではまるで赤子のように甘えるものだと聞いたのですが…」
「誰から聞いたの!?」

 聞いた話と違う、とでも言うような様子で首を傾げる朽木に、僅かに心拍の上がった鼓動を落ち着けるようにふうと静かに長く息を吐きだす。甘えられる、ような事が無い訳ではないが、少なくとも豹変するような事はない。赤子のように、という彼女の言葉と記憶とを照らし合わせかけた所で、はっと目線を上げた。

「きっと日南田殿も、日南田殿のままなのでしょうね」
「私のまま?」
「はい。浮竹隊長が、日南田殿の前でも、皆の前でも変わらぬように…ああ、いえ、変な意味は無いのです。ただ、日南田殿も同じように変わらないのだろうと思ったら、お二人の様子が、想像できると…ああ、いえ!それも変な意味では無いのですが…」

 朽木がそう少し焦ったように付け加えるから、千世は笑う。変な意味になど捉えやしないというのに、言葉にしているうちに不穏にでもなったのだろうか。
 想像ができると言われてしまうとどうにもきまりが悪いが、しかしそれは、今までと変わらぬ日常から、二人で過ごした時間が認められたかのように思えた。

 今までまるで夢と現のように分け隔たれていた彼との時間が、知らぬうちに、当たり前のように混ざりゆく様子を千世はぼんやりと受け止めている。
 胸の奥でじわりと滲んだ生温い感情を、指先でなぞるように大事に触れながら、どうしてか礼を言いたい気分になり、ありがとうと、隣の彼女に聞こえるだけの声でつぶやいた。

(2021.11.12)