祈り

2021年11月9日
おはなし

祈り

 

 隊舎入口を通り掛かる際にふと出勤表を見ると、千世の名の下には任務と札が出ていた。一般隊士から隊長までの名札が一面に掛けられた壁では、各々の状況が分かる。任務や内勤、休憩や休暇であったりと、この場所を通る度に己で変える必要があるのだが。
 その札を眺めながら、おや、と立ち止まる。たしか彼女は、女性死神協会の定例会の後は月末の報告書を纏めるため執務室に籠もらなくてはいけないのだと、今朝ため息を吐いていた事を思い出したからだ。
 任務で外出になるとは一言も言っていなかった。何か急な要請でも入ったのだろうが、それにしても一言くらい声を掛けてくれそうなものだが。
 自分の札の下に掛かった外出の札を、十四郎は裏返す。と、背後からおかえりなさいと声を掛けられ、振り返れば清音の姿があった。ただいま、と返した後にふと尋ねる。

千世が何処の任務へ向かったか知ってるかい」
千世さんなら、今朝向かった第七小隊の救援に向かいましたよ。あたしが札掛けといたんです、いつも千世さん札そのまんまなので…」

 そうか、と十四郎は頷く。清音の言う通り千世はこの札をいちいち掛け代えるのが面倒なのか忘れているのか、休みだろうが帰宅しようが四六時中「隊舎」であった。だからか、今通りかかった際にふと目についてしまったのだろう。
 救援要請ということならば、やはり突如決まったことだったのだろう。しかし、彼女によれば負傷者が出たという事でもなく、隊員一名が体調不良で離脱した為の人員不足だと言うのだから、わざわざ副隊長が出向くほどでも無さそうなものだが。

「本当は他の隊士を向かわせる予定だったんですが、何故か千世さんが自分が行くと言い出して」
「まあ、想像がつくな…」
「月末で忙しいだろうから止めたんですけど…気分転換でもしたかったんでしょうか」

 その状況からするに、清音の言う通りなのだろう。朝から憂鬱そうにぐったりしていたから、余程執務室に籠もっている状況に嫌気が差したに違いない。偶々救援要請を聞き、嬉々として向かった様子が目に浮かぶ。
 それにしても、一言くらい残してくれても良かっただろう、と少しは思う。まさか、命を落とす危険性の有る任務では無いだろうが、しかしそれでも万が一という事が無いという訳ではない。心配はないと、そう彼女の腕を見込んで信じては居るのだが。

千世さんがご心配ですか?」

 窺うようにする清音に、十四郎は僅かにたじろいで、いや、と反射的に答える。癖になってしまっている。今まで彼女との関係を悟られまいと、彼女の扱いが特別にならぬようにしていた。それは夫婦となった今でも同じで、たとい妻であっても、彼女ばかりを特別に思わぬように。

「ご心配で当然だと思いますよ。ご家族なんですから」

 清音がなんという事もないように呟いた言葉に、思わず目を丸くした。そうか、と十四郎はその言葉を飲み込むようにゆっくりと頷く。その様子が不思議であったのか、どうしたんですかと清音は不思議そうに十四郎を覗いた。
 何でも無いよとそう答え、挨拶代わりに軽く手を上げそのまま雨乾堂の方角へと足を進める。廊下の板張りの上を歩きながら、初めて聞いた訳でもない家族という言葉の響きを、十四郎はやけに気に入っていたのだった。

 

(2021.11.09)