ハロウィン

2021年11月1日
おはなし

 

「隊長…今日一日何処に行かれてたんですか?」
「ほら。今日はハロウィンだろう。子供たちにお菓子を配りにね」

 そう浮竹は言いながら、手元の空になったらしい袋を千世へと見せた。そうかなるほど、と頷きながら、帯を締め部屋着への着替えを終える。
 ハロウィンというのは、数年前から聞くようになった現世の祭りだ。その由来も意味も詳しく知らないが、兎に角お菓子を配ったり渡されたり、妙ちくりんな仮装をして楽しむものだという事は知っている。
 今日千世は出勤であったが、隊舎で見慣れない格好をする者をよく見かけ、何やら菓子をやたら渡されたのだった。ハッピーハロウィン、と何かの合言葉のように伝えられながら飴やチョコレートを握らされる。今年もこの季節か、としみじみするほどこの行事との付き合いが長いわけではないが、どこか懐かしさはあった。
 あまり横文字に馴染みはないが、菓子を握らせてくる隊士たちの真似をしてハッピーハロウィンと返してみれば、皆笑顔で去って行く。この祭りの意味は相変わらず分からないが、楽しそうであるというのは良いことに違いない。
 昼過ぎ、つばの広い黒い三角帽を被って執務室に乗り込んできた清音に、ふと気になりハロウィンの意味を尋ねてみた。しかし彼女も首を傾げ、わかんないんだよねえ、と笑う。恐らく、皆同じようによく分からないまま楽しんでいるのだろう。たまの祭りぐらい、そんな程度の認識で良いのだろうと、楽しげにする清音を見ながら思ったものだ。
 去年も、その前のハロウィンにも、今日のように仮装をした隊士たちから菓子を渡された覚えがあるが、しかし今年ほど浮かれきった様子では無かったと覚えている。この一年で、皆何の力を蓄えたというのか分からない。もしや来年は、もっと激化するのではないだろうか。

「子供たち、喜んでましたか?」
「勿論。今日のために色々と仕入れていて良かったよ」

 嬉しそうに微笑む浮竹に、良かったですね、と千世もつられて笑った。浮竹がハロウィンを知ったのは、恐らく四、五年前ほどだっただろうか。何やら菓子を配る祭りだと認識したらしい彼は、ハロウィンの日には邸宅地に住まう子供に向けて自ら詰め合わせた菓子袋を手渡しているのだという。
 というのも、偶々通りがかった十三番隊の隊士がその現場を目撃したというので、隊舎内で噂が広がっていたのだった。彼が自らそう申告する事も無ければ、隊士たちも敢えて聞くような事も出来ない。
 千世もその現場を見たことも無く、大体、今日この日が来て隊舎での仮装を見るまでハロウィンなんて祭りをすっかり忘れていた。だから帰宅をして、紙袋をごそごそと片付ける彼の様子を見つけて、あの噂は本当だったのかと納得したのだった。
 わざわざ休日を取って居たのもこの為という訳だ。子供好きの彼らしいことである。大人たちばかりが勝手に楽しむのではなく、子供たちにも同じくらいに楽しく賑やかなことを教えてあげたいという彼の思いなのだろう。
 ああそうだ、と彼は声を上げて、軽そうな紙袋をごそごそと漁る。もしや、と千世は僅かに落ち着かない様子で彼に身体を向ければ、その中から透明な袋にぎっちりと入った、鮮やかな菓子の詰め合わせを手渡された。
 果たしてこれは余った分なのか、それとも千世のためにと残していてくれた分からず、受け取りじっと見つめていれば、おすそ分けだと彼は言った。

「私の為に残してくれたんですか?」
「いや、単に一つだけ余ったんだ。明日のおやつにでもしてくれ」

 余りものか、と千世は少し拗ねるように口を尖らせる。少しでも、自分だけの特別なものがあるのではないかと期待してしまった。自分は恋人なのだから、きっと他のものを用意してくれているのではないかとその一瞬で、驚くほどの図々しさでもって期待してしまった。
 大人げないと分かっているのに、その菓子の詰め合わせを見つめたまま千世は不満げな表情で口をぎゅっと閉じる。やがて流石の彼でもその様子に気付いたのか、どうした、と不思議そうに顔を覗いた。

「私も子供たちと同じお菓子なんですか」
「ん…ん?ああ、そうだよ…余ったものだからな…」

 そう返す浮竹に、千世はまた口をへの字にする。と、彼は頭の上に無数の疑問符を浮かべ、おかしいな、とでも言うように頬を掻いた。彼からしてみれば、きっと訳のわからないことだろう。
 千世も突然湧き出した感情だったから、半ば動揺している。別に菓子をくれる事は嬉しいのだ。甘いのも塩っぱいのも嫌いではないし、勿論この菓子は彼の言う通り明日のおやつにするつもりだ。だが、これと同じものを街の子供たちも貰っているのかと思うと、眉間に皺が寄る。
 なんと大人げない。重々理解しているのだが、このむっとした表情が解けず困っている。徐々に不安そうになる彼の顔を千世は見上げると、ええと、と小さく声を漏らした。

「私は、その…子供じゃないですよ」

 胸に広がるぼんやりとした不満を言葉にしてみたものの、あまりに情けなくて、果たして文法的に正しいのか分からないくらい、また動揺した。再び頭の上の疑問符を増やしているに違いないと、伏していた視線を恐る恐る彼に向けてみれば、案外真っ直ぐな眼差しが向いていて、ぎょっとする。
 やはり言葉が変だっただろうか、やはり情けないと呆れただろうか。不安に思っていれば、浮竹はひとつずいっと顔を寄せた。
 思わず目をまんまるに見開けば、彼はすぐ触れてしまいそうな鼻の先で、ふっと微笑む。その吐息がやけに熱を帯びているようで、思わず、あれ、と千世は口の端から零す。真っ直ぐ向けられていたその視線は徐々に、湿度を纏うように、ゆったりと瞬きをした。

「子供と同じ扱いは不満だったかな」
「いっ、いや…そういう意味で、言った訳では…」
「それならどういう意味で?」

 まずい、と千世は一歩後退りするが手首を掴まれ引かれる。こんなつもりではなかった、と、それならばどういうつもりであったのか、内心この状況を期待していたのではないか。近づく彼にぎゅっと目を瞑れば、前髪を持ち上げられ、柔らかく何かが触れた。そして、直ぐに離れる。
 それが唇であったと認識するには、そう時間はかからず、咄嗟に耳の先まで真っ赤に染まる血の巡りを感じた。

「な、なんですか!?」
「大人扱いをしてみたんだが」
「そ……そういうのは、逆に子供扱いと同じです…!」

 何事もなかったかのようにすたすたと襖の方へ向かう彼の背中に、千世が上ずった声でそう言い返すと振り返りにこりと笑う。また、期待した。恥ずかしい程の単純さでもって期待をした。
 夕飯にしようか、とやけに楽しげな声音で言う姿が廊下へ消えたその半開きの襖を眺めながら、何とも言い得ぬ気持ちで拳を握ろうと力を込める。と、菓子の詰まった袋が、ぎゅうと小さく悲鳴を上げた。

 

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一日遅れてしまいましたが2021ハロウィン

2021/11/01