下手の横好き

2021年10月16日
おはなし

 

 暖かく、まるで春の心地のような夢を見ていた。風で菜の花の鮮やかな黄色が青空の下で揺れるような、あのついうとうとと瞼を閉じてしまいそうな、懐かしい春の暖かな日だ。
 だが夢の中にも関わらず現実は秋も深まる頃だとは気付いていて、だからどうして春の陽気の夢を見ているのだろうかと不思議であった。しかしその温い理由は徐々に浮上する意識と共に、足元をから口元までをしっかりと覆った布団のお陰である事に気づき、そして更に、何か熱を発するものを腕に抱いているからだった。
 まだ夢と現実の狭間を行ったり来たりとするくらいの心地良さで漂いながら、その腕の中の何かを抱き寄せるように力を込める。と、それは突如もぞもぞと動き、ううん、と低く唸った。
 耳に入り込んだ異音に千世ははっと目を覚ます。真っ先に視界に入った横の布団で眠るはずの浮竹の姿は無い。思わずあれっと声を上げたものの、その行方に心当たりを感じ、恐る恐る布団を持ち上げ覗いた。
 実際、持ち上げる前から気付いていた。だが何しろこの状況というのは珍しいものだから、ついこの目で確認をしたくなったのだ。それなりに立派な体躯の男が背を丸め、千世の胸に顔を寄せている。布団の中で苦しくは無かったかと思うのだが、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。
 いつ、この状態が完成したのか千世にはまるで覚えがない。今まで千世が彼の布団に転がり込むことはあれど、その逆は無かった。千世は思わずまじまじと彼の寝顔を見つめながら、そして同時にその眠る彼の体温にそっと腕を回す。
 きっとまだ意識が浮上する前、千世は眠りながらこうして彼の身体を抱き寄せるようにしていたはずだ。ああどうりで暖かい春の夢を見ていたのだ。ふふ、と自然と漏れた小さな笑い声に、千世はあっと口を噤む。ぴくりと彼の身体が動き、規則正しい寝息が止まったからだ。
 眉間に皺を寄せた彼はやがて眠そうな瞼を持ち上げ、もぞもぞと身体を動かす。隊長、と千世が小さく呼ぶと彼は僅かに身体を起こし見上げ、不思議そうに見つめた。暫く、この状況が一体何であるか飲み込もうとしていたのだと思う。
 自身の体が千世の布団の上でその腕の中、さらにその胸へ縋るように顔を寄せて丸まるように眠っていた事を、少しの間をおいて理解したらしい浮竹は、途端に飛び起き乱れた髪を掻き上げた。

「す、すまん、いつの間に…いや、悪い…悪かった」
「えっ、な、何がですか」

 焦ったように謝る浮竹に、千世は訳も分からず眉を曲げる。確かに珍しい状況だとは思ったものの、謝られるような覚えはない。むしろ、もう少しくらい、楽しんでいたかったとすら思ったというのに。
 擦るように移動しながら、千世の布団から抜け出し彼の領地へと戻ろうとする姿に、千世は慌てて起き上がりその腕を掴んだ。

「待ってください、別に悪くなんて無いですから!」
「いや、だが…」
「もしかして…私と一緒に寝るのがお嫌なんですか」
「違う、それは違うんだが……俺の問題というか、いや…」

 何とも歯切れの悪い答えだ。明らかに動揺する理由が千世には良く理解できていない。別に初めて褥を重ねた訳でも無ければ、ただ互いに寄り添い眠っていただけだ。やけにそうして珍しく目を泳がせているものだから、千世はその視線を捕まえるように彼へずいと顔を寄せる。

「もしかして隊長…甘えるの苦手ですか」

 ぎく、と音が聞こえるかと思うほど表情を固め、一拍置いて小さく息を吐く。うんともすんとも言わず、ただ少し気まずそうにううんと唸るだけだ。だがそれはつまり白状しているようなもので、やっぱり、と千世は笑う。
 とは言っても、千世自身甘えるのが得意かと言われれば恐らく苦手に寄っている。だが、彼と過ごしているとそれは半ば強制的に、というよりも気づけば甘やかされている事ばかりだった。甘えたい、という意思を持たずとも、気づけば向けられる愛情に頭の先まで浸かっている。
 時折その腕の中に包まれながら、自分がとんだ甘ったれだと思う事もあった。ただその塩梅が実に浮竹は上手いから、溶かされる事までは決して無い。人はきっと誰しも過剰な愛情を受けるほど際限なく傲慢になり続けるものだが、彼は決してその一線を超える事は無い。彼は人を甘やかすことに関しては、天賦の才を持っているに違いなかった。
 だが、考えてみればその逆を今まで意識したことが無い。つまり、彼を甘やかすことについて、千世は全く考え及んだことが無かった。それはまさか愛情を向けていないという意味では無く、意識して彼の全てを赦すような母のような愛で以て包み込む、つまり甘えさせるという言葉通りの意味だ。
 まだ気まずそうな浮竹に、千世は恐る恐る腕を横に広げ、隊長、と呟くように呼ぶ。彼は一瞬頭上に疑問符を浮かべたようだったが、間もなく千世の意図に気付いたのかぎょっとしたように目を丸くした。

「ど、どうぞ」
「どうぞと言われても、どういう事だい…」
「あ…いえ、つまり…隊長に、甘えていただこうと思ったのですが…駄目でしたか」
「駄目とか、そういう事じゃないんだが…」

 腕を組み口ごもった浮竹に、今度は千世が唸った。確かに今の流れで、では遠慮なく、と彼が腕に飛び込んだとしたらそれはそれで腰を抜かしたことだろう。彼の愛情表現はこれ以上無い程分かりやすいというのに、しかしどうして甘える側となるとこうもぎこちないのか。
 しかし、互いに眠りこけていた時には素直に甘えてきていたというのに。と思い出し、ああそうだ、と千世はポンと手を打つ。

「そうだ。もう一度、先程の状態に戻りましょう。…戻るだけです」
「…どうして」
「どうしてって…それは勿論、隊長を甘やかしたいからです」

 千世が素直にそう言った事が意外だったのか、面食らったような表情を浮竹は見せたが、しかし否定しない辺り存外満更でもないのだろうと千世は思う。
 自分の布団の上へ千世は擦って戻ると、掛け布団を捲くり上げ身体を収める。まだ体温が残るふわふわとした暖かさを感じながら、彼を呼ぶように隣をぽんぽんと叩いた。やはり戸惑ったように目をぱちぱちと瞬いていたが、隙間風に千世がひとつくしゃみをすると、それが切欠か分からないがそろりそろりと彼が近づく。
 先程の状態に戻るだけなら、と言い訳めいた言葉が少しは効いたのか。まるで獲物を待つ蛇とはこのような気なのだろう、とその徐々に近づく姿を見ながら思う。ようやくごそごそと隣に横たわった彼を、待ってましたとばかりに捕まえ掛け布団で包み、そのままの勢いで腕を回し抱き寄せた。
 苦しい、と腕の中もごもごと布団の中で蠢く声に千世は掛け布団を捲くると、長い白髪を乱した浮竹が顔を出す。緩みそうな口元をぎゅっと結び、しかし困ったように眉はハの字にした複雑な表情で、千世の胸元から上目で見上げた。

「…情け無くは見えないかい」
「情け無く…?どうしてですか」
「……いくら恋人と言っても、千世よりずっと歳上の、しかも上司が…こんな風に甘えては、情けないかと思ってね……」

 ああ、とようやく千世は呑み込めた。単に甘える事が苦手なのかとばかり思っていたが、まさか邪魔していたものが今更とも思えるような事で、千世はふふと笑う。そんな事、彼に言われるまで思いもよらなかった事だ。
 何言ってるんですか、と千世の言葉に彼は少し安心したのか、ふっと力を抜いた。暖かな布団の中で、愛しいものを抱きしめる幸せを噛み締めながら、その白髪を撫でるように梳く。

「もっと好きになりました」
「……それは…喜んで良いのかい」

 千世を見上げ、何とも言い難い表情で彼は一つ小さく息を吐くと、その胸元へとこつんと額を当てた。

 


おだいばこより
甘やかす側の浮竹さんを逆に甘やかす

2021/10/16