つなぐ

2021年9月30日
おはなし

※ヒロインが身ごもるIFです


 目が覚めて暫く経つが、布団の上でじっと横になって過ごしていた。どうにも身体が怠く、熱っぽい日が続いている。はじめは単なる風邪だと思っていた。季節の変わり目は体調を崩しやすい時期だからと。

 かといって仕事を休むほどでもなく、事務処理程度であれば特別支障は来さない。しかしどうにも続く違和感が拭えず、先日とうとう四番隊へと向かった。偶然にも卯ノ花と鉢合わせた千世は特に病状も伝えていなかったが、彼女は何も言わずただ笑みを浮かべ、近くの救護室へと手を引かれ連れられた。
 検査といえば、彼女のひやりと冷たい手で身体のあちこちに触れられるだけであった。訳もわからないまま彼女から謎の触診を受けながら、ああそういえば月のものがまだ来ていないなどと思い出していた。
 間もなく、おめでとうございますと、そう卯ノ花から告げられた時、一体何のことかと見るも滑稽な阿呆面をしていただろう。身体が怠く、熱っぽく頭はぼうっとするし心做しか気分も悪い。風邪の症状を訴えていて、何がめでたいのかと頭でぐるぐると考えていれば、そっと腹に手を添えられ微笑まれた。
 暫くその笑みと見つめ合い、ああそういう事かと納得したと同時に息を呑んでそのまま椅子から転げ落ちそうになったものだった。
 待ち望んだ子であった。子が欲しいのだと、真剣な表情で彼に告げられたのは少し前のことになる。関係を公表し長たらしい手続きを踏み籍を入れ、正式に夫婦として過ごし始めた日の夜だった。
 急いでいる訳ではないが、しかし、歳を考えればなるべく早くに欲しいと。千世もいずれそうなるだろうとは頭の隅では考えていたものだったが、しかし突然告げられるとそれは案外衝撃的なものであった。今まで歩んできた道が彼と交わっただけでも大きな転機であったのに、さらに新たな命が加わる事が未だ想像が出来なかった。
 どうして子が欲しいのかと尋ねた。今思えば随分と難解な問いだった。しかし彼はまるで迷いのない目で、君をもっと大切にしたいからなのだと答えた。瞬間、その意味はよく分からなかったが、だが、この目の前で優しく笑む彼の子を授かることが出来るならば、きっとこの上ない幸せなのだろうと、そうただ漠然と感じた。
 横になったまま、千世は腹を擦る。まだ膨らみの無い、平坦な腹だ。この中に自分ではない命が収まっているのかと思うとそれは言いようのない不可解さを覚える。しかし、大切に触れられた夜を反芻しながら、身籠った命をきっとそれ以上に大事にせねばならないと、その使命感に似たようなものがじわりと湧き出すのを感じていた。
 彼に子を望まれてから、肌を合わせる事に何か意味が生まれた事が千世は嬉しく思っていた。別にそれまでの行為に何ら意味のない事だとは思っていない。互いに愛しいと感じる者同士が触れ合いたいと思う事は脳と感情を持つ生物として、至って正常な欲求だろう。
 だが子を成す目的の元にこの身体へ流れ込む熱は、これまでと比べ物にならないほどあつく感じたものだった。本来その行為が何たるものであったかと、まざまざと思い知らされる体温に、胸の奥がきつく締め上げられるようで苦しかった。

千世…具合は平気かい」
「た、隊長…!?…お仕事では」
「少し抜けてきた。様子が心配でね…だが、すぐ戻る」

 突然の気配に千世は飛び起き彼を見上げた。浮竹は千世の横へ腰を下ろし額に触れ、ううんと唸った。彼に具合が優れないことは伝えていなかったはずなのだが、どうして。
 そして勿論、この身体の異変についても彼には伝えていない。きっと伝えれば手放しに喜んでくれるだろうに、どうにも伝える気になれなかった。何れ伝えなくてはならない事だというのに、今まで静かに二人で歩んできた時間が、揺らいでしまうようで恐ろしかった。
 額に触れた手が、頬を包む。するすると撫でられる感覚が心地よく思わず目を閉じた。自分が猫ならば、きっとごろごろと喉を鳴らしていたことだろう。

「熱は無いようだが、辛そうだな…薬は?この前、卯ノ花隊長の所へ行ったんだろう」
「えっ!?あ、あれっ、何故それを…」
「卯ノ花隊長から聞いたんだよ。今朝の隊首会でお会いした時、千世の様子はどうかと聞かれた」

 そういう事かと千世は納得すると同時に、少し様子を窺うように彼を見た。だが、それ以上のことは知らないらしい。卯ノ花もきっとその辺りは察し良く対応してくれたのだろう。
 心配そうに眉を曲げる浮竹は、寝てなさいと枕の位置を整え軽く払う。ほら、と優しく笑んだその表情を見つめながら、千世は彼の膝の上に乗る手に手を重ねた。
 どうした、と、そう小さく呟く彼を真っ直ぐと見返しながら、千世は口をゆっくりと開く。

「授かりました」

 暫く、まるで時が止まったかのようにぴたりと彼の動きが止まった。一瞬言葉を誤ったかと思ったが、しかしそういう訳では無いらしい。まばたきも呼吸すらせず、ただ千世が握っていた手を、握り返すように強い力が籠もる。どれほど経ったか分からないが、ようやく深く息を吐き出した彼は、そうかい、とその表情を柔らかく崩した。
 そうか、そうかと、噛みしめるように何度も繰り返し、ゆっくり背に回った手に抱き寄せられる。柔くしかし強く抱きしめられながら湧き上がるような喜びに千世は彼の胸元で破顔した。今になりようやく、この身体に宿したまだ小さなものがどれ程の重さを持つものかと知る。

「ありがとう」
「あ、ありがとうなんて…私こそ、ありがとうございます…」
「いや…本当に、何と伝えれば良いか分からなくてね…どれ程言葉を尽くせば、君にこの思いが伝わるか」

 一語一語を紡ぐように、彼は零す。それだけで十分だというのに、浮竹は未だ適切な単語を探し当てるように考えているようだった。その様子がやけに可愛らしくて、思わず笑みが込み上げる。

「お時間は大丈夫なんですか」
「ああ…まずい。もう戻らないと。来客でね…こんな日に限って」
「私は大丈夫ですから、戻られてください」

 そうだなと、彼は眉を曲げて息を吐く。不安で仕方がないとでも言うような表情に、いってらっしゃいと声を掛ければ、渋々と立ち上がる。言葉以上になんと分かりやすい人なのだろうと、落ち着かない姿を見ながら笑った。
 せめて玄関まではその姿を見送ろうと、千世は立ち上がる。寝ていなさいと必死な彼をなだめるようにその背を押しながら廊下を進み、そのまま玄関へと追いやった。土間で草鞋を突っかけた彼が、不本意そうに振り返り何か言いたげに口を僅かに開く。
 その口から何か言葉が零れるよりも前に、唇に指先を触れた。

「お帰り待ってますから、このお話の続きはその時に」
「…そうだな、そうなんだが…兎に角、寝ていなさい。栄養を取って、体力をつけて…」
「そんな、風邪じゃないんですから」

 千世の言葉に頷いたものの、不安げな表情のまま引き戸の向こうへと消えてゆく。からから悲しい音を立てながら、時間をかけてようやく閉まった戸を暫く見つめていた。見つめたまま、胸焼けするような余韻に、喉が乾いて仕方がなかった。

 

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おだいばこより
妊娠が発覚する話

 

2021/09/30