夜ごはん

おはなし

 

 抱えていた紙袋を台所の卓の上へと下ろす。本当ならば鍋に使う葉物だけを買うだけの予定だったのだが、つい色々と寄り道をしてしまった。随分膨らんだ袋の姿を眺めながら、こんなつもりではなかったのだがと眉を曲げる。
 今日は一人で過ごす休日であったが、ふと思い立ち街へ出た。珍しく、夕飯でも作ろうかと思ったのだ。もともと料理は嫌いではないが得意という訳ではない。だから、千世との関係が始まる前は食事の殆どは隊の食堂か、もしくは外食で済ませることばかりだった。
 彼女とこの屋敷で過ごす事が増えてから、外で食事を取る事は減り自炊をする事が増えた。と言っても、浮竹自身が台所に立つ事は珍しく、食事はほぼ任せてしまっており申し訳ない思いもある。時折気まぐれに、簡単な味噌汁だったり、煮物だったりと、簡単なものであれば作ることはあったのだが、彼女がすすんでやってくれるものだから、つい、甘えてしまっていた。
 忙しい時期などは互いにどこかしらで済ませて帰る事も増えるが、それでも週の半分ほどは二人で夕飯を囲む。帰りが遅くなった夜、玄関の戸を開き良い香りが鼻をくすぐる時のあの幸福というものは、それは少し気恥ずかしいと感じる程甘く胸に滲むのだ。
 しかし、これはまだ彼女との交際がはじまったばかりの頃に聞いたことだが、彼女も特別料理が得意なわけではないのだと気まずそうに、そして照れたように呟いていた。殆ど寮住まいだし、まともな料理といえばまだ席官へ上る前の食事当番くらいだと。その可愛らしい告白を聞きながら、自然と目尻が下がるのを感じていた。
 だが、料理というものは努力や知識も必要であるとともに、ある程度の資質が必要なものだと思う。得意でないと言いながら彼女の料理は当初から美味であったし、その腕は日増しに上がっているように思う。勤勉な彼女のことだから努力や知識もあるのだろうが、しかし多少の資質もあるに違いない。
 現に、浮竹は彼女の倍ほどの時間を過ごし、その分きっと彼女より台所に立った事はあるだろうに全くの進歩を見せない。多少の努力と知識で、簡単なものであれば手を付けられるのだが、それ以降に関してはからっきしだ。
 今日もさて夕飯を作ろうかと思い立ったは良いものの、悩んだ挙げ句鍋くらいしか思い浮かばなかった。時期としてはまだ早い気もするが、最近は秋風も涼しくなって来たから鍋はじめとしては丁度良いだろう。
 葉物を、流しに置いたざるの上に剥がして載せながら、背後に現れた気配に眉を上げる。背を向けたままおかえりと、そう声をかければ、気配の主はあっと声を上げぱたぱたと軽い足音を立てて傍へと寄った。手元を覗き込むその姿を見下ろすと、傍らに置いていた土鍋を見て夕飯の気配に気付き目を輝かせる。
 彼女の帰宅はそろそろかとは思っていた。月末月初の慌ただしさがようやく落ち着き、ひと月のうちで僅かな安寧の時期となる。こういう時でくらいしか、ゆっくりと早い時間から二人で食事を取る事は難しい。

「隊長がご飯作ってくださるんですね」
「作ると言っても簡単な鍋だが…いつも千世に任せてしまっているからね」
「良いんです。隊長と一緒に食べるためのご飯なら、いくらでも作ります」

 千世はそう張り切ったように言い笑った。気を遣って言った訳ではないのだろうという事は分かった。
 彼女の帰りが遅くなるような時期は、隊長である浮竹も伴って遅い帰りとなる。大抵は千世の方が多少早めに帰宅をする事が多く、もう夕飯は茶漬けにでもしようかと思い戸を開くのだが、不思議な事に良い香りがするのだ。
 日も変わろうかという頃に彼女が死覇装のまま台所に立ち、よい香りのする熱い湯気を立てている姿というものは、雨乾堂で寝泊まりを繰り返していた少し前の生活からは想像出来ず、それが不思議で仕方ない。

「いつもありがとう」
「…ん?何がですか?」
「ほら…俺がいくら遅くとも、食事の用意をして待っていてくれるだろう。疲れているだろうに、申し訳ないと思ってね」
「申し訳なくなんて無いですよ、私が好んで…といいますか…やりたくてやっているので…」

 恥じらうようにそう口を尖らせて言う千世に、思わず笑う。ありがとう、と、そうまた呟いた声がまるで幼い子供に向けるかのような優しい声音で、それが同時に胸に何か生ぬるく、やけに心地の良い風が吹き込むようだった。

「私、実は元々料理嫌いだったんです」
「…そうだったのか。得意でないとは聞いていたが、嫌いだったのかい」
「あの時は、嫌いというのが少しお恥ずかしくて…でも、今は好きですよ。隊長のおかげで」

 千世の言葉に、浮竹は野菜の芯から葉をちぎるその手を止める。おかげで、と言われるほど何かをした覚えがない。手が止まったことに気付いた千世は、その顔を上げ浮竹の目を見る。
 どうして、と聞いてみれば、彼女は少し戸惑ったように目線を少し揺らしてからはにかむように笑った。

「言葉のままですよ。…隊長に、食べてもらうのが嬉しくて…好きになりました」

 手を止めたまま、浮竹は千世を見つめる。時折、そうして恥ずかしげもなく素直な感情を剥き出しにされると、年甲斐もなく動揺する。元々彼女はきっと素直な方ではあるが、だがそれにしたって、その思いはあまりに無防備過ぎる。
 何かまずい事でも口走ったかとでも思っているのか、あれ、と眉を上げた彼女に、顔を寄せる。小さく開いた唇にそっと触れれば、ぎくりと固まった姿に口角が上がる。何度目かわからないというのに、どうしてこう毎回、初めてかのように驚くのだと。

「き、急に!驚きました!」
「悪い悪い。ほら、早く着替えてきなさい」

 怒った彼女を軽くあしらえば、そう眉間に皺を寄せながらも言われた通り背を向け去ってゆく。
 だが、いつになっても彼女は口づけに動揺するし、肌に触れれば恥じらう。いつになれば慣れるのかと、やれやれと口を緩ませたが、いや、しかし。動揺しているのは自分とて同じではないかと、再び葉を持ったままぼうっと壁を見上げ固まる。彼女のあまりに無防備な思いは、いつもまるで初めて触れたかのような熱を持っている。
 それに飽きもせず毎度揺さぶられているのだから、ある意味似合い同士なのかと、再び野菜の葉をちぎりながら一人納得するように頷いた。

 


おだいばこより
日常のささやかな出来事の中で、相手のことをしみじみと好きだなと思うお話

 

2021/09/27