どっちも

おはなし

 

 ただいま、とやけに上機嫌な声が聞こえ千世は振り返った。襖が開き現れた姿は、珍しくふわふわと気分の良さそうな様子でふらりと部屋へと入り込む。

「結構呑まれたんですか?」
「ああ、呑まされた」
「随分酔われてますね」

 珍しい、と千世は笑う。今日は男性死神協会での会合があるから、夜は遅くなると聞いていた。中秋の名月を眺めながら協会の未来を語り合いませんかと、突拍子もない招待状が届いていたのだと聞いたのは昨日のことだ。きっとどんちゃん騒ぎの宴にただ理由を付けたかっただけなのだろう。女性死神協会も似たような事が稀にある。
 どうしたものかと悩んでいる浮竹に参加を勧めれば、偶には顔を出してみようかと、存外それを楽しみにしていたようだった。その期待通りに、きっとそれなりに楽しんだものだったのだろう。いつもは青白い顔が、今はほんのりと血色が良く、そのまま縁側へと近づいた彼は千世の横へと腰をかける。
 気分が良いのか、珍しくぽつぽつと会合の様子を語りはじめた彼に、耳を傾けた。いつもの面々と狛村、日番谷、阿散井なども参加してそれなりに賑やかなものだったようだ。
 今宵はまた見事な満月だった。静かな屋敷の縁側で心地よい夜風にぼんやりと、空に浮かんだ丸々と太ったその黄金を眺めていた。隣で同じように月を見上げた彼は、見事なものだと呟く。
 千世も今日はじめて空を見上げた時、思わず声を漏らしたものだった。満月というものは幾度見ても、まるで生まれて初めてその鮮やかさを知ったように、そしてさも当たり前のように目を奪う。
 彼なぞきっと千世の倍は数々の、これよりも美しい月だって何度も眺めているだろうに、それでもこうして真っ直ぐその姿を、まるで初めてのように見上げるのだ。その美しさに目を細め、淡い光をその虹彩に受け、それは少し、羨ましいようにも思えた。月に嫉妬など、まさか口に出せまい。千世は自分のあまりの烏滸がましさに恥じ入り、思わず目線を下げた。
 彼と過ごし始めてから、そうして初めてさざめく感情をいくつも知った。自身に幻滅することもあれば、改めて思いの強さに気づくこともある。波に浮かぶ海月のように何度も浮き沈みを繰り返し、彼とともに、自分というものを、今更になって知る。
 小さく息を吐いた時、千世、と彼の優しい声が右の耳に流れ込む。くすぐったい程のやさしい、撫でるような低い声にどきりと胸が脈打つ。

千世、すきだよ」

 前触れもなく漏れた言葉に、息を止める。穏やかな表情が、千世の目線に絡んで離さない。すき、すき…思い当たるすき、に必死で心当たりを探すが、いや、あまりに唐突だ。唐突すぎる告白に、喉で言葉がいくつもつかえた。
 彼の愛情は、余りあるほど受け取っている。しかし、面と向かって言葉を向けられれば、どうしてもとうとう心臓が止まったのではないかというほど動揺する。
 長く焦がれていた時、その言葉が向けられる未来など永劫訪れないと思っていた。彼の傍で過ごした時間は、焦がれた時間に比べれば実に僅かだ。だから何度この言葉を彼から聞いた所で慣れることはない。
 きっと酒で酔っている事には違いない。少しばかり、目尻がとろんと下がり、眠そうに見える。酔って気が大きくなっているのか、何なのか。だとしても視線を合わせてああもはっきりと、その口からありのままの言葉を伝えられた事が珍しく、うまく返すことが出来ない、出来そうにない。

「は、はい…!?」
「い、いや……いや。だから、つまり千世は…千世はどうなんだ」

 えっ、と千世は面食らって目を見開いた。突然まるで開き直ったかのような様子に、訳も分からず固まった。つい先程まで穏やかに笑っていたはずが、唐突に我に返ったのか、まるで酔いが覚めたかのような凛とした顔つきで背筋を伸ばす。

「その、急に…あまりに突然過ぎて、何でだろうと…」
「いや…ええと……そうだ。言い伝えだよ。その、あー…中秋の名月の下で…過ごした男女は、愛を誓い合わないと、死ぬ…と。…確かそう聞いた事がある」
「そうなんですか…?初めて聞きましたが……死ぬんですか…?」
「…知らないのかい、とても有名な言い伝えらしいよ。…本当に有名なんだ。嘘じゃない」

 なるほど、と千世は頷く。やけにしどろもどろな様子が気にはなったが、ああそういうことかと合点がいった。まさか言い伝えを真に受けている訳は無いだろうが、ふと思い出しでもしたのだろう。
 好きだ何だのと包み隠さず伝えられることは、あまりない。言葉として伝える以外の、その眼差しや声音、体温で感じる事は数多あれど、照れくさいのか敢えて伝えるものでも無いと思っているのか。だから、動揺をしたものの根っから嬉しかったのだが、そうか。そういう事だったのか。
 どうなのかと、彼は千世の答えを待つようにその視線を向ける。千世は少し背筋を伸ばし、うろうろと視線を何度か泳がせてから、ようやく彼を見た。

「じゃあ……隊長…、そ、その…私も、これからもすきです…ずっと」

 そう言い終え口を噤み俯く。乗せられてつい、口走ってしまったものの、言い終えた後の恥ずかしさは名状しがたいものがある。身体を小さく萎ませて、顔に血が上るその熱さが冷めるまであとどれ程かかるかと待ち遠しかった。
 しかし、彼に好きだと伝えた事は何もはじめてという訳ではない。だというのに、何度伝えても、そして何度伝えられた所で慣れない。いつもまるで初めて口に出した時のような、甘ったるい痺れがある。
 膝に置く手の甲へ、彼の手が重なり、そのまま暫く無言が続く。それがどうにも気まずく気恥ずかしいようで、これで二人共死にませんね、なんて気まぐれに呟いた。

***

「…なんだい、その三文小説みたいな言い伝え」
「あれ…?有名じゃないんですか?」
「初めて聞いたよ、情報通なボクだけど」

 あれ、と千世は眉を曲げる。浮竹の言う伝承を知りたくて本もいくつか手にとったか見つからず、清音や松本にも聞いてみたが口を揃えて知らないという。
 だから世代が違うのかと思い京楽にも尋ねてみたのだが、まるで同じ反応であった。

「誰に聞いたの、その話」
「…いえ、ちらっと耳にしただけで…」
「へぇ……」

 京楽は少しにやけたような、しかし呆れたような表情をする。
なるべくならば、浮竹から聞いた事は知られたくない。知られればやめてくださいと音を上げるまで、目一杯茶化されそうなものだ。口元をぎゅっとへの字にして、彼の視線に負けじと見返せば、力が抜けたように彼は笑った。

「嘘が下手だねえ」
「えっ!?…わ、私ですか!?」
「いや、どっちも」

 どっちも、と千世はぽかんと繰り返す。どっちも、と京楽は頷きもう一度繰り返す。どうにも腑に落ちない感覚のまま、千世は腕を組みひとつ唸った。

 


おだいばこより
二人でお月見

 

2021/09/22