精彩

おはなし

 

 床の間に置いていた花瓶から伸びる花が、ぐったりとしていた。毎日水を変え、水切りもしていたというのに。茎から切り取っている時点でいずれ仕方がない事だとは分かっているのだが、徐々に元気の無くなってゆく様子は、どうにも胸を切なくさせた。
 それは数日前に突然、何を思ったのか浮竹が持って帰ってきた小ぶりな花束だった。鮮やかな紫の桔梗とかすみ草が束ねられただけの実に簡単なものだ。記念日だっただろうかと記憶をさらったが、そういう訳でもない。急にどうしたのかと聞けば彼は少し照れたように笑って、なんとなくだよと、そう答えた。
 それが千世にとってどうにも嬉しくて、暫くその小さな花束を握って立ち尽くしたまま眺めていた。理由が彼の言う通りなんとなくであっても、それが何か他の意味を含む照れ隠しであったとしても、どちらであっても良かった。
 目一杯にその花弁を開く桔梗の紫と、それを賑やかすように囲むかすみ草の散らされた白が、縁側から吹き込む秋の静かな風で揺れる姿が好きだった。ああもう秋かと、その風を頬へ感じる度に思う。つい先日までの、あのうんざりしていた夏の生ぬるい風を思い出しながら、その涼しい風へ髪を乗せていた。
 今日は二人して休日を合わせた日だったはずだが、浮竹に急な要件が入り一人でぼんやり過ごしていた。近頃はそんなすれ違うような日々が続いている。先日の休日も、千世が急遽任務へ出向くことになったのだった。たった十日にも及ばない間だと言うのに、最後に休日を一緒に過ごした日が遠い昔のように思う。
 とはいえ朝と夜の僅かな時間でも、この屋敷で顔を合わせ過ごせるだけ十分だと言うのに、それ以上を求めたくなるのは悪い癖だと思う。
 だからだろうか。渡された花束が殊更嬉しく、この部屋で過ごす間に何度花瓶の花を眺めたか分からない。
 床の間に置いた桔梗が揺れる様子を見ると、かき消したい寂しさが紛れるようだった。ひととせ会えない織姫と彦星でもあるまいに、何を寂しがっているのかとそう頭で分かっていながらも自然と滲む。それを桔梗は多少誤魔化してくれるようだった。情けない、と思う。
 今日も爽やかな秋晴れだった。気付けば夏がその姿を隠し、夜になればうっすら肌寒く、虫の音も日に日にその厚みを増してきているように感じる。
 千世は床の間の花瓶を手にすると立ち上がり、そのままじっと花を見下ろす。恐らく、もうここから回復する事はないだろう。一度くたびれてしまえば、後はきっと急速に。
 完全に枯れてしまうまで、この花瓶で見守るべきかと思うが、だがこの鮮やかな紫が色を失ってゆく姿を見る事がどこか辛いようにも思った。それならばいっそ、まだ色が残る今、土に還してやったほうが良いだろうか。
 花瓶を持ったままその判断がすぐには出来ず、縁側へ向かうと腰を下ろす。足をぶらぶらと揺らしながら、暗い庭を眺めていた。
 それから間もなく、背後から物音が聞こえ、振り返れば、浮竹がその白い羽織姿のまま襖から現れた所だった。おかえりなさいと、背筋を伸ばして呟くと、手にしていた花瓶を一旦脇に置き立ち上がる。
 その傍に駆け寄ると、ふと差し出されたものを千世はまじまじと見つめた。

「…また、どうしたんですか」

 またそれは小さな花束だった。今度は竜胆の花束だった。秋の野山に入ると、その青い花がところどころに咲いているのをよく見る。小ぶりの釣鐘型の花に思わずかわいい、と漏らせば、浮竹は柔らかく微笑んだ。

「この前の花を、大事に手入れしてくれてただろう」
「それは…はい、勿論。隊長にいただいた花ですから」

 思わず熱を込めて答えると、浮竹はそうかい、と眉をハの字にして笑う。
 どれほど言葉を尽くしても、あの身体の内側が熱くなるような感覚を伝えられそうにない。その熱を今はまだ思い出すことが出来るが、花が徐々にその生気を失っていくと共に、瞬間の思い出を伴って枯れ、やがて消えてしまうように思えた。それが単純にただ寂しい。
 花がいつか枯れてしまう事なんてずっと昔から知っているというのに、理解することと受け入れることはまた別の話なのだろう。

「店先で揺れている桔梗が実に可憐でね、千世に見せたいと思って買った」
「じゃあ…なんとなくでは無かったんですね」
「…どうも気障臭いような気がしてな。つい誤魔化した」

 照れくさそうに笑う様子に、どぎまぎとして千世は目を伏せた。手元に握っていた竜胆の花束の、濁りのない青色で小ぢんまりと開く花弁が目に入る。その健気な姿はやがて枯れる事など今は感じさせないほど、生気に満ち溢れていた。
 おや、と声を上げた浮竹に、千世ははっとして顔を上げる。床の間にあった桔梗の花瓶が無い事に気付いたようだったが、間もなく縁側にぽつんと置いてある姿を見つけていた。その傍まで近づくと、花瓶を持ち上げ不思議そうに千世に尋ねる。

「花を土に還そうかと悩んでいたんです」
「だが…まだ少しは持つんじゃないか」
「そうなんですが…」

 千世はぽつぽつとその理由を呟く。だが、口に出すほどになんとも身勝手なように思えて、視線が徐々に彼の足元まで下がった。枯れてしまうのが寂しくて悲しいから、いっそまだ綺麗なうちに土に還してしまおうなど、なんとも子供じみた残酷な身勝手さだ。
 言い終えた後にどこか気まずく暫く黙っていると、なるほど、と浮竹が声を上げる。千世が再び視線を彼に向けると、そのぐったりとした桔梗へ向けていた目を千世へと遣った。

「だが、どうせだから、最後まで見届けてやってくれ」

 真っ直ぐ見つめられたままそう伝えられ、千世はこくこくと頷く。ただ花瓶に挿した花の話だというのに、その眼差しは何故か少しだけ息苦しくなるようだった。そう立ち尽くしている千世の手に握られていた花束を浮竹は取り、桔梗の横に並べて目を細める。

「桔梗の隣に飾ってやろうかと思ってね。そうすれば、千世も花も寂しくないだろう」
「…すみません…身勝手なことばっかり」
「いや、これは俺の我儘かもしれないな」

 我儘、と千世は良く分からずぽつりと繰り返すと、彼は少し笑むだけだった。
 戸棚にあったもう一つの花瓶へ挿した竜胆の花は、やがて床の間に並べて置かれた。徐々に花弁から瑞々しさが失われ、色褪せてゆく桔梗の横で、未だ蕾を残していた竜胆がひとつまたひとつと開く。
 その目を引く鮮やかな青を見ていると、もしかすればこの花はずっと咲き続けてくれるのではないかと錯覚する。まさかそんな筈がないとそう分かっていても、その輝かしい瞬間というものは、いつも目眩がするほどに目映い。

 

2021/09/16