月刊誌

2021年9月10日
おはなし

 

 手元の雑誌に目を落としながら唸る。先程から数十分ほどその態勢を続けていた。
 連載を持つ浮竹は毎月この瀞霊廷通信を檜佐木から受け取っており、昨日もわざわざ隊舎まで訪れた彼から何時も通りの無表情で一冊を渡された。しかしどうも毎月に比べてやけに分厚く感じ眉を曲げていれば、彼が表紙に躍る文字を指差したのだ。
 「女性隊士特集」と読み上げれば、彼はその表情をようやく僅かに崩した。どうやら女性死神協会会長である草鹿からの持ち込み企画で、人気の高い女性隊士の大判写真が収まっているのだという。どうりで表紙を飾る十番隊副隊長の松本が悩ましげな表情を見せていた。はあ、と頷けば、重版必至ですよと、彼は珍しく嬉しそうにする。
 その分厚さの理由を理解し頷いた後、途端にさっと血の気が引いたのは千世の姿が過ぎったからだった。記憶を辿れば、何やら写真撮影があると少し前に言っていた事を思い出した。まさかそれがこの企画の為だったと言うのならば、由々しき事態である。
 実際に数頁捲れば、比較的肌の露出が多い写真が目に入り咄嗟に閉じた。此処で見ては危険だと、本能的に感じた。何か含ませたような表情を最後に見せた檜佐木の颯爽と去る背を見送り、その日は一日雑誌のことを必死に忘れようと書類に頭を埋めたものだ。
 そして今日、休日となった浮竹は正座のまま、瀞霊廷通信を手に暫く部屋の中央で微動だにせずに居た。ようやく心の整理がついた浮竹は、その表紙に手を載せゆっくりと捲くる。一頁を捲くる毎に目を薄く開き、彼女の姿がいつ出て来るかと冷や汗が滲んだ。

「…これは……」

 松本、虎徹勇音、涅ネムと続いた後現れた姿に息を止める。彼女の姿だと認識した瞬間、反射的に雑誌を閉じた。まるで疚しいものを見てしまったかのような感情に、ひとつ唸って項垂れた。
 いや、しかし。折角覚悟を決めた筈が、またずるずる先延ばしにするというのも情けない。彼女の写る頁に再び指を掛け、ゆっくりと開く。薄目を開いて見れば、幸いにも、と言うべきか。危惧していたような肌の露出の少ない姿ではあった。夏らしい水色の浴衣を纏う姿は実に爽やかで、よく似合う。ようやくまともに目を開きその誌面を眺めながら、自然と止めていた呼吸をようやく再開させた。
 撮影が有る事はちらと聞いていたが、その後の話は一言も聞いていなかった。彼女の話では何か記念撮影と認識をしていたようだったから、恐らく撮影現場で本来の目的を知らされたのだろう。相当に不本意だったのか、誌面上の千世は恥じらうように目を背けている。
 それは、浮竹にとって思わぬ衝撃であった。時折見せるそのはにかんだような表情が、この誌面上で公に晒されている事に、どうにも一抹の不安を覚えずには居られなかった。肌の露出の少なさに息をついたのも束の間であった。
 普段彼女は勤勉で人当たりも悪くなく、端的に言えば清潔な印象を覚える。恐らくそれは浮竹だけでなく、広く知られている彼女の顔だろう。その彼女が、僅かに瞳を潤ませ恥じらい、視線を逸らす姿はきっと珍しい。こんな表情を普段彼女は見せない。
 まずい、と反射的に感じたのはそれが理由だろう。肌の露出が少ないのは前提として、しかしこの表情は感情をくすぐるような何かがある。彼女の見開き頁を見下ろしたまま、そうしてかれこれ数十分この部屋の中央に正座で固まっていた。
 さてどうしたものかと、いや今更どうする事もできる訳では無いのだが、ふとこの千世の姿を見た男性心理に想像を及ばせてしまう。もともとこの特集についても要望の高かった女性隊士という説明があった。つまり、千世についてもそういう事だろう。
 彼女について、表立って男性人気があるとは今まで聞いたことは無い。だが要望が高かったと聞けば、まあそうだろうと頷きたくなるものだ。そして、きっとその期待を裏切らなかったに違いない。
 参った。この感情をどう処理すれば良いのか分からない。自分だけが秘めて独占していたものを突然公に晒されたかのような危機感、それと共に自分だけが独占している事に対しての優越感に似た何か。この胸に渦巻くものだというのに得体が知れない。
 しかし。この誌面上に写真として収まる彼女は、いつもこの手で触れる彼女に違いないというのに、眺めるほど遠い存在に思える。恐らくこれは嫉妬だ。そう気付いた浮竹は、一人眉間に皺を寄せた。
 しかしそれは誰宛でもない。彼女のこの姿を目に入れた不特定多数の者に対する漠然とした嫉妬は、あまりに身勝手で馬鹿馬鹿しい。何を勝手に想像を膨らませて挙句の果てに妬いているのだと、雑誌を手にしたまままた嘆息した。
 その時背後の襖が乾いた音を立てて開き、あまりに突然の事に飛び上がると、慌てて誌面を閉じ畳に叩きつけるように置いた。その姿勢のまま固まっていれば、隊長、と聞き慣れた声音で呼び掛けられる。ゆっくりと振り返れば、気まずそうな様子の千世が居た。

「…見てしまったんですね」
「い、いや…檜佐木君が、毎月持って来てくれるんだよ。ほら、連載の関係で」
「でも、今隊長…私の頁開かれてましたよね」
「それは…まあ、偶々というか…見つけたというか」

 見たよ、似合ってるじゃないかと、そう答えるだけで良かったというのにどうしてかしどろもどろになった。彼女は口を小さくすぼめて、頬を僅かに染めている。襖を閉めると、そのまま擦るように足を進めて浮竹の横へと腰を下ろした。
 彼女の纏う香りが鼻をくすぐり、どきりとしてしまったのは、長らく平面上での彼女を眺めていたせいだろう。何緊張しているのかと、静かに深く息を吸い細く吐き出す。

「どうでしたか」
「どう…いや、良いんじゃないか。よく似合っていたよ」

 半ば上の空で答えた。似合っていたのは事実で、写真自体は良く撮れていた。そう、頗る良く撮れていた。いや、撮れてしまっていた。問題はそうして実に個人的な感情であって、それを彼女に伝える必要はない。

「…それは嬉しいのですが、その…そうでは、無くて…」

 そうではない、とはどういう事かと少しぽかんと考えてから、そっと彼女の顔を覗く。顔を軽く俯向け、畳を指先でなぞっているそのいじらしさに、また一瞬思考が揺らされた。今日二度目の動揺にうっかり呆然と見つめていれば、頬を染めた彼女とそのまま目が合い、照れくさそうにはにかむ。
 やはりこの姿は、どうしても自分だけが知るものとして収めたい。それはほぼ衝動のように、思わずその身体へ手を伸ばし引き寄せ、体温を腕の中へと閉じ込める。

 驚いたように身体を固くした彼女のその背を撫でると、それは直ぐに柔らかく解けた。誌上の彼女が目に入った時のあの淀むような嫉妬が、そのぬるい体温で蒸発する。複雑な感情だと小難しげに悩んでいた割に実際はこうも単純だ。実に呆気ない。

「…少し妬けたよ。君のあの姿が、他の男にも知られるのかと思うと」

 少し、なんて嘘だ。途方もなく妬けたが、嘘をついた。千世はその答えに満足であったのか、腕の中で満足気に小さく笑い、その身体を預ける。いくら誌面上の彼女に焦がれられた所で、この重みと体温を知るものは自分だけだ。恥じらうような表情のその先を知るのも自分だけだ。
 そう思うと自然と口元は緩み、ああ存外、性が悪いものだと、その凪いだ優越感に身を任せるのみだった。

2021.9.11