君一路

肌寒い夜だった。かといって、火鉢を焚く程でもない。 風呂上がりの身体が湯冷めしないよう、髪を乾かした後は直ぐに布団へと潜り込む。は疲れていたのか、早めの風呂を終えた後気付けば浮竹が文机に向かう背後で静かな寝息を立てており、今も変わらず夢の中のようだ。 布団に潜り込んだ後、隣の彼女を念の為と少し覗いたが、やはり変わらず眠っている。すうすうと、規則正しく静かに聞こえる呼吸音と、口元まで被った布団が微かに上下する。おやすみ、と夢の中の彼女へ囁いてはみるが、届くかは分からない。 此処だけを見れば、普段と変わりない一日の終わりのように思えた。まさか夢だったかと、あの屋根の上での出来事を思い出す。あれが幻でなければ、確かにこの隣で寝息を立てる彼女と契りを交わしたはずだった。 何も、特別な夜を期待していたわけではない。謂わばただこの関係の延長線上にようやく区切りを付けただけだ。それもまだ口約束で、特別な儀式が行われるわけでも盛大に祝福されるわけでもない。ただ、二人の中で区切りを決めた。 この先、時が許す限り続くであろう二人の未来をさてどう歩もうかと考えた時、自然と答えは導き出されていた。しかしそれは至極身勝手なもののように思え、伝える事はおろか誤魔化そうとすら考えていた事もあった。 夫婦となる事が男女の交際において必ずしも目指すものではない。夫婦にならずとも互いの思いを伝え受け取ることは出来るだろうし、名字を重ねる事も強いて望む訳ではない。 死神として生きる以上、いつこの命をなげうつ事になろうか分からない。身命を賭す事に何ら疑問はなく、護廷の為となれば厭わないつもりであった。だからこそ伴侶を得る事など、それは相手を思えば愚行に近いとそう思っていたのだが。 何もその思いが変わった訳ではない。だが、もしこの世を離れる事になった時、その傍に居た証を残すことが出来ないのは何より寂しいと思った。そしてそれはまた彼女も同じなのだろうと気付いた時に、ようやく始まったのだと思う。 「…」 布団に潜ったは良いものの、未だ眠れそうにない。浮竹は寝返りをうちうつ伏せになると、僅かに身体を起こした。眠るに身を寄せ、そっと手を伸ばし指先でその唇に触れる。小さく名前を呼び、運良く目覚めてはくれないかと期待したがその気配は無い。 彼女が頷いた瞬間の高揚感を未だ引きずっている。年甲斐もないと、そう何度も感じることの多い恋だった。それはこれからも変わらないのかも知れないが、しかしあの一瞬目の眩むような幸福を奥歯で噛みしめ、飲み込むのは容易いことでは無かった。 彼女へ向けていた眼差しは、はじめは紛れもなく他の隊士へ対するものと何ら変わりは無かったはずだった。今更いつからだったかと思い出す必要など無いが、切欠など些細なことであって、互いの道が交わる未来は決まって居たのだろうかと思う。 きっと浮かれている。いい歳をして。彼女の寝顔を見つめながら、一つ小さく息を吐いた。以前であればこうも茫とする事など無かった。それは、一瞬でも思い描いてしまう未来は、単なる夢想であると分かっていたからだ。 しかし今、それは順当に行けば確かに待ち受ける未来として存在している。どうりで浮かれているわけだ。彼女の唇の縁をなぞり、その柔らかな頬に触れる。滑らかな肌をすうっと指の腹で撫でると、ぴくりと瞼が震えた。 「……起きていたのか…いつから」 「…すみません、実は…ずっと」 起きてしまった訳でないというのは、その目の開き方で分かった。ぱちりと開いた彼女の目には眠気などまるで無い事が分かる。 目を覚ます事を期待していながら、まさかはじめから覚醒していたとは思わず汗が一瞬さっと滲んだ。寝ていると思い込み、その名前を呼び唇に触れ頬を撫ぜ、好き勝手にしていたその全てを知られていた。 悪い、と咄嗟に手を引っ込め身体を自らの布団へと戻す。 「寝たふりをしたかった訳ではなくて、その…緊張をしてしまって…」 はそうもごもごと言い訳をし、鼻先まで布団を引っ張り上げる。潤んだ瞳と、僅か熱っぽいその視線が彼女の言う緊張という言葉の意味をありのまま伝えるようだった。 思い返せば屋敷に帰った時から彼女はどこか落ち着かない様子で、あまり目も合わせてくれないような気はしていた。普段ならば何かあったのかと思い当たる節を探るものだが、浮ついた気分が続いていた為か勘違いだろうと気にせずに居た。 結局、気の所為ではなかったという事だ。ぐらりと視界が一瞬揺れたのは、彼女の熱を含んだその眼差しがじっとりと絡んだからだろう。 「何をそんな緊張をしてるんだ」 「…そ、それは…だって、これからその……」 しどろもどろになった彼女は布団から目元だけを出したまま、視線を逸らす。この距離でないと聞こえないような、微かで間隔の短い呼吸の音が耳をくすぐる。 「……その…つまり、隊長が…旦那様になられるのかと思うと、…どうすれば良いか分からなくなってしまって」 だんなさま、と思わず繰り返し固まる。呼ばれ慣れぬ呼称だ。 「あっ、え！？違いましたか！？」 「い…いや…違わないんだが」 一瞬、形容し難い感覚が心臓の裏を擽るようだった。長い年月を過ごしてきたものの、一度としてそう呼ばれた事はない。京楽のように名家の当主であればそう呼ばれることもあろうが、浮竹はそういう訳でもなく、勿論今まで伴侶を迎えたこともない。 聞き慣れない呼称に、そしてそれが彼女の口から出た事へ明らかな動揺があった。やがて夫婦になれば自然と周囲からもそう呼ばれる事になるのだろうし、勿論、妻となった彼女からも同じだろう。 彼女が極端に緊張をしている様子であるのは、それが理由だったとは。柄にもなく浮かれていたせいか、今になって理解した。彼女が口元を隠す布に手を掛け退ける。小さく結んだ唇があ、と僅かに開いた所に顔を寄せ触れた。 柔くしっとりとする感触を甘噛し、徐々に交わらせる。軽く吸い上げればはその瞼をゆっくりと閉じた。温く交じり合う粘膜の艶かしさは、密かに燻っていた疚しい思いを引き出すに十分だ。 次第に夢中になりその心地良い感触を貪りながら、身体を彼女へと寄せる。覆い被さるように彼女の顔の脇へ手を付き、その姿を逃すまいとした。別に、逃れようとされている訳でも無いというのに。 呼吸を制限され心做しか息の上がった頃、微かに誘うように開いた目を見て唇を名残惜しく離した。 隊長、とその聞き慣れた呼称で呼ばれた事にふと思い出し、そういえばと口を開く。 「…最近名前で呼んでくれないように思うのは、気のせいか」 「そ、それは……」 「朽木の前で口を滑らせた事、気にしているのか」 浮竹の言葉に、はぎくりとしたように目を開く。分かりやすい事だ。先日、朽木の前でうっかりまさか下の名を呼んで以来、あからさまに呼ぶことを避けていたようだった。今まで理由を直接尋ねては居なかったものの、それが切欠であったことは明らかだった。目の前で小さく頷き、すみませんと呟く彼女に笑う。 別に呼び方など今更何であっても良いというのが正直な所であったが、しかしつついてやればそうして申し訳無さそうに縮こまる様子が容易に想像でき、つい尋ねた。大方、また口を滑らせる事を恐れて普段通り隊長と、そう統一していたのだろう。 名呼びを始めてから暫くはぎこちない様子で、近頃は呼ぶ方も呼ばれる方も慣れて来たと思っていたのだがその矢先だった。結局彼女も、隊長と普段通り呼ぶ方がきっと楽なのだろう。 がしれっと器用に使い分け出来るような性格でない事はよく分かっている。それも含め、どれもこれも今ばかりの話になる。何れ関係を公にする時が来れば、ようやく窮屈な思いをせずに済む。 「十四郎さん、と…お呼びしたほうが」 「いいや、慣れた方で良い」 ふと笑った浮竹の言葉に、は少し表情を和らげて頷いた。その髪を撫で、再び唇を重ねる。身体を徐々に起こすと、彼女の身体に乗る布団を軽く退けその上へと覆い被さった。 唇が離れた彼女は、物欲しげな湿った目で見上げ、はあ、と小さく熱い息を吐く。性懲りもなく、また僅かに開いた唇を塞いでやりたいと、その衝動を飲み込みながらひとつ唾を嚥下した。 その胸元の緩い合わせを崩しながら、気が逸る。幾度となく過ごした夜であったが、今日は殊更急いた。初めて彼女の肌に触れた夜を不意に思い出したのは、似通った情動を覚えたからだろう。 布に覆われぬ肌はこの薄明りの元でも抜けるように白く、そして触れれば柔く弾力を持って指先を跳ね返し、滑らせれば絹地のようになめらかだった。その満ち溢れるような若さを目の前に、漠然とした罪悪感を覚えたものだった。若い身体を目の前にして劣情を感じ、ほしいままにせんともするその傲慢にも思える感情が肥大してゆく様が、情けなく思えた。 崩された合わせから覗く柔らかな膨らみにを掌で包み、つんと上向いた頂を指の腹で軽く触れる。首元へと顔を埋めると、仄かに甘い香りがくすぐる。体温が上がるにつれそれは濃度を増し、深く息を吸い込んだ。 「私で、良いのでしょうか」 「…何が」 「隊長が、選んで下さったのが…私で良いのかなと」 「何を急に。今更嫌とは言わせないよ」 「い、いや、そんなつもりでは」 慌てたに、浮竹は笑う。その体温と、彼女の細やかな反応を楽しみながら底なしの幸福に身を埋めるようだった。きっと、この浮かれた気分からふと我に返った時に、自身も彼女と同じような事を思うかも知れない。 彼女の人生を預かる者が自分で良いものかと、いやしかしそう悩み始めればきりがない事だ。何が正解など、時が来なくては分からない。当人同士の了承の上で、互いの人生を預け合うのだと決めたのだから、それを正とするしかない。 だが、確かめたくなる。本当に自分で良いのかと尋ね、迷わず頷かれる事がどれほど嬉しいことであるかを今日知ったばかりだった。 それは、彼女も同じだろうか。いや、そうであって欲しいという願いに近い。その華奢な体を組み敷きながら、その表情に、仕草に漏れ出る幸福の断片を見つけようとする。彼女の掌が脇につく手の甲を撫で、頬に触れ、枝垂れる髪へ触れるその一挙一投足を、見逃すまいと視線を落とす。 少しでも、彼女の表情に湧き出すような、満足気な笑みを見つければ、ぐらりと胸が揺れた。徐々に態勢を移行させながら、その期待に高まる潤んだ眼差しが刺さる。 「…ぁっ、ご、めんなさい…」 足を広げたその中心へ触れた途端、焦ったように身を捩る彼女の腰を捕まえた。漏れ出す蜜を指先で掬い上げるように撫で、塗りつける。くぐもった声を漏らしながら濡れた花弁はひくりと誘うように震えた。 「長く待たせてしまったかな」 「っち、ちがいます…！」 「違う、訳はないんじゃないか」 「…ぁ、あ…その、は、い…ちがくは、無い…です」 自然と息を潜めながら、具合を確かめるようにその入り口へ指先を押し当て、つぷりと沈める。柔らかく穏やかな体温を持ったその体内は、実に淫らな感触で出迎える。じっとりと湿り蠢くその肉壁を撫でるように指先で柔く引っ掻くと、彼女は泣き出しそうな視線を向けて甘く鳴いた。 この光景も幾度となく迎えているというのに、何故慣れないのかと不思議であった。指先で深く彼女に触れるほど、求めるような表情を向けられる事を知っていながら、込み上げる劣情の息苦しさを知っていながら、夜になれば繰り返す。 身体の中で膨張し続ける欲を飲み込みながら、浮竹は甘く鳴くの中を弄った。まるで、違う生き物のように彼女の中はうねり、震える。腹の底から込み上げる何かが愛情であるのか、はたまた、ただの欲情であるのかその境目はこの熱に浮かされた思考で判断は出来そうにない。 「…っ、は…あの、隊長…」 「ああ、分かってるよ」 そう微笑むと、彼女は安心したように表情を崩した。彼女の腰を支え、引き寄せる。固く、熱を持ち膨張した雄をの中心へ滑らせれば蜜を含んだ花弁が包むように纏わりついた。暫く、その快感に及ばぬ程の感触を堪能した後、腰を引くと先端を突き立て、僅か沈ませる。 いつもこの瞬間というものは、耐え難い高揚感を覚えるものだった。だが今夜ほど、特別に満たされるような事はかつてなかった。苦しげに顔を歪め受け入れる様子を見下ろしながら、その体内で柔く包まれる心地良さに脳が揺れる。 その隅々までを手に入れたような気になっていた。それは、やはり初めて彼女と肌を合わせた夜とよく似ていた。きつく咥え込む蜜壺へと欲を埋めながら、恍惚として見下ろした光景を憶えている。だが今はそれにも増した、えずくような愉悦に逆上せるようだった。 だらしなく声を上げるを眺めながら、至って思考が正常であるかのように装い、抽送を繰り返す。柔く、心地よく締め上げられ、徐々に込み上げる吐精感を飲み下しながら、深く彼女を貫いた。 きもちいい、とうわ言のように零す唇を塞ぐために身体を倒すと、肌の触れる面積が増え、その重なりが蕩けるようだった。ぐ、と更にその奥へ入り込んだ感覚には敏感に反応し、びくりと腰を震わせる。 一瞬、弛緩した彼女の膣内は、再び大きく蠢き吐精感を煽る。唇の端で互いに浅い呼吸を繰り返しながら、浮竹はその彼女の細い身体へと、何度もねじ込むように腰を打ち付けた。これほどまでに、深く彼女を感じているにも関わらず、まだ欲しいと思う。それが異常にも思え、これは如何と、そう冷静を気取ろうとしたがしかし無駄な事だった。 「っ…ぁ、…もっと…ほしい、です」 「…欲しい？」 そう繰り返すと、うんうんと小さく何度も頷き、また悩ましい声を漏らす。まさか同じだった事に気付くと、今まで強張っていた顔の筋が緩み、目尻が自然と下がった。同じだな、と呟くとは不思議そうに眉を上げたが、すぐにそれはどうでも良くなったようだった。 深く交わりながら、緩やかな温度でまるで融けるかと錯覚した。あ、と息を止めた時にはもう遅く、どくどくと彼女に埋めたその熱が脈打ち流れ出す。それは飲み込むように、嚥下する時にゆったりと動くその喉元のように、彼女の体内が波打つ。 彼女に覆い被さったまま、腰を震わせその最後までを流し込むように、深く貫いたまま暫く動きを止めていた。は満足気に口を緩ませ、荒く息を繰り返す。その無邪気にも思える崩した表情が、未だ深く咥え込む淫らな光景と相反し燻った。 その違和感に彼女も気付いたのか、あ、と声を漏らす。始まった頃から予感はしていた。今日ほど求める思いが、一度で収まりようがないと、それは身体においての話であって、精神面で言えばこれほど満たされたことはなかった。満たされた精神と同じ水準で身体を満たしたいのならば、一度でまさか終えられるはずがない。 「…まだ、続けても」 そう囁くと、は潤んだ瞳をゆっくり瞬く。既に吐き出した白濁を、更に馴染ませるように、再び腰を揺らす。どちらともない体液でぐずぐずにされた彼女を、また、さらに自分のもので満たし続ける。はただ受け入れ、そして求めるように腰へ足を絡ませた。 溶けるような熱にゆっくりと蝕まれながら、だがそれは今夜のこの出来事が夢でないと、未だ飽きず高揚感に浮かれる己を繋ぎ止めるほどに熱かった。 君一路 2021/09/07