下日の杞憂

おはなし

 

下日の杞憂

 

「夏休みか……」

 そう、と眼の前の男は何という事も無い様子で頷く。浮竹にとっては懐かしい響きだった。最後に夏休みと意識して連休を取ったのはいつだろうか。思い出す為に記憶を辿ろうとするが、靄がかる辺り相当前の事だろう。
 隊首会への道すがら、偶々八番隊舎からふらりと現れた京楽に声を掛け共に向かっていた。間もなくではあったが、早足で急ぐ程ではない。何時もと変わらず取り留めのない雑談を交わしていたが、ふと京楽が夏季休暇の話を持ち出した。残暑の話題となったから、その流れだった。
 夏季や冬季には、隊の者には適宜取るように伝えていた。業務に支障が出ない程度の休暇を各々上席者の管理の元取らせている。仙太郎や清音によれば、隊員同士での旅行を楽しむ者も居るようで、束の間の休暇を思い思いに過ごして居るようだ。

「浮竹は取ってないだろうけど、千世ちゃんは?取って無いの」
「…取ってはいないな」
「……なんだか知らないけど、二人して隊舎が好きだよね」

 そう呆れたように京楽はため息を吐く。二人して、と言われると何とも耳の痛いことである。
 何も仕事が好きで堪らないとか、そういう事では無い。恐らく彼女もそれは同じだろう。ただ、一人自室で過ごした所で特にする事も無く、じっとして居た所で隊の事ばかりが頭に浮かび落ち着かない。それならば、隊舎で過ごす方がよっぽど気も紛れるというものだ。合理的だとも言える。
 しかしそう言い訳がましく伝えた所で、京楽に同意を求めた所で一つの理解も得られない事は分かっている。物好きだねえと呆れて適当に頷かれるだけだろう。
 だが、何も年がら年中隊舎に居る訳ではない事は彼も良く知っている筈だ。千世と休日が被るような日であれば、浮竹の屋敷で過ごす事が殆どだった。公にしてない関係上、二人して何処かへ出掛けられる訳では無いから、広いとも言えない屋敷や庭で日常の延長のような、何という事のない時間を過ごしている。

「七緒ちゃんにも、この前夏休み取って貰ったよ。あの子も言わないと中々休暇取らなくてね」
「彼女の性分を見れば、そうだろうな」
千世ちゃんも同じようなもんじゃないの」

 彼の言う通り、相当しつこく言わなければ休暇を取らないのは千世も同じだろう。週に二度の休みでさえ正しく取っているか怪しいと言うのに、連休ともなれば尚更だ。
 盆の時期を過ぎ落ち着いている事を挙げれば、彼女も嫌だと首を横に振る事まではあるまい。隊首会が終わった後に確認するつもりだが、恐らく翌週、五日ほどの休暇であれば問題ないだろうと頭に七曜表を思い浮かべた。

「浮竹は取らないの?隊長の長期休暇も最近は義務みたいになってるだろう」
「だがあまり取る理由もないしな…ただでさえ、俺は療養が多いだろう」
「療養と休暇は別だろう。それに最近は浮竹、どうしてか調子良さそうじゃない」 

 そう京楽は含んだような言い方でにやりと笑うから、浮竹は何故か多少気まずく感じて顔を正面へと向けた。
 確かに彼の言う通り、近年は現世の影響もあるのか無いのか知らないが、隊長であっても長期休暇を年に一度は取得するよう言われていた。とは言っても、従わずとも罰則が有る訳でもないから、特に予定がなければ取る事は無い。
 雨乾堂で過ごすことの多かった浮竹は特に公私が曖昧となるもので、これと言って取る理由も思い浮かばず今の今まで過ごしていた。他の隊長がどうであるかは知らないが、きっと似たようなものだろう。
 試しにじゃあお前は、と京楽に尋ねてみれば彼も最後に取ったのはいつの冬だったかなあと曖昧に答える。

「二人で夏休みでも取れば」
「…二人で?」

 京楽の言葉に、思わず立ち止まる。千世と二人の事を言っているのだろうが、何を言っているのかとでも言うように彼へ視線を向ける。だが、特に冗談を言っているわけでも誂っている訳でも無いようで、軽く眉を上げた。
 各々の夏季休暇となれば問題はないが、同じ時期に取るというのはあまりにあからさま過ぎる。一瞬想像を及ばせてみたものの、やはり不自然でしかない。大体、通常であれば揃って取る意味がない。

「流石に無理だろう…」
「だって、旅行とか今まで無いんだろう」

 京楽の言う通り、恋人となってから千世とどこか遠出をした覚えは無い。小さく頷けば、京楽はまた呆れたようにため息を吐いた。
 一度現世への出張に二人で向かった事があったが、あれはまだ彼女が副隊長へ上がって早々だったから交際の始まる前の話だ。彼女と泊まりがけで遠出した記憶というものは、思えばたったそれだけであった。
 これは常々感じていることであったが、若い女性の思考回路というのは正直まるで分からない。それは歳を重ねる毎に難解さを増すようだった。流行り物の良し悪しも分からなければ、男性に対して望むことやそれに対しての評価など、あいにく到底想像も及ばない。
 しかし世間一般的な女性の感覚として、彼女くらいの年頃の女性であれば休日の度に屋内で怠惰に過ごすより、少しくらいは何処かへ出掛け思い出のひとつやふたつを作りたいのではないかと、そう想像が及ばない訳ではない。
 彼女がこの交際で求めるものを正面を切って尋ねたことは一度としてないが、だが彼女の様子を見る限りは特に不満を感じ取ることは無かった。
 公に出来ない関係上、窮屈な思いを掛けている事に違いないとは承知している。しかし、休日が重なった日に過ごす、屋敷での細やかな日常には満足をしているように思っていたのだが。
 だがどれもこれも、こう思っているだろうという独自の解釈であって実際どうであるかというのは分からない。本当は何処かへ出掛けたいとか何をしたいと、そう胸の内で思っているかも知れない。
 彼女は物分りが良い。否、良すぎるとすら感じる。その思いをひた隠しにして選択肢の少ない休日に付き合ってくれているのかも知れない。それは当人に聞かねば分からぬことだが、恐らくその胸の内を素直に漏らしてくれる事は彼女の性分として難しい事だろう。

「盆過ぎた時期にかこつけて、一日でもずらして取れば分かんないんじゃない」
「いや…一日ぐらいじゃ意味ないだろ…」
「まあ。まさか付き合ってるなんて誰も思ってないんだから、休み被った所で気付かれ無いと思うけどね。ボクは」

 ううんと浮竹は唸る。確かに京楽の言う通り、盆を過ぎた頃というのは例年出撃要請も極端に減る所謂閑散期とも呼ばれる時期となる。夏季休暇を取るならば、恐らく最適な時期には違いなく、かこつけて隊長副隊長が合わせて取るというのも考えてみれば不自然ではない。
 だが、と思ってしまうのは彼女との関係が勘付かれはしないかとそればかりなのだろう。京楽もそうは言うが、だが今まで意識していなかった者が二人の休暇に気づき意識をする可能性だってあり得る。しかしそう指摘すればキリがなく、この関係を公にしない以上は休暇を合わせて取れる事は無い。

「不在中に何か起きた時に隊長副隊長が不在というのは、あまりに無責任だろう」
「そんなに言うなら、ボクが見ておこうか。七緒ちゃん帰ってきて暇だし」
「京楽が?」
「まあ、何かあったらって話。今年もお盆にひと騒ぎあったし、暫くは何もないと思うけど」

 ひと騒ぎというのは、現世のある座標と流魂街のある地点で突如同時多発的に起きた虚の大量発生を指しているのだろう。盆の時期というものは、その性質から現世との境界が曖昧になり易い。しかし恒例となれば事前に対処が可能なもので、今年も特に大きな騒ぎにはならず済んだ。
 彼の意図は分からないが、そこまで強く背を押されると揺らぐ。色々と懸念はるものの、こんな機会はきっと滅多に無い。何より、彼女のはにかんだ笑顔が自然と浮かんだ。

「どうしてやけに世話を焼くんだ」
「別に浮竹の世話を焼いてる訳じゃない」
「だが、なんだか気味が悪い…」
「どういう意味それ…まあそんなに言うなら、ボクからのお中元ってことで」

 再び浮竹は小さく唸る。間もなく近づく一番隊舎の巨大な門を視界の端に入れながら、飄々と微笑む京楽に軽く頷いた。ちらほらと隊長羽織の影が見えはじめ、二人は自然と口を噤む。
 この門戸をくぐれば間もなく隊首会だというのに、頭には休暇の予定ばかりが浮かんでは消えた。限られた時間で何をしてやれば喜ぶだろうかと思いを馳せ、慌てたように今はいかんと思考から追い出す。
 この調子では、腑抜けた表情を見抜かれたるんでいると総隊長から檄を飛ばされかねない。明らかに緩みかけていた頬に力を込めていると、隣からふっと小さく笑う声が聞こえ、白々しく咳払いをした。

 

(2021.08.25)