草むしり

2021年7月26日
おはなし

 

 今日は休日だったが、これといって特に予定は無い。普段であればそういう日には雨乾堂で過ごす事が多いが、今日はあまり気が向かずこうして一人広い寝室の布団の上で天井を見上げている。
 本当ならば、今日は朝から千世と庭の草むしりをする予定だった。だが、昨夜流魂街の遠征任務へ出発予定であった席官が前任務での負傷により編成から外され、代員として急遽千世が加わることとなった。致し方ないことである。
 負傷した隊士は命に別条はないものの、復帰は直ぐという訳にはならない。第六席である彼の穴を埋める為、千世が出張る事になるのは致し方ない。彼の復帰までは暫く今までのように隊舎に居る事は減り、現場へ出向くことが続くだろう。
 出発の前、挨拶に訪れた彼女は目を輝かせ張り切った様子だった。久方ぶりの現場任務に気が逸って仕方ないのだろうと、その満ち溢れた様子は微笑ましかった。それを見てまさか約束の草むしりの話など出来る筈が無い。
 任務は何においても最優先であり、ただの庭の草むしりなんていつでも良い、一人でやれば良いような、いや最早どうでも良い事を、やる気に満ちた彼女に敢えて思い出させる必要など微塵も無いだろう。
 千世との関係が始まる以前はあまりこの屋敷に帰ることが無く、月に一度ほど庭師を呼んで手入れを依頼していた。あまり帰らないとはいえ荒れ果てたお化け屋敷にするつもりは無く、趣味の盆栽もいくつか置いている事もあり気は遣っていたのだ。
 自ら庭の手入れをするようになったのは、彼女とこの屋敷で過ごす時間が増えてからだった。二人で外に出かける事も出来ずこうして壁に囲まれた屋内でばかり過ごしているものだから、野菜の種を埋めたり花を植えたりと、少しでも彼女の気が紛れればと思っていた。
 つい先日の事だ。庭の草の伸びが気になると何気なく呟いた時、次の休みに二人で草むしりをしましょうかと提案された。何と良い案だろうと二つ返事で了承したが、やがて何故かそれを少し気恥ずかしく感じてしまったのは、僅かに胸中色めき立った事に気づいたからだろう。
 単に黙々と地味に二人で草をむしるだけだというのに、それがやけに特別なことのように思え密かに次の休日を心待ちにしてしまっていた。何を草むしりごときで、とは勿論自分でも思う。
 正直に言ってしまえば、約束が有耶無耶になった事にはただ残念な思いだった。しかし任務を優先するのは当たり前の事で、何を落ち込んでいるのかと情けない。自分自身であっても、急な任務が舞い込めば勿論何よりも優先して赴くだろう。そう理解していながら割り切れない感情を目の前にして、その大人気なさに呆然と天井を見上げていた。
 屋敷で過ごすことが多くなった今、自身で面倒を見るようにしていた庭を彼女と一緒に手入れできる事が、思っていたよりも嬉しかったんだろう。そうして浮ついていた自分が気恥ずかしかった。
 恐らく千世は何気なく言ったに違いない。久しぶりに斬魄刀を振るえる機会が訪れ、そんな取るに足りない約束など記憶の彼方へと消えてしまっただろう。
 だがもともとは、彼女の居ない休日に一人で黙々としていたような事だから別に良いのだ。また千世と過ごす休日に突然蒸し返すのも気が進まない。もし、そんなに楽しみにしてたんですか、とでも言われた日には否定する事も出来ずただ気恥ずかしさのあまり溶けてしまいそうなものだ。

「隊長、戻りました」
「はや…かったじゃないか…」

 何か物音が庭から聞こえると思っていたが、野鳥かと無視していた。そのさっぱりとした様子を見ると、一旦隊舎に帰還してから風呂でも浴びて来たのだろう。予定では夕刻と聞いていたから、まさかこうも早いとは思わず布団から半身を起こして固まっていた。
 千世は草履を脱ぎ縁側へ上がると、そのまま歩み寄り布団の脇へと腰を下ろす。お疲れですか、と起き上がった浮竹のまだ寝癖の残る姿を見て笑った。

「思っていたよりも早く任務を終えられたので、皆には悪いですが大急ぎで帰還してもらいました」
「無事で良かったが…それにしたって早すぎやしないか」
「だって今日は約束していたじゃないですか」

 約束、と浮竹は繰り返して千世を見る。まさか草むしりの事を指しているのかと、浮竹は内心ぎくりと固まった。心待ちにしていた事を悟られていたのだろうか、草むしりごときで。草むしりごときの為にさっさと討伐を済ませ飛んで帰って来てくれたというのか。…草むしりごときの為に。
 これが例えば、人気店での食事の予定というならば何ら恥ずかしい事など無いのだ。だが草むしりなど別にいつでも良いような単なる雑用で、それを彼女が楽しみにする理由など別に無いだろうに。まさか彼女も楽しみにしてくれていたのだろうか。いや、まさかこんなしようもない事を。
 覚えていたのかと呟けば、どうしてですかと眉を曲げ不思議そうに首を傾げた。そのきょとんとした顔を見つめていれば、今まで一人で呆然と過ごしていた時間を思い出し情けないのか恥ずかしいのか顔に血が昇るのが分かる。

「ど…どうしたんですか、隊長…」
「…いや、何でも無い」

 浮竹はそう僅かに顔を逸して返す。約束の為に急いで帰ってきた千世からしてみれば、その反応は意味がわからない事だろう。
 自分ばかりが楽しみにしていたと思っていた。約束は忘れられてしまったのだろうと、まるで不貞腐れるように一度は諦めていたがこうして目の前で彼女が笑えば何と単純な事か直ぐに頬は緩む。
 まるで子供のようではないかと時折思っては呆れる。彼女の前となると、すっかり忘れていた感情を思い出す事が多い。大昔に置いてきていた筈の単純な感情を、自然と引きずり出される。
 良い歳をして一喜一憂する事に気恥ずかしさを覚えつつも、しかし退屈でない日々を彼女と過ごせる事が何より今は幸福に思う。
 襷掛けをしながら庭へ出てゆく千世の背を見て、ようやく立ち上がる。振り返った彼女が手招きをする姿に、緩んだ帯を締め直しながら誘われるように縁側へと向かった。

2021/7/26