空座町にて

2021年7月19日
おはなし

 

空座町にて

 

 午後の授業は抜け出していた。元より、受ける意味もなければ受ける気もないから抜け出すという意識も無かった。待ち合わせを予定している座軸まで、駆け足で向かう。彼女のことだから、早めに着いていそうなものだ。
 伝令神機で日南田からの通話を受けたのは昨晩の事だ。明日空座町に行っても良いかという突然の連絡に、まさか浮竹の身に何かあったのかと一瞬焦ったものだ。だが少し前にルキアが彼女に依頼をしていたチャッピー人形の購入が出来たのだと聞き、思わず背筋を伸ばし押し入れの天井に頭をぶつけた。
 本当ならば上司である日南田にお遣いのような真似をさせるべきでは無かったのだが、発売の情報を知った時には既に先遣隊として空座町派遣が決まっていた。
 数量限定となれば当日の朝から店頭に並ばなければならない。空座町での状況によっては向かえるかと思ったのだが、その間に何かあれば申し開きが立たない。
 一番気を遣わずに頼める相手といえば恋次だったが、あいにく共に空座町だ。となれば義兄の白哉となるが流石に無理だ。しかしどうしてもあの限定チャッピー人形を手に入れない訳には行かず、だめもとで日南田に頭を下げたという訳だった。
 そう待ち望んでいた発売日が昨日だった事をすっかり忘れてしまっていたのは、目まぐるしくこの空座町での日々が過ぎていたからだろう。時折尸魂界に帰る事はあったが、あまり長居は出来ない。ここ半年ほどで考えてみれば、もしかしたらこの街で過ごしている時間の方が長いだろうか。
 待ち合わせの座軸は郊外にある公園だった。平日のこの時間帯ならば人目を気にする事もない。
 芝生の上を踏みしめながら、きょろきょろと見回す。辺りにそれらしき人影は無く、少し離れたベンチの上に同じ制服を着た空座高校の生徒が居るだけだった。同じくサボりの者か、と遠くからその様子を窺う。
 しかし、その生徒がふと顔を向けた途端にルキアは思わずえっと声を上げ固まった。

「朽木さん!こっちこっち!」
「は、はい!」

 手を振るのは制服を身にまとった日南田で、どういうことかと目を疑う。単に届けに来てくれたというだけならば、義骸を使う事も無いとは思うのだがもしや先遣隊の一員となったのだろうか。
 彼女の見慣れぬ制服姿を、ルキアは思わずまじまじと見る。休日であっても死覇装を手本通りに身にまとう姿しか見た記憶がないから、足や腕を露出した格好が物珍しかった。
 そう見つめる視線に彼女は気づいたのか、少し照れたように笑う。

「折角朽木さんと空座町で会えるから、私も同じ格好してみようかなと思って…」
「そうだったのですか。しっかりお似合いです」
「そ、そうかな…実は、着てみたいと思ってて…」

 意外にもこの制服に興味があったのかと、ルキアは少し頬を緩める。初めてこの義骸で制服を身にまとった時は何とも面妖な衣装だと思ったものだ。足袋は膝の下まで伸びるし腿は肌が多く露出し、和装とは違いとにかく身体にぴたりと張り付く。
 しかし見た目と反して機動性は良く、死覇装と比べ身軽なのも相まって今では結構気に入っている。

「浮竹隊長にはお見せになったのですか」
「隊長に…?見せてないよ、技術開発局からそのまま来ちゃったから」

 どうしてそんな事を聞くのかとでも言いたげに不思議そうな表情をする日南田に、口が滑ったとルキアは内心反省する。
 日南田のその姿は意外性はあったものの良く似合っていたから、きっと浮竹もひと目見たいのではないかと思った。恋人同士というのがどういうものかよく分からないが、好き合う相手の特別な姿というのはきっと気になるものだろう。
 二人の関係に気付いてしまったのは、特別何かが切欠というわけではない。もともと日南田が並々ならぬ尊敬の念を彼へ向けていた事は知っていた。浮竹への思いの厚い者が多い隊でも特別それは強いようにルキアは感じていたものだ。
 ルキアが入隊した頃、彼女はもう既に席位に就いていた。後々知ったことだが、丁度上がったばかりだったのだという。何度か彼女の率いる小隊に編成されるうち、ぽつぼつと言葉を交わすようになった。特別距離を詰めてくるという訳では無かったが、後輩として目を掛けてくれている事が伝わるような態度に不思議と安心した事を覚えている。
 あまり人との関わりが得手という訳ではなかったルキアにとって、それは中々に居心地が良かった。当時の副隊長であった海燕へ抱く敬愛とは、また質の違う感情を彼女には抱くようになっていた。
 会話をするようになってからというものの、日南田には稽古に誘ってもらう事が増えた。休日であっても彼女はよく隊舎に居て、それは隊内ではもはや名物であったように思う。稽古場で稽古相手を探しては勝敗関係なくその相手が音を上げるまで模擬試合を挑み続けるから、一時期稽古場には人が寄り付かなくなった事があったと憶えている。
 しかし噂されるほどルキアにとって彼女との稽古は鬼でも悪魔でも無く、ただその時間を楽しんでいた。彼女の成長に対する貪欲な姿は一つの刺激となっていた。

「隊長はお元気で過ごされていますか」
「うん、ここの所は隊舎に居ないことも多いけどお元気そう。そういえばこの前朽木さんが持ってきてくれたお土産、すごく気に入られたみたい」
「ああ!クリームの入ったどら焼きですね。一護に教えて貰い、私も気に入ってたのです」

 そうそう、と日南田は笑う。先日一度帰った時に土産として買って帰ったのだが、浮竹と会う事ができず日南田に渡したのだった。一護にしては珍しくセンスの良いものを知っていたものだ。
 二人で仲睦まじく食べてくれたのだろうかと、ふとその様子が頭に勝手に浮かんだ。

 日南田が副隊長へ上がった後直ぐにルキアは空座町への駐在任務となってしまった為、二人がその間どのように過ごし関係を築いて行ったのかというのはまるで存じない。
 しかし何かあったのだろうかとぼんやり感じたのは、藍染による一連の事件が一旦は落ち着いた頃だ。尸魂界での束の間の平穏の中過ごすうちに二人の間に流れる空気の異質さに気付いた。あまりそういう事に敏い方ではないと思っていたのだが、日南田と過ごした今までの時間がそれなりに深いものだったのだろうか。
 だがまさか二人が恋仲になっているとは思うまい。彼女が浮竹へ向ける感情は、紛れもなく敬愛、思慕の念だとばかり思っていた。いや、恐らくそれには違いないのだろう。
 浮竹自身もそう慕われる事には慣れているようだったから、日南田の思いに対して特別どうするという事はルキアの知る限りでは無かった。もともと誰かを贔屓したりするような事もない。
 だからはじめはまさかと思った。二人が会話をする時の視線の合わせ方が妙だと思った。以前と何かが違うと違和感を覚え、何度かその現場に遭遇する度にじろじろとつい見てしまったものだ。恐らくその違和感は、浮竹が彼女に向ける視線が彼女が浮竹へ向けるそれとよく似ていたからだろう。
 それを決定的にしたのは、偶然日南田の姿をある路地で見かけた時だった。真っ先に呼び止めようと思ったのだがそのこそこそとした様子に声を掛けそびれ、結局後をつける事になってしまった。
 やがて辿り着いたのは女性寮ではなく、知らぬ屋敷だった。周りの様子を伺いながら消えていった後に表札を確認すればまさか自隊の長の名が記されており、息を呑んだ。だが、同時に納得したのも事実だ。
 浮竹の中でどのような心の動きがあったかは勿論知る由もない。だが、彼女に惹かれる理由は、長い時間を過ごす間によく感じてよく分かる気がしていた。驚きと同時に、結ばれるべくしてそう成ったのだろうと思った。

「そうだ、これを渡しに来たんだった」
「あっ…!!ありがとうございます…!」
「結構人気なんだね、朝一で行ってみたら並んでてビックリしたよ」
「お忙しい中本当に申し訳ない限りで…この御礼は必ず!」

 脇に置いていた紙袋を差し出され、ルキアは中を覗き目を輝かせる。中には可愛らしい水着姿のチャッピーが透明な袋に梱包されて転がっていた。その愛らしさに堪らず胸がときめく。
 一瞬は諦めていたものだが、こうして手に入れられたのはひとえに彼女のお陰だ。日南田に何度も礼を述べれば、気にしないでと笑った。
 早くも要件は済んでしまったが、しかしこれで解散というのは寂しいものだ。折角空座町で会えたというのに。だがあまり長い間彼女を引き止めてしまえば瀞霊廷の浮竹に申し訳ない。
 ルキアが二人の関係を知っている事を、日南田は知らない。というのもある切欠でルキアが気付いている事を浮竹に勘付かれてしまい、直接尋ねられてしまったのだった。その時に彼から、彼女の前では知らないふりをしていて欲しいと頭を下げられていた。
 浮竹の言葉に頷きながら少し胸が熱くなったのは、二人の信頼を預かっているのだと感じたからだろう。

「御礼は何にしましょうか…美味しいお菓子は尸魂界とは比べ物にならぬくらいありますから、その中から特別人気なものを今度の土産に…」
「ああ、その…お礼の件なんだけど…」

 ルキアが思案していれば、日南田がおずおずと口を開く。

「…この後、その…空座町を案内して欲しいなと思ってて…あっ、でも忙しいなら大丈夫!今度クリームどら焼きでも大丈夫」

 慌てたようにそう付け加える日南田を、ルキアは思わずぽかんと見つめた。照れくさそうに視線を逸した彼女の様子にふふと笑う。だからわざわざ制服を着て居たのか。はじめからそう言ってくれれば、御礼でなくとも喜んで案内するというのに。
 勿論ですと笑顔で頷くと彼女はぱっと顔を輝かせる。そのころころと変わる表情を見ながら、こういう所なのだろうかと自然と浮竹を思い浮かべていた。昔から感じていたことだが、何に対しても真っ直ぐ素直に正面を向く彼女が好きだった。
 張り切った様子で立ち上がった彼女のスカートがひらりと風で揺れる。つられて立ち上がれば、同じようにスカートが靡いた。

「では、まずは私が世話になっている黒崎家から…井上と良く行く喫茶店のパフェを召し上がっていただいて、あとは駅前の衣料品店とそれから…」
「そんなに沢山楽しそうな所に行ったら、帰りたく無くなっちゃうかも…」
「それは、私が浮竹隊長に怒られます」
「え?」

 疑問符を浮かべた日南田を暫く見ていたが、誤魔化すように彼女の腕を引く。革靴で芝生を踏みしめる二人分の足音が楽しげに鳴った。

(2021.07.20)